大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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我が国内外の情勢はイスラエルより厳しい

平成21年5月22日(金)

 五月十五日には、東京の憲政記念館で「小野田寛郎さんの遺言を聞く会」に出席した。この会は、ニュージーランド在住の西山雅規氏が企画し開催したものである。
 当初は、三十人ほどの人数で座談会風にする予定だったのが、参加希望者が増え続けて憲政記念館大ホールでの開催になったという。会場に行った私は、当初少人数と聞いていたので、大ホールでの開催と知って驚いたが、会場にはいると既に大勢の熱心な方々が席に座り粛として開会を待っておられた。

 小野田寛郎さん、大正十一年(一九二二年)三月生まれ、和歌山県海南市に育つ。
 昭和十九年十一月、陸軍中野学校卒業。同十二月、フィリピンに派遣されルバング島での遊撃指揮・残置諜者の任務を与えられる。
 昭和四十九(一九七四年)年三月、作戦任務解除命令を受けて日本に帰還。
 昭和五十年(一九七五年)四月、ブラジル移住。
 川崎市の「金属バット事件」をブラジルで知り、日本の青少年の心のゆがみに衝撃を受け、昭和五十九年(一九八四年)より日本全国各地において青少年育成野外活動を指導する。
 ルバング島やブラジルの原生林・大自然のなかで生き抜いてきた体験を活かして青少年と共に行動しようとした。

 五月十五日当日、小野田さんは、二時間にわたってすばらしい姿勢で立ち続けられ、我々に、亡国か再興かの「覚悟」を促された。八十七歳とは思えない声と姿勢であった。
 「死ぬことは怖くない。死ぬことが怖くなれば任務は遂行できない」という情況において三十年間任務を遂行し続けてこられた体験から発せられる言葉はやはり重い。

 小野田さんの任務解除命令による日本帰還は、昭和四十九年で、大学紛争終焉期の市ヶ谷における三島由紀夫自決は昭和四十五年。私の青春の時期と重なっている。
 三島、そして、小野田両氏の行動に、社会も個人も、つまり日本が大きな衝撃を受けた。
 今振り返れば、この昭和四十年代後半期は、戦後日本に対して何か重大なサインが投げかけられていたのではないかと思う。
 ところが、戦後日本は、三島、小野田両氏に衝撃を受けたけれども、「日本列島改造期」にあった。従って、その衝撃は過ぎればすぐ忘れられたのである。小野田さんにとって、任務を果たして帰還した祖国は、堕落報道と拝金主義に覆われていた。
 しかし、日本に対するサインは、確実に「日本よ、戦後の惰眠から醒めて誇りある国家を取り戻せ」ということだった。
 三島さんは自決によって小野田さんは三十年間のジャングルのなかでの任務遂行によって、日本にこのサインを送った。だが、戦後日本は、このサインを理解しなかった。

 この結果、日本は、これ以後生起してきた事例にことごとく屈服して問題を現在に持ち越すに至っている。
 その事例とは、昭和五十二年九月に日本政府に突きつけられた北朝鮮による「日本人拉致」、奇しくも、この同時期、日本赤軍による「ダッカハイジャック事件」が起こされ、ソビエトから核弾道ミサイルSS20を突きつけられたNATOによる「相互確証破壊戦略」という対抗措置が決断されている。
 この時NATO諸国は、ソビエトの核の脅威に対して、
「Dead is better than Red」
と見切って、やられたらやり返すという対抗手段を執った。その結果、ソビエトの核弾頭ミサイルSS20は欧州方面から撤去される。
 
 昭和四十年代後半の、三島、小野田両氏からのサインを理解しなかった日本政府は、昭和五十二年九月のこの三つの重大事件に対処できなかった。「日本人拉致」とNATOの「相互確証破壊戦略」は封印して国民から隠した。「ダッカハイジャック事件」には見事に屈服した。

 国家の課題を隠すこと、もしくは、屈辱も感じることなく屈服して忘れること。戦後日本にとっては、これ以上の安楽はない。
 従って、日本政府は以後、安楽の道をためらうことなく「断固として」撰び続けて現在に至っている。
 それは、自衛権行使の問題、核開発問題、教科書問題、靖国問題、戦後五十年謝罪決議、村山談話、等々、皆然りである。
 そして、この惰性の果てに、遂に、「小野田寛郎の遺言を聞く会」に至ったのかとの感慨をもって、私は五月十五日の憲政記念館大ホールに座っていた。
 
 先憂後楽が政治家のモットーたるべきところ、今の政治家の大勢は「生活第一」で「先楽後忘」だ。
 従って現在、小野田寛郎さんと田母神俊雄さんが、民間人として戦い続けておられる。
 もちろん私も、三百小選挙区の一つの中で戦い、一つでも各戦場で戦う同志を増やし勝利することを責務としている。
 しかし、残念ながら、戦後政治の大勢は民間人に戦わせて、選挙は「生活第一」で流れている。
 その戦後政治とは、周辺諸国の反日勢力と呼応して、我が国家の課題を「隠し、屈辱も感じることなく屈服する」政治である。
 これが、現在の我が国家の内部情勢だ。

 では、我が国家の外部の情勢は如何に。
 中東に、敵対国に囲まれているイスラエルという国家がある。周辺国は、イスラエルの存在を認めていない。このイスラエルを巡って度々中東戦争が繰り返されてきた。従って、第二次世界大戦後の建国以来、イスラエルは誠に厳しい存続の道を歩んできた。この点、同じ時期の我が日本とはまさに正反対である。

 ところが、よく我が国周辺を見渡して欲しい。現在イスラエルと我が国と、どちらが厳しいか。
 私は、イスラエルより我が国が深刻な状況に置かれていると観ている。
 第一に、我が国には、国内に周辺諸国の意向に従う反日勢力が存在する。イスラエルには存在しない。
 昨年の四月二十六日の北京オリンピックの聖火リレーが行われた人口三十余万人の長野市は、四千名の中国人の乱暴狼藉によって易々と「中国解放区」にされた。これは、政治の中枢とマスコミに、中国の工作が浸透して、我が国の警察が本来の任務に目を閉ざして中国ガードマンになったからである。
 中国は、この長野の「教訓」を活かして今度は沖縄に「解放区」を造るであろう。
 イスラエルの周辺諸国が、イスラエル国内においてこのようなことを起こしうるだろうか。
 我が国は、国内部の要因によって容易く外国勢力に蹂躙される危険性を色濃く有している。従って、国内の要因において我が国はイスラエルより危機に瀕している。

 次に、外部要因であるが。
 イスラエルの周辺には、核開発国はあるが核ミサイル保有国はない。しかし、我が国は北からロシア、北朝鮮、中国、さらに、東にアメリカと、核ミサイル保有国に囲まれている。そして、北朝鮮と中国は、共産党独裁国家であり、ロシアは「独裁者なきロシアなどあろうか」といわれる国である。
 これを指摘するだけでも、周辺情況は、イスラエルより我が国が厳しいのが分かる。

 とりわけ、近年世界でただ一国、急速な核戦力増強に取り組んできて、台湾は中国のものと強弁する中国の動向を観れば、我が国周辺は世界一危険な地域である。
 明治二十七年、日清戦争が起こる。清が朝鮮は中国のものとして軍隊を朝鮮半島に侵攻させて勃発した。
 今、中国共産党は、台湾は中国のものとして、台湾に対する軍事的侵攻をためらうそぶりもみせていない。さらに、中国共産党は、尖閣諸島(つまり沖縄県)も中国のものとぬかしている。
 この台湾周辺海域は、我が国のシーレーンであり、ここを扼されれば、我が国の経済活動は停止を余儀なくされる。
 私は、明治二十七年を朝鮮半島を巡る第一次日清戦争とし、これからは台湾を巡る第二次日清戦争の構造ができつつあると観じている。

 六十八年前の昭和十六年十二月の日米開戦は、同年八月にアメリカが石油の対日輸出を止めたことが決定的引き金となった。ここにおいて、日本は座視すれば船も工場も動かなくなることが確定したからである。
 では、シーレーンが中国の海軍力、空軍力により締められれば我が国はどうする。このように、中国が台湾を呑み込むということは、我が国存続の死活的な条件に影響を与える事態である。
 我が国は、この事態に屈服するのか。
 
 我が国が事なかれ主義と屈服主義を貫いていた昭和五十二年、ヨーロッパNATOは、
「Dead is better than Red」と決意し敢然とソビエトの挑戦を受けて立ちその脅威をはねのけた。
 その時、ヨーロッパの決意に無関心を装った付けは今払わねばならない。まさに付けを払うときがきた。
 喜んで払おうではないか。今からでも遅くはない。
 我が国は、中国の核軍拡・海軍・空軍軍拡に同様の対抗手段を執る。第二次日清戦争の挑戦を受けて立つ。
 そして、三十七年前のNATOと同様に、
「Dead is better than China」
と覚悟を決め決意する。その時、我々は勝つであろう。
 小野田寛郎さんが五月十五日に我々に促した「死を恐れぬ覚悟」とは、まさにこのことである。

 私は、早朝の堺の駅前や辻で、
「生活第一」ではない、「国防第一」だと訴えている。日本再興の旗を掲げて。

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