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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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乃木希典、高貴なる明治、祖国の回復

平成24年9月11日(火)

 明治は、明治四十五年七月三十日の明治天皇崩御と、続く九月十三日の乃木希典と夫人静子の殉死によって終る。
 本年は、その明治が終って百年、大正が始まって百年の年である。
 明治天皇は嘉永五年(一八五二年)十一月三日にお生まれになり明治四十五年(一九一二年)七月三十日に崩御された。
 乃木希典は嘉永二年(一八四九年)十二月二十五日に生まれ大正元年九月十三日に自決。
 夫人静子は安政六年(一八五九年)十一月六日に生まれ希典と同日自決。

 本年は、七月三十日の明治天皇崩御百年の日を過ぎたころより、上京して皇居前を通るたびに、殉死を待つ乃木閣下は、如何なる思いで毎日この道を通って明治大帝の眠る皇居に通っていたのだろうかとたびたび思った。
 この時期、乃木邸を訪れた人が、蕎麦しか御馳走が出なかったと愚痴をこぼしたが、後に武家は腹を切る前には蕎麦しか食べないと教えられて粛然となったという。
 
 昨日(九月十日)、梅田に行く途中で、西南の役以来の戦死者を葬る大阪城南の玉造の陸軍墓地を訪れた。
 小雨の中で、日露戦争における戦死者の墓域にでると、明治三十七年五月、南山で戦死した陸軍少尉の墓に出会う。
 そして、乃木閣下の長男乃木勝典少尉と、同じ戦場で同じ頃戦死した大阪に眠る若き将校の霊に手を合わせた。
 九月十三日は、東京乃木坂の乃木邸に隣接する乃木神社で行われる御祭神百年祭に参列させていただく。

 日露戦争が日露講和によって集結し、東京に凱旋する乃木大将の姿を私の祖父東儀哲三郎が観た。
 その祖父が娘である私の母(明治四十二年生まれ)にその様子を伝え、母が私に語った。
 乃木大将は、恥じるように下を向いて凱旋してきた、と。
 
 世界最強と言われたロシア陸軍からは、乃木は悪魔だ、乃木には悪霊がついていると恐れられ、世界に武功を轟かせた将軍は、二人の息子とともに戦死することを願い、生きて還ることを心より恥じていた。
 日露戦争が終わり、国民は乃木第三軍が遭遇した旅順と奉天の戦いがいかに困難な難戦であったかを知っていた。また、乃木が、その戦いの中で二人の息子を亡くしたことも知っていた。
 乃木のように多くの親が息子を亡くしていた。
 人々は乃木のことを思い、次のように歌った。
 「一人息子と泣いてはすまぬ、二人なくした方もある」

 なお、静子夫人について書いておきたい。
 彼女は五人の子供を産んだ。育ったのは戦死した勝典と保典だけであとの三人は皆成人になる前に夭折した。
 うち一人は女の子だったが二歳で亡くなり、その墓は熊本城を望む陸軍墓地にひっそりと建てられている。
 十年ほど前、その墓の周りの草をとったことがある。
 明治三十七年五月二十七日の南山における長男勝典戦死の報に接し、静子は三日間泣き通し血の涙を流したと伝えられている。
 しかし、同年十一月三十日の次男保典戦死の報は静かに受け止め泣かなかった。それを予知していたからだ。
 彼女は、水をかぶり、伊勢神宮に参って旅順を陥落させたまえと一心に祈った。その時、
 旅順は陥落させる、そして、子供は全て召し上げる、
という声を天啓のように聞いたと言われている。
 写真に写る静子の顔は、蝋人形のようだ。
 これが生んだ五人の子供をすべて亡くした女人の顔だ。
 乃木大将は、自分の殉死の後も夫人に生きてほしかったようだが、この人が夫の殉死後、生きるはずはない。
 
 昨年三月十一日に東日本を襲った巨大地震巨大津波による国難の中で、本年の明治天皇崩御、乃木希典殉死百年を迎えることは、我が国に対する天の人知を超えた配慮と思える。
 この二つによって、我々日本人は、一つの時代の終焉と回帰するべき場所を与えられるからである。
 
 一つに時代の終焉とは、「戦後憲法体制の終焉」である。
 昨年の巨大地震・巨大津波の国難は、津波が戦後憲法の枠を乗り越えて粉砕したことを明らかにした。
 天皇陛下は、最大の危機管理者としての姿を顕され、戦後憲法では違憲とされる自衛隊の奮闘を讃えられ、国民は戦後憲法的個人主義を捨てて、乃木希典の時代の倫理に生きた。
 即ち、己一個の利を捨てて顧みないという倫理に生きたのである。
 警察消防従事者の殉職者二百六十九柱。さらに、南三陸町の職員で死地に留まって町民に避難をマイクで呼びかけ続けた若き女性ら、身を犠牲にして人を助けた無量の人々の存在がこれを示している。
 この人々は、乃木希典のもとで、この戦争に負ければ日本が滅びると知っていて、命令されなくとも自ら死地に赴いた兵士と同じである。
 
 ここにおいて、回帰すべき民族の姿が甦り、昭和戦後期の乃木希典に対する司馬遼太郎的冷笑の時代、即ち、戦後憲法体制は終わった。
 さらに、本年、明治天皇百年祭、乃木希典百年祭を迎える。
 この民族の姿を示す明治天皇と乃木希典の時代がなければ、我々は今、日本人として生まれ日本人としていきることはできない。
 つまり、我々日本人は、国難と明治天皇百年祭の中で、
「祖国」を回復するのだ。
 明治への回帰は、即ち、祖国の回復である。
 九月十三日の乃木希典殉死の日に、教育勅語を読み直し、
この勅語の精神によって、一日も早く国民教育を実施しようではないか。

 なお、本日の産経新聞朝刊の「正論」は、小堀桂一郎先生が書かれている。貴重な論考である。ご一読いただきたい。
 また、岡田幹彦著「乃木希典、高貴なる明治」(展転社)は、まことに名著だ。是非お読みいただきたい。
 この一冊で、司馬遼太郎著「坂の上の雲」がたとえ数十巻あっても、遥かにそれを凌駕している。

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