大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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真珠湾攻撃から七十年

平成23年12月8日(木)

 本日、帝国海軍空母機動部隊がハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃してから七十年にあたる。
 戦果は
 太平洋艦隊旗艦ウェストバージニアを含む戦艦五隻、駆逐艦三隻、その他三隻、沈没。
 戦艦三隻、巡洋艦三隻、中破。
 航空機二百三十一機、破壊損傷。
 航空母艦の損傷はゼロ。
 戦死傷行方不明者、二千四百二人、内民間人六十八名。

 また、二日後の十二月十日、マレー東方沖において帝国海軍機が、イギリスの最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した。

 これら太平洋とマレー沖の二つの戦果は、世界の海軍がなしえないと思っていたことを、日本の帝国海軍が一挙に為したことを世界に示した。
 即ち、五千五百キロ離れたハワイの世界一流の軍港に、空母を中心とする機動部隊を接近させ空からの爆撃を成功させたこと。
 また、世界の海軍は戦艦の強度に自信を持ち戒厳体制で戦闘行動中の戦艦を、航空機で沈めることは不可能と認識していたときに、帝国海軍機は一挙にその常識を覆した。

 ところで、十二月に入り、NHKが日米開戦七十周年の特集番組を放映したらしい。その出来は、惨憺たるものだったと観た人から聞いた。私は、幸い、台湾に行ったり所用があったりして観なかった。

 思うに、NHKなどはほっといて、我々は、戦前戦後の連続性を取り戻さねばならないのだ。
 アメリカを中心とした連合軍は、戦前の日本を悪い国、として戦前と戦後を断絶させた。
 その結果、戦後の日本人は、知らず知らずの間に、戦前の日本を何か別の世界のことのように見るようになった。つまり、サダム・フセインのイランや金正日の北朝鮮のように。
 その結果、今朝の産経抄のように、学生からあっけらかんと「日本はアメリカと戦争したのですか」と質問されて驚く大学教授がでることになった。
 しかし、考えてみれば、戦前と現在つまり戦後が、断絶しているとする前提では、このような学生は当然出てくる。
 これは、敗戦国日本を占領統治した占領軍の占領政策(日本人の洗脳)が見事に成功していることを示す結果なのだ。

 そこで、七十年、戦前と戦後は断絶なく連続しているという当然のことを意識して、真珠湾攻撃とマレー沖海戦について述べたい。

 まず、
 この戦果は、バスコ・ダ・ガマが、ヨーロッパからインドにいたる航路を「発見」してから数百年続いてきた白人のアジア進出と優越的地位を、アジアの日本がドンピシャリと切断し転覆した文明論的転機である。
 之に続くシンガポール陥落に直面して、チャーチルもドゴールも日本の行動が文明の転換をもたらしていることを認めた。
 この転換は、アジアの庶民も肌で感じたと思われる。それが独立の原動力となり、その記憶は、今もインドやアセアンの諸国にある。
 石原完爾将軍は、ある中国人留学生から、ニューヨークやロンドンに租界を造ってほしいと頼まれたと講演で語っていた。

 同時に、
 これらの作戦に参加した全将兵の練度と闘魂に心より敬意を表する。そして、誇りに思う。
 彼らの勇気と闘魂は、民族の叙事詩として末永く語り伝えられなければならない。
 作家の門田隆将氏が「太平洋戦争 最後の証言」三部作(小学館)を書いている。第一作第一章は「運命の真珠湾」だ。
 そこに、二十歳で空母加賀の二番機搭乗員として敵の旗艦である戦艦ウェストバージニアに低空から魚雷をぶち込んだ前田武さんの聞き取りが書いてある。
 まさに真珠湾攻撃の成功は、参加した全将兵の猛烈なる訓練による至高の練度と決死の闘魂によって果たされたものである。之は、今九十歳を超えた祖父が二十歳のときに命をかけて戦った結果である。
 その勇気と祖国に対する献身と英雄的な戦いを、末永く語り伝えなければならない。

 またイギリス側からは、武士道の生きている姿が報告されている。
 十二月十日、沈みゆく戦艦プリンス・オブ・ウェールズの艦橋に艦長以下士官が集合したときに、帝国海軍機がその横を飛び去った。その時、パイロットは敵の艦長に敬礼していた。
 またプリンス・オブ・ウェールズ沈没後、戦果確認に飛来した帝国海軍機は、沈没海域に花束を投下して飛び去った。

 門田氏は、「はじめに」で次のように書いている。
「年を経るごとに『歴史』となりつつある太平洋戦争(大東亜戦争)について、今ジャーナリズムの最後の戦いが続いている」
 つまり、今、ご高齢となった元兵士の最後の貴重な証言をえなければならない時なのである。
 
 大正時代に生を受けた男子は、千三百四十八万人。そのうち、二百万人が戦死している。大正生まれの七人に一人が戦死しているのだ。さらに、大正十年から十五年生まれの世代に限れば、戦死率は大正生まれ平均の七人に一人よりだんとつに高くなる。
 この歴史を、断絶の彼方に放置しておく国家に未来はない。

 そこで、戦前戦後は連続しているのであるから、今さらのように腹が立ち頭にきていることを言う。

 機動部隊司令長官南雲忠一中将、参謀源田実。
 貴公らは、何故、真珠湾に対して第三次攻撃を敢行して、百以上の航空機用、艦船用の燃料タンクを破壊しなかったのか。
 第三次攻撃準備完了!
の報告は、次々と源田参謀に届いていたはずだ。
 この第三次攻撃を敢行しておれば、敵の太平洋艦隊は空母を含めてアメリカ西海岸まで後退しなければ動けなくなる。まさに、日米の勝敗を分ける節目ではなかったのか。
 死を決したパイロット、搭乗員の勇敢さに比べ、
 何たる馬鹿者か、優柔不断か。
 
 源田実参謀は、昭和三十年代に参議院議員に立候補する。
 そこ時、GHQによって、有権者の意識が戦前から断絶させられていなければ、彼は、
「何故、真珠湾への第三次攻撃をしなかったのか」
という日本にとって切実な疑問に明確に答えねばならなかったであろう。
 第三次攻撃せず、は、お前は、アメリカのスパイだったのかと言われても仕方のないほどの利敵行為だったからだ。
 それから、彼の演説を聴く聴衆から次の発言があったはずだ。
「ミッドウェーに機動部隊をもっていったのは、敵空母を沈めるためで陸を爆撃する為ではなかったはずだ。
 では何故、攻撃機から魚雷を外して爆弾を積むように命じたのか。その理由をいえ。
 お前の馬鹿な判断のために、かけがえのない空母四隻が沈み、世界最優秀の多くのパイロットが戦死し、我が国の敗戦への道が始まったのだ。
 そのことに蓋をして、生き残ったから参議院議員になりたいとは何事か!馬鹿者!」

 それから、申し合わせの時刻きっかりに真珠湾上空に達した雷撃機、爆撃機、護衛の零戦の各搭乗員達は、午前八時以前の攻撃はするなという命令をまもり、その時刻経過と共に満を持して攻撃を開始した。すばらしい統率である。
 それは、ワシントンで我が国の宣戦布告をアメリカ政府に伝達した後に、攻撃を開始する為であった。
 それを何たることか!
 駐ワシントン日本大使館員は、真珠湾攻撃の前夜、館員の歓送迎会で飲酒しすぎて大使館への出勤が遅れ、申し合わせの時刻から大幅に遅れてアメリカ政府に宣戦布告を伝達することになってしまった。
 このために、真珠湾の勇士だけではなく、日本の国家と民族も、「だまし討ち」の汚名を受けることになった。
 しかるに、現地大使館員の一人だに、罪万死に値するとして腹を切り自決した者もなければ、外務省という組織自体にも、その重大責任の故に厳重処分が為された形跡もなく、打ち過ぎた。
 仮に、一人でもその時、ワシントンで腹を切っておれば、真珠湾攻撃は意図しただまし討ちではなく、攻撃開始より宣戦布告が遅れたのは、大使館員の手落ちであるとアメリカ国民に伝わったはずだ。之によって、国家と民族と勇士にかけられた汚名を雪ぐことができたではないか。

 真珠湾攻撃が、すばらしい攻撃であったが故に、以上のこと、今さらのように腹が立つ。
今からでも遅くはない、真珠湾攻撃七十年、外務省で誰か腹を切れ。

 さて、あれから七十年が経った。つまり、これからが「歴史」としての大東亜戦争、真珠湾攻撃研究の始まりだ。
 その為に、アメリカが未だ公表しない、フランクリン・ルーズベルト政権の全ての文書の公開を、日本政府は求めるべきである。
 以前、スーパーマーケットの息子が外務大臣をしていて、沖縄返還時の「密約」を暴くことに執心していた。
 馬鹿ではないか。馬鹿である。
 外務大臣として、というより日本人としてやるべきことは、ルーズベルト政権の検証である。

 アメリカのルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃を知っていた。それ以上に、真珠湾攻撃を仕向けたのはアメリカである。
 東京裁判では、「戦争の謀議」故に東条英機以下七名を絞首刑にした。
 仮にワシントン裁判があれば、正真正銘の「戦争の謀議」故に、アメリカ大統領ルーズベルトとイギリス首相チャーチルは、確実に絞首刑である。
 
 近衛総理大臣が日米首脳会談を呼びかけた昭和十六年八月、アメリカ東海岸沖にイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズが首相チャーチルを乗せて来ていた。
 そこにルーズベルト大統領が乗り込む。
 表向きは、大西洋憲章の発表であるが、
 実質、中身は、対日戦争の謀議だ。彼らはそれを、
「Backdoor to The War」(裏口からの戦争)と呼んだ。
 Backdoorとは真珠湾である。 
 Warとはヨーロッパ戦線である。
 
 チャーチルは、日本の真珠湾攻撃の報に接し、
「ドイツとの戦いが始まってから、初めてぐっすりと眠ることができた」と日記に書いた。
 ルーズベルト政権の検証は、真珠湾攻撃が七十年を迎えたこれからが、日米両国にとって必要なのだ。
 歴史は、教訓の宝庫であるからだ。

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