大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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明治の魂は昭和の魂であり平成の魂である

平成24年11月1日(木)

 本日から十一月に入る。
 未明にそう思うと、何か普段よりも厳かな気分になって起床した。
 本年七月三十日、明治天皇陛下の崩御百年を迎え、
 本年十一月三日、明治天皇陛下のお誕生日である明治節を迎えるからである。

 昨日十月三十一日、神戸市内に放送されるFMラジオの収録において、私とともに出演する若い四人の人々に、四日後の十一月三日は、「文化の日」となっているが、そもそも何の日だったのですかと尋ねた。
 すると、各々首をかしげて「はてな」という風情。
 そこで、実は、十一月三日は、長く、明治天皇のお誕生日、明治節として国民の祝日であったこと、しかし、昭和二十年の敗戦後、我が国に進駐した連合軍総司令部GHQが、我が国から明治の記憶を消すために、明治節を廃止し「文化の日」にしたこと等を説明した。

 そして、本日十一月一日、産経新聞朝刊の「正論」は、新保祐司氏の論考「菊の香や明治は近くなりにけり」を載せている。感銘深く拝読した。
 特に冒頭、新保氏は、次のように始められた。
「祝日とは単なる休日ではなく、国民が自らの歴史と伝統に思いをはせる貴重な日である。そして、今日、内外の『国難』のただ中に生きている日本人にとって、『明治』という時代を回想することはとても大事なことである。日本の歴史上、『明治』は最も偉大な時代の一つだからである。」
 この冒頭の一句こそ、日本民族の歩みに於ける明治と現在を格調高く関連づけ位置ている。
 まさに、歴史は過去の日付けのところにあるのではなく現在にある。過去は現在である。

 次に新保氏は、明治を描いた司馬遼太郎と山田風太郎の二人の作家を紹介している。
 一読して、山田風太郎の明治小説を是非読もうと思い楽しみになるとともに、司馬遼太郎氏に対して、「文明批評家としての風格を帯びて、大衆作家の枠組みを遙かに超えた仕事を残した。」とある点に、例によって反発した。
 「例によって」とは、私の司馬遼太郎氏に対する「嫌悪感」が例によって湧き上がったということだ。
 その「嫌悪感」とは、私が敬仰して止まない乃木希典第三軍司令官を司馬遼太郎が貶めたことから発症したのだが、さらに私は、同時代人と同時代史を軽蔑し馬鹿にし否定して見せながら、明治は良かったと文明批評家を気取る司馬遼太郎が嫌いなのだ。
 司馬遼太郎が文明批評家で作家として、「明治賛歌」を書いたのならば、何故、彼が賛歌をおくる明治の魂をもって明治と同じように祖国のために闘っていった戦友、同級生つまり同時代人のことを無視するのか。
 戦争に負けたからか。
 戦争に負けたから、同時代を軽蔑し弾劾し同世代人を無視するのならば、司馬遼太郎はGHQと同じではないか。
 司馬遼太郎はGHQの行った東京裁判に賛同し歩調を合わせることによって「文明批評」をして「戦後」を上手く生きたのならば、彼は単なる左翼もしくは敗戦利得者ではないか。

 私は、本日の新保氏の「正論」に深く賛同する。新保氏は、「正論」を次の通り結んでおられる。
「しかし、『明治』は遠くなってはならない。『明治』がありありと近づいてくるのを感じなければならない。十一月三日が、『明治の日』になり、菊花の香りの中に、日本人が『気宇壮大』な『明治』を振り返る日が実現することを強く望んでいる。」
 このことに全面的に賛成だ。
 
しかし、ここで注意を喚起しておきたい。
「明治を振り返る日が実現すること」とは、
「明治と連続している昭和と現在を確認すること」なのだ。
「明治がありありと近づいてくるのを感じる」とは、
「明治の魂が昭和の魂に続き平成の魂に連続していることを感じること」である。
 決して、司馬遼太郎流に、
「昭和」と断絶した「明治という国家」を異国の如く振り返ることではない。司馬氏は、我が国といわずに「この国」とか「明治という国家」という言葉を定着させた。無国籍になることが文明批評家になることだと錯覚したのだ。
 今こそ必要なことは、「明治節」が奪われ「文化の日」という単なる「休日」が与えられている戦後から脱却して、明治節が現在まで連続してあるという確認だ。
 つまり、明治も「我が国」であり昭和そして平成も「我が国」なのだ。

 そこで、次に三点ほど例を挙げて、明治と昭和が断絶しているという歴史観では故意に無視されているドキュメントをご紹介し、激動の昭和を生きた我らの先輩である直近の祖父そして父、この人達の魂を継承することが即ち明治の魂を継承することだ、明治をありありと感じることだということを述べたい。

1、昭和二十年八月、大東亜戦争のフィリピン戦線においてアメリカ軍に降伏した第十九師団師団長尾崎義春中将と参謀長に米軍師団長は、次のように語った。
「戦場で相まみえた仲でなければ相手の偉大さは分かりません。あなた方日本軍の精強さに私たちは驚嘆しています。
 さきにヨーロッパ戦線で日系市民志願兵で編成された第442部隊がたてた偉大な業績は米軍内で驚異の的になっています。私たちは、この戦場でその実際を身を以て痛感しました・・・」

 司馬遼太郎氏が、日露戦争に於ける旅順や奉天の日本軍の驚異的な奮闘を讃えるのならば、何故、同じ世代の同胞が為した、あの苦難のフィリピン戦線において敵にここまで感銘を与えた勇戦奮闘を無視するのか。
 明治の精神が昭和の将兵に生きていたから同じ敢闘が可能だったのだ。

2、昭和二十年八月十五日、昭和天皇は玉音放送において各前線の部隊に停戦を指示された。承詔必謹、各部隊は武装解除に入る。千島列島最北端の占守島を守る第九十一師団も武装解除に入った。
 すると、八月十八日未明、突然ソビエト軍カムチャッカ防衛軍は、占守島へ猛烈な砲撃を開始し奇襲上陸をしてきた。この事態に対して、第九十一師団は「自衛戦闘開始」を決断する。
 満州から占守島に移されてきていた戦車第十一聯隊(連隊長池田末男大佐)も車体から砲塔を降ろしていたところを再度砲塔を搭載させ、中戦車三十九両と軽戦車二十五両をもって上陸したソビエト軍に対し猛烈な反撃を行い、池田連隊長を始め多くの将校が戦死しながらも敵を撃退し海際に追い詰めた。
 ここにおいて、日本軍の総攻撃があれば、上陸したソビエト軍は全滅するところであった。
 しかし、天皇の承詔必謹である。勝っている日本軍は総攻撃を控えて水際に追い詰めた瀕死のソビエト軍に二十一日降伏したのである。
 この戦闘で日本軍死傷者六百人、ソビエト軍死傷者三千人といわれている。ソビエト軍は、日本軍の手強さと損害の多さに愕然とし、この日本軍の占守島における強力な奮闘がソビエト軍から北海道を守る大きな要因となったといわれる。

 司馬遼太郎氏は戦車兵として陸軍少尉であったと聞いている。そして、戦車学校での教官が、占守島の戦闘で戦死した戦車第十一聯隊の連隊長池田末男大佐だった。日露戦争を書いた作家が、自分が親しく指導を受けたこの勇者のことを何故書かなかったのか不思議な感じがするとともに、ある種の裏切りを感じる。
 なお、この占守島の戦いを伝える人が少ないのは、ソビエト軍が自分たちにすさまじい損害を与えた勇者をシベリアの極寒の一番厳しい地に送り重労働を強制してほとんど生きて帰さなかったからだと言われている。
 このものの言えなくなった勇者を忘れることなく、彼等のことを書くのが司馬遼太郎の責務だったのではないか。

3、昭和十六年十二月十日、マレー沖においてサイゴンから飛び立った海軍一式陸攻二十六機と九六式陸攻五十九機がイギリス東洋艦隊の旗艦プリンス・オブ・ウェールズと戦艦レパルスを撃沈した。
 戦闘行動中の戦艦を、航空機だけで撃沈できるとは当時考えられなかった。従って、搭乗員も全て死を覚悟して飛び立っていった。そして、イギリスが誇るこの二隻の巨大戦艦を雷撃と爆撃によって撃沈させた。
 特筆すべきは、彼等は沈没した両戦艦から脱出して海で泳ぎながら僚艦である駆逐艦の救助を待つイギリス兵を機銃掃射しなかったことである。
 イギリス軍の指揮官、トーマス・フィリップ大将が無電で、「総員を艦から退避させるので、その間、攻撃を控えられたし」と連絡してきたとき、帝国海軍航空隊の勇士達はその間攻撃を控え上空で待機した。そして、プリンス・オブ・ウェールズの艦橋に体を縛り付けて艦と運命をともにしようとしているトーマス・フィリップ大将の横を挙手の礼をしながら順に飛行し、フィリップ大将もそれに答礼したという。
 第三小隊長として一式陸攻を操縦してレパルスを雷撃した海兵六十二期の壹岐春記海軍少佐は、両艦撃沈後、沈没する両艦を上空からそれぞれ確認し、そのうえに花束を投下して戦没イギリス軍将兵の霊を慰めた。

 さて、戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパレスの乗組員は四千名を超えるのではないか。その中で、マレー沖海戦で戦死したイギリス将兵は数百名だ。
 一方、戦艦大和の乗組員は三千余名で生き残った者は僅か百名余である。乗員のほとんど全員三千名が戦死している。
 この戦死者の差は、我が帝国海軍は溺れる敵兵を機銃掃射せず、アメリカ軍は徹底的に機銃掃射したことによる。
 明治においても昭和の大東亜戦争においても、我が日本軍は、立派に武士道の精神を貫いているではないか。
 司馬遼太郎氏よ、彼等は明治と同じ勇者ではないか。
 日本人は明治と昭和と魂は変わっていないことを何故分からないのか。

 以上、三例だけ挙げた。文中盛んに司馬遼太郎氏の名前を出したが、司馬さんを非難しているのではない。
 司馬さんを例に挙げて、歴史を奪われた時代に生きる人間の盲目性を嘆いているのだ。
 そして、心眼を開いて昭和の勇者を眺め明治との連続性を確認するときに、「明治はありありと近づいてくる」と言いたいのだ。
 謹んで、
 二日後の十一月三日の明治天皇お誕生日、明治節をお迎えしたい。
 早朝、門に日の丸を掲げて。

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