大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

  • 西村眞悟 Facebook
  • 西村眞悟 twitter
  • 西村眞悟 RSS
西村眞悟の時事通信
  • HOME
  • 西村眞悟の時事通信

統帥と戦略、戦術、戦闘

平成23年12月9日(金)

 昨日十二月八日、「真珠湾」を書いた。
 真珠湾の何を書いたのか。「戦闘」を書いた。
 そして、文明論的意義ともいうべき「戦闘」の偉大な成果と、それを果たした戦闘員の至高の練度と熾烈の闘魂を讃えた。
 
 それと同時に、「真珠湾」の戦闘員に対して、旗艦にいる指揮官と参謀に、その「戦闘」を「戦争の中で位置づける頭」がなく、その結果、利敵行為ともいうべき優柔不断、保身、臆病という「敗戦にいたる病」が潜在していたこと、このことも指摘した。
 さらに、我が国にだまし討ちとの汚名を着せる言いがかりを与えた外務省の万死に値する怠慢を指摘した。今からでも遅くはないから腹を切れ、と。

 以上の指摘をすれば、やはり、統帥と戦略戦術についても書いておく必要がある。

 分かりやすく言えば、
 どの国と戦争するかを決定するのが「戦略」
 何処で何をもって戦うのかを決定するのが「戦術」
 如何にして敵を殺し殲滅するかが「戦闘」
 以上の各段階を指揮するのが「統帥」
 である。
 十二月八日は、真珠湾でこの「戦闘」があった日である。

 では、我が国の、統帥と戦略と戦術は、何処にあったのか。
 このことについて、以下、書いておかねばならない。
 つまり、次の課題の点検だ。
 第一、あの時点で、アメリカと戦争を開始する(戦略)。
 第二、戦争開始の場所は真珠湾である(戦術)。
 第三、その各決定を誰が指揮していたのか(統帥)。

 結論から言えば、「戦闘」における戦闘員の明快な行動と正反対に、この三つの課題は曖昧模糊としている。
 そして、ここに我が国の敗因がある。

 まず、第三の「統帥」に関して述べておきたい。
 
 日露戦争の直前である明治三十六年十二月、帝国海軍を率いる山本権兵衛の強力な主張を受け入れて、「戦時大本営条例」が改正(改悪)された。
 従来は、平時は陸海軍は各々独自の指揮監督下で運用されるが戦時には指揮権は陸軍のもとに統合されるとされていた。つまり、戦時は陸軍のトップが陸海軍を指揮することになっていた。
 山本権兵衛は、海軍が陸軍の指揮下に入ることに不満を持ち、戦時においても平時通り陸軍は海軍を指揮することはできない、つまり海軍は戦時においても海軍独自の軍事行動がとれるように「戦時大本営条例」の改訂を主張したわけである。
 細かい経緯ははぶくが、日露開戦の迫る時、陸海軍の分裂を防ぐため、陸軍と政府は、山本権兵衛の主張を受け入れ、戦時においても陸海軍の指揮権が並列することを受け入れた。
 ここにおいて、戦時においても、陸軍の統帥は参謀本部、海軍の統帥は軍令部にそれぞれ「分裂」したのである。
 つまり、ここにおいて、我が国は、戦時における陸海軍を統合する本部(GHQ)を喪失した。即ち、我が国は国家総力戦となった近代戦争を遂行する体制を喪失したのである。
 けれども、日露戦は、近海迎撃(海軍)と朝鮮半島・満州(陸軍)という単純明快な戦術・戦闘しか選択の余地がなかったので陸海軍の指揮の分裂は国家の破綻をきたさなかった。そして、日露戦争に勝ったことが、かえって、統合本部の喪失という国家的欠陥に対する点検の機会を奪った。

 しかし、この統合本部の喪失、統帥の分裂が、昭和十六年にはとてつもない事態を引き起こしていたのだ。
 ざっと昭和十六年を概観すれば、
同年十月まで首相は近衛文麿である。近衛は揺れ動きながらアメリカ大統領との首脳会談を模索するなど虚しい和平交渉を続けながら内閣を投げ出し総辞職する。東条英機が総理になるのは、それからである。
 そして、十月に総理になるこの東条は、昭和天皇の「白紙還元の御諚」を伝えられて内閣を率いることになる。
 この「白紙還元の御諚」とは、近衛の時の九月六日の御前会議決定にとらわれることなく慎重にやれ、ということ。
 
 では、その九月六日の御前会議決定とは何か。それは、次の通り。「十月上旬までに(日米)交渉が成立しなければ直ちに開戦を決意する」
 この御前会議決定を白紙に戻す、と言うことは。
 日本政府は、昭和十六年十月の段階においても、戦争をする相手はアメリカだと決定していないということである。
 しかしこの時、連合艦隊は何をしていたのか。
 赤城、加賀、蒼龍そして飛龍の空母搭乗のパイロット達は、
既に九月から、真珠湾と地形の似ている鹿児島湾で雷撃と爆撃の猛訓練を行っていた。そして、十一月には、この四隻の空母に搭載する飛行機の塗装の塗り替えと耐寒艤装(寒冷地用の艤装)が完了していた。連合艦隊は、明確に北太平洋を目指していた。
 つまり連合艦隊司令長官は、この時既にハワイ真珠湾攻撃を決意していたのだ。
 このことは海軍軍令部総長も知らない。もちろん、首相である近衛も十月に首相になった東条も知らない。

 知らないどころか、東条首相と参謀本部と軍令部は、迫り来る米英との戦端を開くという未曾有の事態に対する戦略戦術を脳漿を絞り出して検討し決定する。
 緊迫度を増す十月になって、近衛に内閣を投げ出された東条にとっては、たまったものではないが、之は彼ら国家の中枢にとって、当然のことであろう。
 彼らは実に十一月十五日までその作業に集中している。
 米の最後通牒であるハルノートが伝達されてくるのは、その十一日後の十一月二十六日である。
 
 即ち、十一月十五日、大本営政府連絡会議は、大東亜戦争の戦略戦術の大方針である「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を決定した。
 この大方針の基本(ベース)は、
「速やかに極東における米英蘭の拠点を覆して自存自衛を確立するとともに、更に積極的措置に依り蒋政権の屈服を促進し、独伊と提携して、まず英の屈服を図り、米の継戦意思を喪失せしめるに努む」
 というものである。
 注目すべきは、アメリカに関しては英のように「屈服」を目標として掲げず「継戦意思の喪失」を目標に掲げている点である。
 彼らは、アメリカ世論の動向とアメリカの恐るべき潜在的な力を十分に考慮したと思われる。

 さて腹案は、戦争を四つの段階に分けている。
第一は(南方作戦)、
 南方資源地帯の制圧、つまり「自存自衛の確立」
第二は(西亜作戦)、
 インド洋制圧とインド独立と英の屈服そして蒋介石支援ルートの切断。
第三は(支那作戦)、
 支援ルートの切断された蒋介石との和平実現。
そして、第四にやっとアメリカ対処が出てくる。
 即ち、アジアの拠点を奪われたアメリカが太平洋を渡って来襲してくるならば、それは数年後と見て、補給線の伸びた敵を近海で迎撃する。

 これが、我が国の対米英蘭蒋戦争に対する戦略戦術であった。
 腹案が、アメリカ対処を最後にしたのは適切である。
 インドが独立し英がアジアで屈服すれば、アメリカはアジアに来る意思を喪失する、と腹案は判断している。
 当時アメリカは、ヨーロッパ戦線にも正式に参戦しておらず、さらに、ルーズベルトは前年の十一月六日に大統領に三選されるが、選挙中には、
「お母さん、皆さんの息子を私は絶対に戦場には送りませんよ、安心して下さい」と言いまくって当選していたのだ。
 
 腹案は、よくできている。
 そして、現実には、第一段階(南方作戦)は一挙に達成され、第二段階(西亜作戦)の途中まで達成された。
 
 しかし、この「戦争終末促進に関する腹案」の基本方針に反することを、最初から実施し、しかも順調に進んでいた第二段階を自ら放棄して、結局、腹案全体の戦略と戦術、我が国家の基本戦略を崩壊せしめた人物がいた。
 我が国から統合幕僚本部を喪失させた山本権兵衛に続く、
海軍のもう一人の山本。山本五十六連合艦隊司令長官である。

 十一月中旬、鹿児島、宮崎という南方にいた連合艦隊は航空機の耐寒艤装を完了し、乗員に進路を告げず出港する。
 空母加賀においては、出航後、艦長が全員を飛行甲板に集め、遙かに見える四国の山々を指さして、
「これが貴様達が最後に見る我が国土だ」、
「ただいまより、我々は日本の本土に別れを告げる」
と訓示した。
 そして、十一月二十三日未明、連合艦隊の全空母が択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。
 繰り返し念を押しておくが、この連合艦隊の行動は、ハルノートが我が国政府に伝達される前である。

 ハルノートは、十一月二十六日に我が政府に伝達された。そして、政府内で、甲案、乙案入り乱れて検討に入る。即ち、腹案の通り南方作戦に打って出るか否か、である。
 しかし、このハルノートが我が国に伝達された同じ日に、連合艦隊は単冠湾を出港し、一路ハワイを目指して進撃を開始した。
 
 つまり、山本五十六は、矢を弓から放ったのである。しかも安全な瀬戸内海の戦艦長門のなかからである。軍令部総長でもあるまいし、実戦部隊の司令長官なら、ハワイまで行けと言っておく。ハルゼーやスプルーアンスが、戦争中、カリブ海にいたことがあったのか。
 
 元に戻って、空母機動部隊の出撃のこと、東条以下政府そして参謀本部、誰も知らない。
 一体これが、近代国家が総力戦を始める際の出来事か。
 これでは、山本が勝手に連合艦隊を動かして対米戦争を始めたようなものではないか。
 山本の私闘である。この博打打ちめが、と言いたい。
 貴公はブーゲンビルで「名誉の戦死」をさせてもらったからまだいい、生き残って貴公にかわって戦争の責任者として首に縄を巻かれてぶら下げられた東条以下七名に謝罪したのか。

 しかも、山本が勝手に望んだ真珠湾奇襲攻撃は、
アメリカの国内事情、戦争回避の国民世論、その中でのルーズベルト政権の公約から見て、明らかな、戦略的、戦術的誤りなのだ。

 十一月十五日に、大本営政府連絡会議で「腹案」を決定したばかりの東条首相と参謀本部は、連合艦隊の出撃後の何日かに、その事実を知らされた。
 矢は既に放たれているではないか!と、腰を抜かしたはずだ。
 なお、軍令部総長は、政府と陸軍以前にそのことは知らされていたと思われる。
 難色を示す軍令部総長に、山本は、駄目なら俺は司令長官を辞める、とごねた。
 この点も、日露開戦の迫る時期に、持論実現を迫った明治の山本と昭和の山本は似ている。

 以上の通り、統帥が分裂している国家的欠落の結果、既に決定された基本的国家戦略に反する形で戦端が開かれた。
 とは言え、戦況は、アメリカ世論の猛然たる対日激昂という要素(実は之が決定的な誤算)以外は、腹案の通り推移し始めた。第一の南方作戦は成功し、第二段階の西亜作戦のインド洋制圧も、シンガポール陥落、ビルマ制圧、イギリスインド洋艦隊撃滅で成功寸前だった。
 これは、「真珠湾」同様、戦闘員の熾烈の闘魂と至高の練度、勇気、献身の結果である。
 しかし、ここに、このインド洋制圧を途中で放棄した者が現れる。即ち、また、連合艦隊司令長官である。
 
 アメリカにも特攻精神はあった。
 日本の、真珠湾奇襲、騙し討ち、sneak attackに復讐心を燃え上がらせたアメリカはドーリットル中佐のもとで特別攻撃隊を編成し、空母からB17爆撃機を飛ばして東京を空襲した。
 この爆撃は、片道切符で東京上空に至り、爆弾を落としてそのまま飛び続けて支那大陸のどこかに不時着するという勇猛果敢支離滅裂なものであった。そして、彼らが投下した爆弾も線香花火のような効果しかなかった。
 しかし、このドーリットルの敢闘に、か弱い神経を動揺させた者がいた。
 連合艦隊司令長官である。
 帝都に爆弾を落とされた!彼は動揺し、彼にとっては、今直ちにアメリカの空母をやっつけることが、連合艦隊の全目的となった。
 そして、この博打打ち!
インド洋から西太平洋のミッドウェーに空母機動部隊をもっていったのだ。そして、壊滅した。

 ここにおいて、インド洋制圧は永遠に不可能となり、インド独立も英の屈服も、米の継戦意思喪失も無くなった。
 そして、対支作戦の蒋介石支援ルート切断の為、ビルマ戦線、インパール作戦において十九万人の将兵が戦没する。
 連合艦隊が、インド洋を制圧して敵のシーレーンを切断しておけば、自然に蒋介石支援ルート入って来る物資、武器弾薬そして浙江財閥(蒋介石の女房)が欲しがる財宝、は無くなったのに。
 
 斯くして、大東亜戦争における我が国家戦略は崩壊した。

 本日は、ここまでとしたい。
 また、博打打ちに腹が立ってきた。

 次に書くべきは、スターリンに匹敵する二十世紀の悪、
フランクリン・ルーズベルトという人物のことだろう。
 彼ほど、狐のように(like a fox)ずるい男はいない。いつか書く。
 
 この男は、密かににやりと笑って思ったはずだ。
 我がアメリカは、国家最高勲章を、
 あの男に授けねばならない、と。
 あの男。そう。
 大日本帝国海軍連合艦隊司令長官山本五十六だ!

新着記事

  • 平成29年9月21日(木)
    日米首脳の連携は見事である。アメリカのトランプ大統領は、十九日、国連総会で演説を行い、核ミサイル開発を続け、威嚇的にミサイルを発射する北朝鮮に対して、「完全破壊」の警告を発するとともに、北朝鮮に十三歳…
  • 平成29年9月19日(火)
    数日前に、産経新聞朝刊が最初に一面大見出しで、「衆議院解散」を報じたとき、あれ、何を考えているのか、と、一瞬、解散権を持つ安倍総理の頭の中のことを思ったが、その後、得心した。何故なら、我が国を取り巻く…
  • 平成29年9月13日(水)
    昨日、「安保理決議は軍事力行使の手段である」と題する時事通信を発信してから、夕方に、大阪で元航空支援集団司令官で空将の織田邦男閣下の話を聞く機会があった。私は、昨日の時事通信で、アメリカのトランプ大統…
  • 平成29年9月12日(火)
    国連安保理決議は「目的」ではなく「手段」だ。では、何の「手段」か。「斬首作戦」開始の「手段」である。日本以外の諸国、特にアメリカにとって、「政治と軍事」は車の両輪であることを忘れてはならない。アメリカ…
  • 平成29年9月9日(土)
    九月九日の、現時点で、まさに今が、東アジアの、「戦争か平和かの分岐点」であると感じる。分岐点というより、我が国は、今、爆発の予兆がする噴火口の上に乗っているのだ。従って、ジタバタすることなく、覚悟を決…

アーカイブ