大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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ここ数日のこと

平成24年6月26日(火)

「ここ数日のこと」と題して本稿を書き始めるが、その内容は、ここ数日、夜の赤坂当たりの会食場にいるチルドレンのところに苦虫をかみつぶして歩いてゆくところを、マスコミが追いかけているおっさんのことではない。
 この人のことについては、月刊誌「WILL」六月号に書いた。
 この内容を何ら変更する必要を感じない。
 とはいえここ数日、マスコミの画面はかくの如しだ。
 このようにして国民は、何か重大事があるようにじらされて、その果てに、種の開いた手品を大まじめに見せられる。
 そして、結局、何か前より疲弊した生活環境の中で、あれは、彼等の「営業」だったのだ、と思い知る。いや、とっくの昔に、思い知ったはずだ!

 このことについては、二人の友人が言った言葉が一番適切なので、ご紹介しておく。
 本日(二十六日)早朝、「今日は久しぶりに時事通信を書こうと思う。今までニュースを見て書く気がしなかった。」と言うと、朝立ちの石津川駅に向かって運転してくれている友人、次のように言った。
「そやなー、あほらしーて、書けんはなー」
 また、東京の「酒たまねぎや」の亭主の常套句。
 この度の事態を表すに、これほど適切な一言はない。曰く、
「あほらし」
 即ち、民主党と小沢氏のことは、次の一句で閉じる。
「あほらし、あほらしーて書けん」

 さて、二十日に時事通信で沖縄戦のことを送信すると、沖縄県の方から、「ありがとう」というメールを戴いた。
 心にしみた。
 そして、二十三日(土曜日)は、広島県廿日市で日本会議広島県廿日市支部(支部長、角田俊司廿日市市議会議長)主催の「時局講演」の講師として、「国家の再興」について話してきた。
 その為に作成して持参したレジュメの項目は次の通り。
①日本民族の原始の姿とそれを確認した文書
②明治維新(国家の再興)とは何か
③我々が担う「国家の再興」とは何か
④「占領憲法無効確認」の実践的意義
 この各項目の関連は、③の我々が担う「国家の再興」も、①と②から離れてはあり得ず、④の「占領憲法無効確認」なくしてはあり得ないというものである。
 しかも、占領憲法に準拠しておれば、尖閣は明日にでも中共に奪われるのであるから、④「占領憲法無効確認」は国土防衛のために「急務」である。
 結局、④の実践的意義は、国土防衛と戒厳令の布告を一刻も速く可能にする点にある。
 この体制がなければ、我が国は、我々の目の黒いうちに支那の属国になる。即ち、支那の「日本自治区」になる。

 そこで、①の還るべき日本民族の原始の姿であるが、
これは明治天皇の日露戦争における御製から思い浮かぶのだ。
 しきしまの やまとこころの ををしさは
       ことあるときそ あらわれにける
 対馬の古茂田浜に来寇した数万の蒙古軍に対して八十騎で突撃して玉砕した対馬守護代だった六十八歳の宗資国から、
沖縄戦における十代の学徒隊
そして昨年三月十一日の巨大地震に襲われた東日本における警察消防だけでも二百六十九柱を数える殉職者は、
皆、この「ことあるときそ あらわれる」やまとこころの系譜に連なる日本人である。

 なお、明治維新を、国家のサバイバルのための幕藩体制から立憲君主体制への国家の再興だとすれば、始まりは嘉永六年(一八五三年)から明治三十八年(一九〇五年)に及ぶ変革である。即ち、明治維新は黒船来航から始まり日露戦争勝利でその目的(サバイバル)を達するのだ。

 次に、廿日市で私が話しを終えてから、聴いておられた参加者からの発言があった。その中で、印象深かった発言を紹介しておきたい。発言者は、堤田豊穂氏と言われた。
「私は、京都大学の経済学部に学んだが、昭和二十四年に憲法学の佐々木惣一博士が、講義に来られたときに聞きに行った。その教室は、法学部の学生だけではなく他の学部からの学生が詰めかけて超満員だった。
 そこで、佐々木博士が言われた。
『この度、施行された日本国憲法は無効です』と。
このことを感銘深く今思い出しています」
 私は、佐々木惣一博士が、昭和二十四年の時点で、明確に日本国憲法は無効だと言われていたことを教えていただき、同じ京都大学に学んだことを誇りに思います、と答えた。

 しかしながら、私の学んだときの京都大学の講義においては、東京大学の宮沢俊義の教科書が主に使われていたことを苦々しく思い出した。
 あの、「戦後曲学阿世の巣窟」である東京帝国大学法学部教授から東京大学法学部教授になった学者達の教科書が、何故京都大学でも主流であったのだろうか。
 それは、彼等が、国家公務員上級試験と司法試験の出題者をほぼ独占していたからである。従って、戦後の曲学阿世に学んだ者(東京大学学生)が公務員試験や司法試験で断然有利だった。これも、現在に至って腐敗している戦後政治戦後行政普及の大きな要因だと思われる。

 次に、ここ数日、
 昨年三月十一日以来の自衛隊の行動を改めて追ってみた。すると、その当時、マスコミに取りあげられず、我々の知らなかった自衛隊のもの言わぬ活動が見えてくる。
 
 例えば、水素爆発した福島第一原子力発電所の原子炉鎮圧作業を続けていた自衛隊の姿である。
 当時、東京消防庁のハイパーレスキュー隊が原子炉建屋に危険な放水をして三月十九日に任務を終えて帰京した。
 そして、記者会見でハイパーレスキュー隊長は、部下に命の危険のある作業を命じたことに対して、「隊員の家族に申し訳ない」と涙を流した。この会見に多くの国民は感動した。
 斯くの如く、東京消防庁は、任務を終えて「凱旋」した。しかし、自衛隊は、記者会見もなく、その前から原子炉の側で危険な任務に就き、東京消防庁が帰京してからも、隊長が泣いたその危険な任務を続行していたのだ。

 この東京消防庁が放水作業にはいるとき、色々な事情で当初の予定より遅れた。現場のことの知らない東京の大臣が、いらだって、消防は下がれ自衛隊がやれ、と命令してきた。
 その命令に対して、現場を指揮する自衛隊の中央即応集団(CRF)の田浦副司令は、現場に電話で交代命令を伝えてくる相手に、大声で「放水の本職に代われなどとは絶対言えん」と言った。
 その電話を切った田浦の手を、消防の隊長が、ありがとうといって握った。

 自衛隊は、沖縄戦の教訓を厳しく守っている。それは、軍が国民を見捨ててはならない、見捨てたと思われてはならない、というものだ。
 福島第一原発では、剛胆といわれる東電の吉田所長以下大勢の社員が現場に留まって懸命に炉心冷却の為の作業をしていた。東電に対する世間の風は冷たかったが、吉田所長(私の中学高校の後輩)は、死を覚悟して留まっていた時もあった。
 そこで、自衛隊の現場指揮官の田浦CRF副指令は、その吉田所長に会いに行った。そして、緊急時の、ここで働いている人々の救助作業を説明した。ヘリを飛ばし、戦車を急行させる、改装した装甲車を八台用意していると。
 この田浦を迎える吉田は、田浦の部下の岩熊一佐(大佐)らを水素爆発直前に原子炉側に入らせて負傷させてしまったことを謝罪しなければならないと緊張していた。
 しかし、田浦から東電職員の全員の救助作業準備完了の説明を聞いて、こらえきれなくなった。
 そして、田浦の手を強く握って泣いた。自衛隊の皆さんが、自分たちの避難計画まで考えてくれていたとは知りませんでした、と。

 自衛隊の知られざる活動について述べ始めれば切りがない。従って、最後に一つだけ記しておきたい。
 三月十七日のCH47チヌークという双発ヘリによる原子炉建屋上空からの原子炉への放水である。
 あれがどういう作業であったのか。
 決死の作業であった。
 高濃度の放射能を吹き上げる活火山の噴火口の上から大量の水を落とせばどうなるか、想像できない。
 この作業も、どうなるか、誰も分からない作業だった。
 しかしこの時、日本が放射能によって東西に分断され、国際社会の信用は失墜して潰れるかも知れないという焦燥感があった。
 そして、自衛隊幹部は決断した。
 中央即応集団(CRF)の宮島指令は、第一ヘリコプター団長の金丸章彦に命じた、「明日、何があっても撒け」と。
 このヘリ搭乗員の「選考」に関して宮島が聞くと、金丸は即座に、「そのままいきます」と答えた。ローテーション通り行くというのだ。
 宮島は、今回の原発作戦の中で、金丸のこの言葉が一番嬉しかった。何故なら、困難な任務であっても、部下の練度が高いので誰がやっても同じくらいできるという部隊長の自信が伝わってくたからだ。
 この作業を決断した火箱陸幕長は、「あいつらだけを死なせるわけにはいかない。俺が行く、六十年近く生きてきたから放射能を浴びてもいいし・・・」と思っていたと述懐した。

 そして、この自衛隊のCH47による原子炉上空からの放水は、全世界が見ていた。東京市場の株価が下げ止まった。オバマ大統領が菅総理に電話で「テレビで見たよ、すばらしい」と言った。
 このヘリ放水作業以降、宮島CRF指令はアメリカ軍が本気モードに入っていくのを感じた。彼は言う。「自分の国を命がけで守ろうとする姿勢に、彼等は感動し、それまで以上の支援を約束してきた。明らかにスイッチが入った。軍人とはそういうものですよ」

 以上、龍野隆浩著「ドキュメント自衛隊と東日本大震災」ポプラ社刊より。
 六月十二日、レンジャー訓練を終えて、練馬市街地を行軍した賞賛されるべきレンジャー隊員に対して、嫌がらせのプラカードを掲げて非難した一部の左翼と、その様子をことさら報道したマスコミへの憤りが残っているものだから、もの言わぬ自衛隊の姿を書きたくなった。是非、龍野隆浩氏の本を読んでいただきたい。
 
 そして、今の永田町の「あほらしい輩」が繰り広げるあほらしさを「あほらし」と見抜いて時間の無駄をせず、反対に、日本の将来を真に支えるもの言わぬ自衛隊員にさらに暖かい共感の環を広めていただきたい。
 この国民の共感の環から、我々の世代が目指す、「国家の再興」へ向かう真の保守の政権が誕生するのだから。

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