大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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旗について・・・対馬で考えたこと

平成20年4月14日(月)

 対馬訪問で気になったことがある。それは、旗のことだ。
 船に乗って、浅茅湾の突き出た半島の懐にある入り江に入った。ここは1861年2月、ロシア軍艦ポサドニック号が入って投錨した場所だ。ロシア兵はこの湾内に上陸し、井戸を掘り兵舎を立てドックを造った。つまり、この湾を占拠し居座る体制を造ったのだ。この事態に際してロシアの行動を阻止しようとして殉職した二人の日本人は、靖国神社に祀られている。
 船からその地を眺めていると、湾の背後にある峰を指さして、あそこにロシアの旗が掲げられた、と地元の歴史家が言った。なるほど、旗を掲げるに絶好の高台であった。そして、その時、遙か北の樺太を思い起こしていた。

 東京に戻って、樺太を少し調べると、果たして、ロシアは1853年に樺太の北端のクエクド岬にロシア旗を建てていた。
樺太の歴史を概観すると以下の通りである。
 古くは、1295年、日蓮宗の日持上人が樺太に渡って布教活動をしている。
1799年、幕府は樺太南部を幕府直轄領とした。
1808年、幕府は間宮林蔵等を派遣して、樺太西端のラッカ岬に「大日本国国境」という国境標を建てる。
1809年、間宮林蔵は樺太が島であることを確認する。つまり、間宮海峡を発見したのである。
1821年、幕府は、樺太を松前藩領とする。
1853年、ロシアが樺太北端にロシア旗を建てる。
1855年、日露親和条約(下田条約)で、樺太を日ロ雑居地と決められる。
1865年、樺太北端に「大日本領」という標識を建てる。
1877年、樺太千島交換条約で全樺太がロシア領となる。
1905年9月5日、ポーツマス条約、南樺太が日本領となる。

 幕府が、樺太西端に大日本国国境という国境標を建てた1808年には樺太の領有を宣言している。翌年、間宮海峡を発見して樺太が島であることを確認したことにより全樺太島の領有権は幕府に帰したことになる。
 それが何故、1855年の日ロ和親条約で、樺太が「日ロ雑居地」とされたのか。それは、二年前の1853年に、ロシアが樺太北端にロシア旗を建てたからである。
 つまり、ロシアから観れば、樺太と対馬を領有するために、6年の時差はあるが、ほぼ同時期に同じことをしていたのだ。
樺太では、1853年旗を立てて居座り、対馬では、1861年旗を立てて居座った。
 その結果、樺太では二年後に押し切られて日本領は否定され「雑居地」とされた。つまりロシアの居座りは公然と認められた。そしてついに1875年に全樺太がロシアに領有された。
これに対して、対馬では、勝海舟がイギリスを動かしてイギリス軍艦が対馬でロシア軍艦を威嚇して旗を掲げてから6ヶ月後にロシア軍艦は退去するに至った。
 この対馬と樺太の決定的な違いは、ロシア牽制のカードとしてイギリスを用いることができたか否かである。対馬にはこのカードがあり、樺太には無かった。
 このように観ると、対馬も樺太同様危なかったと言わざるをえない。対馬では、このロシアの居座りを「露寇」と呼んでいる。

 さらに旗について述べたい。
 ワシントンのアーリントン墓地の近くに、アメリカ海兵隊記念碑がある。例の硫黄島のすり鉢山に建てられんとしている星条旗の記念碑である。APの記者であったローゼンソールが撮影した「歴史的瞬間」という場面を銅像にしたものだ。しかし、日本人なら次のことを知っておくべきだ。即ち、この記者の前の「やらせ」の場面の前に、日の丸を掲げた無名の日本軍将兵がいたことを。
 昭和20年2月23日、すり鉢山に初めて星条旗が掲げられた。しかし翌24日朝、海兵隊が見上げると、前日の星条旗は降ろされて、日章旗が翻っていた。唖然とした海兵隊は猛攻を加えて日章旗をおろして再び星条旗を掲げた。ところが、翌25日の未明、海兵隊はまたも星条旗が取り除かれて日章旗が翻っているのを見上げたのだ。また猛攻を加えて星条旗が掲げられた。そして、固唾をのんで見上げた翌26日未明、ついに日の丸は翻ることはなかった(津本 陽著「名をこそ惜しめ」より)。
 我々日本人は、アメリカ軍の砲弾が集中するすり鉢山山頂に決死の覚悟で、二度三度と日章旗を掲げた無名の勇者の姿こそ、ワシントンの海兵隊記念碑に遙かに勝る勇者の情景と知るべきである。アメリカの国歌は「星条旗よ永遠なれ」であるが、これは絶望的な戦いの中で朝日に翻る祖国の旗を讃えた歌である。すり鉢山に二度にわたって翻った日章旗こそ「永遠なれ」である。

 また、旗について。
 これはインド洋における海上自衛隊に補給活動にも関係することである。
イギリス海軍士官のリチャード・ルキモ大尉は、ポーツマス軍港で日本の海上自衛隊の練習艦隊でイギリスに行った恵隆之介氏にいった。「恵少尉、我々は海上自衛隊を尊敬している。なぜなら海上自衛隊は我々が尊敬している日本帝国海軍の軍艦旗を変えずにそのまま掲げているからだ」(恵隆之介著「敵兵を救助せよ」324ページ)
 
 以上の通り、外国人は、旗について我々より強い象徴的な意義を感じている。そして、戦略的観点から旗を用いようとする。
 従って、海上自衛隊の護衛艦が帝国海軍の軍艦旗を掲げてインド洋で活動することは、単なる油の補給という貢献にとどまるのではなく、世界各国から観れば、我が国のプレゼンスという戦略的意義を有している。このことを、我が国の政界は理解せず、昨年から本年春にかけて、不可解な機能不全つまり国益に反するサボタージュをしていたのである。

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