大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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明治三十七年十二月三十一日

平成23年12月31日(土)

 北海道の旭川近くの比布町に比布神社があり、その宮司は、国士の鎌田告人氏だ。かなりの危険人物である。
その近くの旭川神社の宮司は、鎌田さんの少し先輩の芦田高穂氏、その近くの美瑛神社の宮司の息子さんの権宮司が御家老こと狩野智也氏だ。
 この三つの神社と旭川の護国神社に参って暫し佇めば、北海道開拓とは、人々が何をしたことなのかがわかる。
 樹脂も凍る極寒の一面の大森林を切り開いたのである。
 冬に大樹を切り倒し春を迎え雪が融ける。すると、見渡す限り、三メートルほどの高さの太い幹が林立している大地が現れる。人々は、幹の間の陽のあたるようになった少しの大地を耕しはじめる。これら全て人力で行われた。
 陽のあたる大地が現れ、そこを耕すとしても、収穫は半年後だ。それまで、人々は、どのようなところで住み、また何を食べていたのか、痛切の思いをもって往時を偲ぶのである。
 同時に、人々は力を合わせて神社を建立した。
 この神社によって、人々は、この荒ぶる朔北の大地を「故郷」にかえることができたのだ。
 こうして、あの旭川そして美瑛の景観が生まれていった。

 また、この開拓と同時に、国家は旭川に第七師団を創設した。開拓中の人々が第七師団の兵士となった。
 帝国陸軍最強の師団である。
 そして日露戦争において、第七師団は、乃木希典軍司令官に率いられて旅順要塞を攻撃中の第三軍に送られ、明治三十七年十一月二十六日に開始された第三次総攻撃における、
夜間に松樹山を突破して旅順市内突入を目指す白襷抜刀決死隊と二百三高地突撃に投入される。
 松樹山の白襷隊三千名は、十一月二十六日深夜の突撃開始から数時間後に壊滅する。
 しかし、二百三高地突撃は第七師団と第一師団(東京)とによって血で血を洗いながら続けられ、十二月五日、遂に彼らは二百三高地の頂上に達した。

 その時、旅順に来ていた満州軍総参謀長の児玉源太郎大将は、第七師団の大迫師団長を見つけて、
「大迫、北海道の兵は強いようじゃのー!」と声をかけた。すると、大迫師団長は、大声で答えた。「強うございます!」と。
 しかし、その時、旅順到着時には一万数千の兵がいた第七師団の半数以上が消滅していた。師団長は戦死した将兵のことを「強うございます」と過去形ではなく今なお生きているように言ったのだった。
 旭川周辺の大地を開拓した人々は、こうして、お国のために旅順の土を血に染めた。
 そして第七師団は、旅順において如何に消耗激しくとも、以後も、なお、師団としての戦闘力を維持しつつ北上し、三月十日の奉天会戦まで戦い続ける。
 まさに尋常の闘魂ではない。キリスト教国のロシアは、これを悪霊といい、乃木は悪魔かと恐れた。

 本年九月末から十月にかけての三日間、浪速の浪曲師松浦四郎若さんは、この朔北の第七師団の地である比布神社、旭川神社、護国神社そして美瑛神社で、乃木希典将軍の浪花節、浪曲を披露した。最終日の十月三日には旭川に雪が降った。
 
 十二月に入り、比布神社に電話すると、既に外気温は急速に下がって、氷点下二十度を下回っているとのこと。
 その時、頭をよぎったのは、日露戦争二年前の八甲田山雪中行軍は、このよう気象条件のなかで敢行され遭難していったのではないかということだった。
 この時、青森五聯隊はほぼ全滅し、八甲田山踏破に成功した弘前の第八師団の福島隊も、二年後の日露戦争における黒溝台の戦いで、福島大尉ら全員が戦死した。福島大尉の戦死は、明治三十八年一月二十八日午後四時頃である。

 十二月二十六日の「たちあがれ日本」の忘年会の前に、乃木坂の乃木神社に参拝し、厩が立派な煉瓦造りで人が住む家は木造の乃木さんの家を拝した。

 本年は、しきりに、我が民族の叙事詩、日露戦争を思い起こす年となった。
 多分、私のなかで、三月十一日に発災した東日本巨大地震の被災地の人々の、苦難と悲しみのなかでも助けあい秩序を保った雄々しい姿と、黙々と日露戦争を戦い抜いた人々の姿が重なるからではないか。
 これらは、もの言わぬ、同じ、日本人の英雄的で献身的な姿なのだ。

 明治三十七年十二月三十一日、まだ旅順要塞は陥落していない。
 十二月十八日午後十一時五十分、第十一師団(善通寺)は、東鶏冠山北堡塁を陥落させた。
 十二月二十九日午前三時、第九師団(金沢)は、二龍山堡塁を陥落させた。
 十二月三十一日午前十一時五十分、第一師団(東京)は、松樹山堡塁を陥落させた。
 是によって、第三軍は、旅順の三大永久堡塁を全て攻略した。
 残る堡塁は、それらの奥にある東北正面の最高地の望台である。
 百七年前の大晦日の今日も、旅順では戦いが続いていた。

 翌明治三十八年一月一日午前七時三十分、望台を双眼鏡で眺めていたい第九師団第三十五聯隊の増田惟二少佐は、「穫れる」と直感する。そして、直ちに突撃した。同時に、第十一師団第四十三聯隊の松田三郎少佐も突撃した。全て肉弾突撃である。
 そして、遂に、午後三時三十分、望台は陥落する。

 望台陥落から一時間後の、明治三十八年一月一日午後四時三十分頃、第三軍の前哨に旅順要塞司令官ステッセルの軍使が訪れ、降伏を申し入れた。
 ここに、運命の旅順が陥落する(以上、鈴木壮一著「日露戦争と日本人」かんき出版より)。

 日露戦争を思うことは、日本人が歴史の連続性を取り戻し、戦後から脱却する為に必要なことである。

 国、乱れている。しかし、忠臣は必ずここから出るのです。
 
 皆さん、日本を信じるんです。そして、再興を念じましょう。
 皆さん、この一年、ありがとうございました。
 東北の皆さん、
 明日という日は、明るい日と書きます。
 どうか、がんばって下さい。
 皆さん、よい新年をお迎えください。

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