大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

  • 西村眞悟 Facebook
  • 西村眞悟 twitter
  • 西村眞悟 RSS
西村眞悟の時事通信
  • HOME
  • 西村眞悟の時事通信

アメリカの日本精神掃討作戦の結果

平成21年12月24日(木)

 昨日二十三日の天長節には、午後、堺の仁徳天皇陵から東北東約十三キロのところにある、仁徳天皇の父君である応神天皇陵を訪れ、
ご皇室の彌栄と日本国の安泰を祈った。
 
 もはや我が国は、平穏に過ぎゆくことができないほど精神・気力が衰えたと思ったからだ。
 中国共産党の中華意識に基づく対日要求に迎合屈服し、天皇を政治利用して、てんとして恥じない政府与党を目の当たりにした直後の天長節だ。
 このような政治を続けさせると、中国の国家戦略に絡め取られ中国の属国となり果てる。
 この屈辱的な流れと戦う、荒ぶる魂を呼び起こすには、
八幡宮の祖である応神天皇の霊に祈ることだと思った。
 冷たい雨の中、一人、応神天皇陵の正面に佇み、応神天皇、母君神功皇后そして御祖父日本武尊の霊に祈った。

 本日、上京し、一日遅れながら二重橋に至り、礼をして引き返し、楠正成の銅像を眺めた。郷里の山金剛山の正成公が此処にいると思った。久しぶりの二重橋で、荘厳の気に打たれた。
 後、所用を済ませ、再び大阪に帰った次第。

 さて、昨日の良き日に書くのを控えたことを次に書いておきたい。
 占領軍総司令部GHQは、日本占領後、日本断罪のために東条英機らをいわゆるA級戦犯として逮捕し極東軍事裁判(東京裁判)を企画するが、それを昭和二十一年四月二十八日の起訴状朗読をもって開始した。
 そして、当裁判において絞首刑を宣告された東条英機ら七名の死刑を、昭和二十三年十二月二十三日に執行した。
 GHQは、裁判開始と死刑執行に、昭和天皇と今上天皇の誕生日を選んでいる。
 GHQが、当時皇太子であられた今上陛下のお誕生日に死刑を執行したことは、マッカーサーが武人としての魂をもたない卑劣な軍人であったかを示すことである。それとともに、アメリカが決して対日戦争を停止していないことも示している。
 
 アメリカは、日本占領後に、日本の至高の価値であり、帝国憲法に「神聖にして侵すべからず」と表現された日本を日本たらしめている共同体の魂に攻撃を開始したのである。
 それは、検閲と追放を使う執拗で陰湿な追撃戦であり、日本人の歴史観を奪い精神的文化を破壊するものであった。
 
 このアメリカの占領下の戦争継続については、あまりにも広範囲に及ぶので今は詳述せずに、次のことを指摘しておきたい。
 つまり、このアメリカの追撃戦には、これに同調することによって戦後社会で有利な地位を得ようとする日本人自身が参戦し始めた。従って、アメリカの日本占領解除後にも、一部の日本人自身が喜々としてアメリカの占領下における対日攻撃を継続した。
 そして、結論だけ言うが、先日の天皇を政治利用しようとする中国共産党に迎合した鳩山由紀夫氏や小沢一郎氏という人格は、この風潮のなかで実に心地よく造られたといえる。
 彼らは、日本に対しては、天皇誕生日にA級戦犯の絞首刑を執行した占領軍と同じマインドであり、日本は悪い国ですという村山談話を信奉する総理大臣と与党幹事長である。
 これが、アメリカの日本精神掃討作戦の結果として、今我々の眼前にある。
もっとも、実利が伴う迎合の相手がアメリカ様から中国様にかわっている。
お分かりの通り、他に迎合する者ほど器用で変わり身が早い。

 以上、戦後体制からの脱却とは、実に壮大な歴史の回復であり、戦後の日本を自己否定する壮挙である。
 決して容易ではない。しかし、このままでは日本が滅びる。
 必ず為さねばならない。
 天長節を迎え、大和魂復活、そして、日本再興を念ずる。

新着記事

  • 平成30年12月8日(土)
    本日十二月八日、第二次世界大戦の、偽善と大義を記しておきたい。偽善とは、我が国の中学校の教科書で教えられた一九四一年(昭和十六年)八月十二日、アメリカのF・ルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・…
  • 平成30年12月7日(金)
    大東亜戦争の開戦日を明日に控えた本日、特に二つのことを指摘しておきたい。この二つのことは、戦後体制、即ち、正当な言論を封殺することによって有利な地位を得ようとする者達の体制つまり、GHQの対日プレスコ…
  • 平成30年11月24日(土)
    先の「プーチンのレッテルの詐欺」に続いて、さらに日露関係について記した。重複もあるがご一読いただきたい。歴史を見つめ、腹の底に憤怒の思いを持つことも「礼服を着た戦闘」ともいわれる外交には必要だ。 平成…
  • 平成30年11月15日(木)
    十一月十二日、遙か朝鮮半島南端の山々を望める対馬の上見坂の高台から、眼下の小雨にけぶる浅茅湾と芋崎の方向を見つめ、遙か北方の樺太を思った。そして、同行の仲間に言った。十九世紀半ばに一貫したユーラシア東…
  • 平成30年11月7日(水)
    今まで、時々断片的に、明治百五十年に関して私の中に浮かぶ思いを書いてきた。その一環として、日本と西洋、どちらが文明でどちらが野蛮か、西郷隆盛とその同時代人の論議に触発された思いを記しておきたい。「月刊…

アーカイブ