大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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イスラエルにて

平成22年4月25日(日)

 私がよく思い起こし語る人に英国の宰相、ウインストン・チャーチルがいる。
 チャーチルは、英国の歴史を勉強し、自分の先祖のマルボロー卿の名誉を回復するためにその伝記を書いた。その為にマルボロー卿が戦ったヨーロッパ大陸の古戦場を現地視察した。
 彼は、政治家に不可欠な愛国心は、自国の歴史を学ぶことから得られると語っている。
 彼の「第二次世界大戦回顧録」は貴重な記録である。これらの著作によって彼はノーベル賞を受けている。
 そして、これらのチャーチルの著作活動は、主に彼の落選中の期間に為されている。彼が落選を経験しなければ、これらの著作は世に顕れなかっただろう。雑用に追われる議員活動のなかでこれら膨大な調査と著作は無理である。彼の落選は、政治家であるチャーチルを鍛え、英国がナチとのバトル・オブ・ブリテンに勝利する準備をした。
 
 そこで私のことである。
 別にチャーチルにかこつけて語るわけではないが。
 しみじみと今までの自らの歩みを顧みて、今まさに、自らを鍛え、祖国への愛と祖国再興の原点を探る絶好の期間が、自分の人生にも与えられているのを感じる。
 この度、四月十五日から二十四日まで、イスラエルを訪問した。まさに、有意義な訪問をさせていただき、この機会を与えられたことに感謝して帰還した。
 この間の国内の動きは、ご承知の通りである。
 私も、携帯という便利な機器で直接当事者と話したりテレビ、インターネットで情況を知りながらイスラエル国内を移動していた。
 そして、以前この通信で書いた「私の腹は決まっている」という思いをますます強めていた。

 さて、何故この時期にイスラエルを訪れたかであるが、それは、イスラエルでは、四月二十日がイスラエル建国記念日、その前日の十九日が戦没者記念日、その一週間前がホロコーストの犠牲者を思い起こす日であるからである。
 従ってこの度の訪問で、建国六十二周年記念式典と大統領官邸祝賀レセプションに出席し、その前後に建国以来七度の戦争を経験した将軍達やモサド元長官と懇談できた。
 さらにまた、旧約聖書に書かれたとおりの、「荒野で呼ばわる者の声がする」というそのイスラエルの「荒野」と「聖地」を訪れることができた。
 よって、ここで、日本再興に結びつくイスラエル建国記念日前後の様子をご報告したい。

 まず、六十二年前にテル・アビブにおいて初代首相のベン・グリオンが宣言したイスラエル独立宣言の冒頭は、「建国への道」と題し、次の文章で始まっている。
「イスラエルの地に、ユダヤ民族は興り、そこにその精神的・宗教的・政治的『アイデンティティー』が形成された。
 彼らはここに主権国家の生活を営み、民族の、かつ全人類の文化財産をつくり出し、全世界に永遠なる「書の中の書(聖書)」を遺した。・・・」
 この独立宣言冒頭の民族の興りと特色つまりアイデンティティーを、我が日本もイスラエルと同じように自覚し宣言できる。
 「日本列島の地に、日本民族は興り、そこに、その精神的・宗教的・政治的『アイデンティティー』が形成された」と。
 
 ユダヤ人は、この「民族が興った地」から紀元前六世紀、バビロニアに捕囚され、さらにユダヤ国家はローマに滅ばされ、民は二千年の国家無き流浪の末に、六十二年前の一九四八年にイスラエルとして建国されたのである。
 これに対して、まことにありがたいことである。我が日本は、民族が興った地から追放された経験はない。しかし、今こそユダヤ人を見習い、民族が興った地への愛と、そこで形成された民族のアイデンティティーへの誇りを忘れてはならない。しかし、このありがたさに甘えて、日本人は民族の自覚と誇りを失いつつある。
 
 このローマに対するユダヤ人の最後の戦いにマサダの陥落がある。マサダは、死海の西岸にほぼ垂直に四百メートルせり上がった天然の岩の要塞で、エルサレム陥落後に約千名のユダヤ人が、ローマ軍と三年間戦い続け、紀元七十三年に九百七十六名が自決して陥落した(生存者は、女性二名と子ども五名)。
 その自決に際して、エルアザル・ベン・ヤイールは、次の通り演説した(ヨセフスの「ユダヤ戦記」より)。
 「高邁なる友よ、我々はずっと以前から、人類の唯一なる真にして義である主なる神以外には、ローマ人であれ、何人であれ、奴隷にならないと決心してきた。そしてこの決意を実行に移して眞なるものとすべき時が今や到来した。・・・
 我々が自由な状態で勇敢に死ねることは、神が我々に与えたもうた恵であると、私は思わずにはおれない。・・・
 我々にはまだ、最愛なる同志とともに栄光ある死を選ぶこともできる。・・・
 我々の妻たちが辱めを受ける前に、子供たちが奴隷を経験する前に、死なせてあげようではないか。・・・自由を保持してゆこうではないか。・・・
 糧食のほかは何も残さずにおこう。何故なら、我々が死んだときの証として、我々が制圧されたのは必需品が不足していたからではなく、最初からの決意に従って我々は奴隷よりも死を選んだことを示してくれるだろうから」
 そして、男たちは自らの手で最愛の者達(妻と子)を殺した。そして彼ら(男たち)の中から籤で十人を選び、残りの者達は首を差し出した。選ばれた十人は恐れることなく使命を果たした後、再び籤で一人を選び、殺されていった。最後に残った一人は、宮殿に火を付け、自らの剣を体に刺し貫いた。
 
 マサダの山頂の発掘から、この籤で選ばれた十人が、それぞれ自らの名を署名した陶片が見つかっている。四月二十二日、マサダで二千年後にそれを観たとき、言いしれぬ感動を覚えた。
 建国以来、周辺諸国と七度の戦争を勝ち抜いてきたイスラエル軍は、新兵の入隊式をマサダで行う。新兵達は、マサダの上で、右手に自動小銃を握り、左手に旧約聖書を持ち、「マサダは二度と陥ちない」と誓う。
 
 私は、マサダを下から見上げたとき、その形状が、硫黄島の擂鉢山に似ていると思った。擂鉢山を三倍ほど大きくしたのがマサダの岩山である。まことに天然の要塞、数万のローマ軍が三年間陥落させることができなかった理由も分かった。
 そして思った。
 ユダヤ人がマサダで玉砕した者を勇者と讃えるならば、我々日本人も、同じように玉砕した者を勇者と讃えねばならない。
 アッツ島、硫黄島さらにインパールやペリリューやサイパンやレイテや沖縄の戦いに戦没した人達を勇者と讃えねばならない。
 沖縄の渡嘉敷島で集団自決した沖縄県民は、後世に二千年前のマサダにおけるエルアザル・ベン・ヤイールのような言葉を伝える者を得なかったが、マサダの勇者と同じではないか。
 この尊い人達を、讃えることなく犠牲者と憐れんでいるだけでは、国家の再興はできない。彼らを讃えることなく憐れむ対象としての追悼だけを続けてきたのは、生き残った我々戦後日本人が、マサダの勇者が最も嫌ったローマ(GHQ)の「奴隷」になった証拠である。
 大東亜戦争で戦没したすべての将兵と日本国民は、マサダの勇者と同じである。
 その勇気を讃え感謝し追悼し、これらの勇者を生み出した我が国の「民族が興った地と、その精神的・宗教的・政治的アイデンティティーが形成されたこと」を誇りに思うことが、国家再興の精神である。

 イスラエル戦没者記念日の前日である十八日の午後八時、サイレンとともに、全イスラエルが二分間の黙祷に入った。そして、当日である十九日の午前十一時にもサイレンが鳴った。
 その時私は、式典会場のヘルツェルの丘近くの道路にいた。混雑で車が進まず、前で交通事故が起こり交差点でわいわいと人々がもめていた。そこにサイレンが鳴った。するとどうなったか。
 人々は交差点でひしめき合う車から降りて黙祷に入った。私の乗ったバスの運転手も運転席から離れて黙祷している。道端では、銃を持った兵士たちも、交通巡査も、もめていた多くの通行人も子供たちも皆黙祷していた。聞けば、高速道路でも車を止めて黙祷するということである。
 その日、手に取った新聞の一面にある見出しには、大きく「イスラエルは、二万二千六百八十四名の戦没者とテロの犠牲者を覚えている」と書いてあった。エルサレムの街にはためく国旗は皆半旗であった。 
 ユダヤ人は、記憶の民である。この日、すべての戦没者の名が読み上げられていくという。
 ユダヤ人は言う。「忘却は、流浪を長引かせ、記憶は再生の鍵である」と。現在のユダヤ人も、旧約聖書を諳んじるほど読んでいる。
 シオニズム運動の先駆者、ビニヤミン・ヘルツェル(1860年生、1904年死去)が「もし貴方が願うならば、神話ではない」と教えたからである。
 ユダヤ人が言う「忘却は(民族の)流浪を長引かせる・・・」と。では、我が日本は、「忘却によって(民族が)流浪し始めている」のではないか。
 そして、記念式典会場には、生誕150年にあたるこのヘルツェルがよく言った聖書の次の言葉が掲げられていた。
「涙をもって種を撒く者は、喜びをもって刈り取る」

 さて、その記念式典であるが、午後七時半から始まり、まことに賑やかで活気に溢れていた。しみったれたところは微塵もなかった。それでいて、しみじみとした感動に溢れていた。
 まず世界の様々な地域からイスラエルに帰ってきた十二人の人々が語った。そして、十二の炎が灯った。十六歳の少女が語り、第二次世界大戦でナチと戦った九十一歳のまことに堂々とした女性が語った。
 
 私は、国を代表して演説に立った国会議長が、「イスラエルの将来は、政治家ではなく予言者が決める」と語ったことに感動した。
 彼は、旧約聖書の民として数千年前に現れた予言者を讃え、ヘルツェルをその予言者の一人として讃えている。
 私は、その歴史観の深さに感動したのである。我が国の政治家に、我が国の神話を根底にして演説を構成する者はいない。
 
 さらに彼が、今ガザ地区に捕らえられている一人のイスラエル兵の名をあげて、彼の救出に全力をあげると語ったことが印象的だった。
 我が国の、戦没者追悼式において、北朝鮮に拉致された被害者を全力をあげて救出すると政府責任者が語ることがあろうか。
 その発想自体が、我が国政府にない。
 イスラエルは、拉致された一人の国民に無関心でいることは、再び全ユダヤ人が国を失う道を開くことになるということを自覚している。
 少数の拉致された国民に無関心な政府は、結局全国民を護ることができない。この事は、日本もイスラエルも同じである。しかし、その自覚には、天地の差、歴然たるものがある。
 遙かイスラエルにおいて、横田めぐみさんらを救出する政府を樹立しなければならないと痛烈に思った。
 
 また、この式典の二日後に会った歴戦の将軍はモサドの元長官とともに、私に、何故日本政府は拉致被害者救出の具体的な行動を起こさないのかと尋ねた後にこう言った。
「我々は、北部戦線で、敵の四人の将軍が密かに前線視察に来るという情報をつかんだ。そして、その四人を生け捕りにして、多くの捕虜になったイスラエル兵士と交換することにして、それを実行した」
 これを聞いて、我が国に不法入国した金正日の息子を「政府特別機」でご帰国いただいた日本政府のバカさ加減と、あの外務大臣の顔を痛恨の思いで思い浮かべた。
 それにしても、駐日イスラエル大使にも質問されたのであるが、イスラエルに来て、将軍方やモサド長官OBから、
「日本政府は、拉致被害者救出に何をしているのか」とか
「何故、長年にわたって被害者を放置しているのか」などと度々尋ねられるのがつらかった。
 彼らに、長年にわたって北朝鮮による日本人拉致の事実に見て見ぬふりをして無為に過ごしてきた我が国歴代政府の情況を説明しても信じられないという顔をする。

 なお、式典でスピーチしたナチと戦った九十一歳の女性兵士の戦友に、ハンナ・セネッシュという女性がいる。彼女はイスラエルのジャンヌ・ダルクと言われている。二人は、空挺部隊にいた。
 ハンナは、ユーゴースラビアにパラシュート降下したが、ナチの捕虜となり残酷な拷問を受けたが、最後まで屈することなく仲間の名を言わずに二十三歳の生涯を閉じた。
 彼女の墓は、式典会場の近くにある。後日その墓を訪れた。
墓石の上に、誰が置いたのか、若く美しい彼女の小さな写真が置かれていた。
 思えば彼女が生涯を閉じた後の建国から六十二年後の記念式典で行進した彼女の後輩であるイスラエルの女性兵士達も、皆美しい娘さんであった。
 どれほど美しいか。それは、見とれるほどだ!
 その時、イスラエルよ、この美しい兵士達を敵の捕虜となる危険がある前線に出すのではないだろうな、と心配になった。
(後で確かめた。イスラエル軍は女性をアラブとの前線に出さない。私の思いと同様、イスラエル軍も、決して彼女たちをアラブの捕虜にしてはならないと判断しているからである。安心した。)

 以上、イスラエル訪問報告のごく一部である。本日は、ここまでで御容赦いただきたい。
 最後に、重要なこと。
 
 ゴラン高原における我が自衛隊の派遣部隊は、隊長佐藤慎二少佐(自衛隊用語では三等陸佐という)のもと、正々堂々とよくその任務を遂行しつつある。
 彼らは、第29次派遣要員四十三名で、西部方面隊(第八師団基幹、海自、空自を含む)から選考されている。
 彼らは、イスラエル北部のゴラン高原において、国際連合兵力引き離し監視隊(UNDOF)に対し派遣された。
 彼ら、第29次派遣要員は、ゴラン高原において、日々任務を遂行することにより、日本国のプレゼンス、存在感を高めている。まことに、全員、日に焼けた逞しい若者である。
 訪問して、彼らに会えて嬉しかった。ご苦労様、有り難う。
 九州熊本を根拠地とする西部方面隊からの選抜であることから、文字通りの「陣中見舞い」に焼酎を持参した。
 四月十七日、訪問を終えて日本隊の宿営地を出るに際し、隊員全員と「ふる里」を歌った。続いて私は、「抜刀隊」を歌った。

 読者諸兄姉におかれては、遙かな僻地、かつての戦車による激戦地ゴラン高原において、日本の自衛隊員が、まさに現在も、日々、正々堂々、また黙々として、明るくその任務を遂行し、世界に我が国のプレゼンスを高めていることをどうかご記憶いただきたい。
 彼らこそ、日本を背負っている。今の、鳩山・小沢政府ではない。

 帰国の機内である人が言った。
「嗚呼、また、あの鳩山や小沢の不愉快な顔を、毎日テレビで見なければならないのか」
イスラエル建国の原点を見た目には、彼らはあまりにも次元が低すぎる。

 なお、イスラエルで充実した日々を過ごせたのは、この旅を先導しヘブライ語の通訳をしてくださった日本イスラエル友好協会会長の
神藤 燿先生のおかげである。
 この場においても、心からお礼を申し上げる。

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