大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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憂国忌と翌十一月二十六日の白襷隊

平成19年11月26日(月)

 昨日の十一月二十五日は、「憂国忌」である。
即ち、三十七年前の十一月二十五日、三島由紀夫と森田必勝は、市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に討ち入り割腹自殺を遂げた。
 私はその時、学生であった。京都市左京区の大文字山の麓、
浄土寺馬場町の学生寮に住んでいた。朝と晩の食餌付きで月四千五百円の寮であった。
 何の用があったのか忘れた。多分いつものように目的もなくぶらりと銀閣寺か大学の方にいっていたのであろう。その帰り、垣根の横を通って、寮の門に近づくと、中から仲間の寮生が飛び出してきた。そして、門の前でぶつかりそうになった僕に、「三島さんが自衛隊に討ち入って今立て籠もっている」と言った。
 その一瞬の彼の顔に、晩秋の光が当たり木々の葉や梢の影が刻まれていた。その彼の顔に射す光の形は今も甦ってくる。そして、その顔の光と影を見ながら、僕は、「三島さんは死ぬんだ」と思った。
 翌朝の毎日新聞朝刊に、作家の司馬遼太郎氏の「三島事件」に関する論説が掲載された。
 司馬遼太郎氏は、先ず、吉田松陰を語ってから、彼のようなタイプは民族の歴史の中でただ独り出ればいいのだと切り出し、何故なら二人も出してしまうと、民族の精神病理の問題になると述べたのである。
 そして、「かの名作、まことに名作」という表現で、三島の作品である「午後の曳航」を紹介して三島の自決への軌跡を辿り、最後に、それにしても、この我が民族の歴史の中で二度と現れないかもしれない作家を、精神と肉体のアクロバットの果てに失った悲しみを如何にすればいいのか、と締めくくった(以上,原文を探さず記憶にもとづく)。
 この論評を読んで僕は、衝撃的な三島の自決の報の直後に、というよりは、三島の首のない胴体と生首が総監部から運び出される映像を眺めながら、これだけの深く静かな論評を書き上げた司馬遼太郎氏の力量に舌を巻いた。そして、この記事は私にとって司馬遼太郎氏の一番印象深い一文になった。

 昨日は、この三島由紀夫と森田必勝の自決から三十七年が経った日であった。私は、大分県護国神社で行われた「大分憂国忌」に出席して記念講演をする機会を与えられた。
 実に立派な大分護国神社境内の憂国忌会場に入ると、神殿の横には、三島と森田の両烈士の垂れ幕の横に、神風特別攻撃隊各烈士の慰霊の幕が掲げられていた。
 その幕を見たとき、私は三十七年前の両烈士そして六十二年前の神風特別攻撃隊各烈士とともに、日露戦争時、百三年前の明日二十六日の、旅順要塞攻防戦における三千の白襷隊の各烈士のことをどうしても語りたくなった。
 思えば、大分は海側からの旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫海軍中佐の故郷である。広瀬中佐の霊が旅順を語れと促したのかも知れない。
 
 明治三十七年十一月二十六日、旅順に対する第三回総攻撃が開始された。この時、乃木希典軍司令官指揮する第三軍のみならず,日本が生死の分かれ目に立っていた。旅順が陥落しなければ日本軍は、陸に海に総崩れになって崩壊し、我が国家はロシア軍に席巻され滅亡したであろう。
 しかし、旅順総攻撃に入った各師団は大損害を受けて撃退され攻撃成功の見込みはつかなかった。
 そこで、各師団の攻撃がことごとく失敗に終わったのを見とどけた乃木軍司令官は、二十六日夕刻、特別部隊による壮絶な攻撃を決意する。それは、中村覚歩兵第二旅団長の意見具申によるもので、中村少将が指揮して夜間に刀と銃剣で敵陣保塁に攻め込む奇襲である。夜間の目印のため全員が白い襷をかけた。
 乃木軍司令官は、三千の白襷隊にたいし、
「国家の安危は我が攻囲軍の正否によって決せられんとす」との悲壮なる訓辞を述べ、整列する将兵の間を歩き、ただ「死んでくれ、死んでくれ」と言った。
 そして午後六時に行動を開始した白襷隊は、二十六日午後九時、敵陣に突入した。しかし、中村隊長が重傷を負って倒れ、ほとんどが死傷して隊として消滅したのである。

 大砲と機関砲で武装しコンクリートで固められた強固な永久保塁に対する三千名の刀と銃剣での夜襲である。後世、この白襷隊の攻撃をもって、まるで彼らが乃木に犬死にさせられたように語られる。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」では、白襷隊が乃木の「無能」による兵の殺戮の例として挙げられている。
 しかし、私は、会場の特別攻撃隊各烈士の幕を見たとき、白襷隊の各烈士のことを語り、次のロシア軍側の文献を紹介したのである。それは、岡田幹彦著「乃木希典、高貴なる明治」(展転社)にある忘れがたいロシア側記録である。
「我等旅順籠城の守兵は、一兵一卒に至まで・・・血につぐに骨をもってし、骨につぐに直ちに魂をもって死守したるなり。しかも日本軍の堅忍なるや分を得れば寸、寸を取れば尺と・・・営々倦まざること即ちこれ日本軍の精気なりといわん。
 実にこの精気に強き分子たる日本軍が精気に弱き露軍を屈服せしめたるなり。
 余は敢えて屈服という。されど一九〇五年の一月一日の開城を指すに非ざるなり。その前年の暮れ、即ち十一月二十六日における白襷抜刀決死隊の勇敢なる動作こそ、まことに余輩をして精神的屈服を遂げしめる原因なれ。
 この日の戦闘の猛烈惨絶なりしことは・・・その適切なる修飾語を発見することを得ず。・・・しかもその天地の振動に乗じ、数千の白襷隊は潮の如く驀進して要塞内に侵入せり。
 総員こぞって密集隊・・・白襷を血染めにして抜刀の形姿、余らは顔色を変ぜざるを得ざりき。余らはこの瞬間、一種言うべからざる感に打たれぬ。曰く、屈服。」
 
 よく文献を集めたといわれる司馬遼太郎氏は、この記録を知らず、もしくは無視したようであるが、敵軍であるこのロシア側記録こそ、後世特に戦後になって、「坂の上の雲」などで「愚行」とされた中で戦死していった白襷隊将兵の霊に捧げるべき言葉では無かろうか。
「白襷隊三千の烈士よ、貴官らの勇敢な死は、旅順陥落をもたらし、祖国をして勝利せしめたり」と、
 そして「あなた方の尊い自己犠牲の上に、今に生きる我等は亡国の民ではなく、日本に生まれた喜びを心に持つことができるのです。ありがとうございます」と。

 国家の再興は、教育の再興にかかっているが、歴史の回復なくして教育の再興はない。そして、歴史の回復とは、勇戦奮闘した英霊に感謝の誠を捧げることからはじまる。
 全国、津々浦々の墓地には、ほぼ例外なく墓石の先が尖った兵隊さんの墓がある。私は、それらを見るとき、日本が近代に経験したものは「大祖国戦争」であったと思う。そして、時に
「ごくろうさんでございました。ありがとうございました」とつぶやき、何処何処で戦死、戦病死と刻んだ字をながめる。そして、これが私にとって、我が国の歴史を実感することにつながってくる。
 読者諸兄姉も、散歩の途中、通勤の途中、村や町の墓地に行き会うことがあると思う。
 その墓地の中に、兵隊さんの墓石があるはずだ。それを眺めて、欧米列強が繰り広げる弱肉強食の帝国主義の時代に、独立して近代化を成し遂げた我が国の祖父母の時代の苦難の歩みを少しでも実感しようではないか。
 自国の歴史は、他人のことのように観るべきではない。
自国の歴史は、津々浦々の墓地からも実感することができる。

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