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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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八月に入って・慰霊

平成19年8月3日(金)

 やはり、我々日本の夏には、二つの空気が流れていて、それが八月に切り替わるような気がする。
 一つは、子供の頃、楽しみにしたあの「夏休み」の夏である。海に行って泳ぎ、山に入って蝉が大合唱する緑の道を走る。
 つまり、「命の賛歌」と言ってもよい空気である。
 そして、各家庭でご先祖を迎えるお盆の準備が始まる八月を迎える。今お盆の行事は昔のように行われてはいないが、一年以内に家族が亡くなった家庭では、やはり初盆として行われる。
この八月の流れに、現代史は、広島と長崎の原爆忌に続く八月十五日の敗戦を重ねた。
 八月は、明らかに「慰霊」の空気に切り替わる。
命の賛歌と慰霊、これは一体である。共に「命」のことである。

 私の住む南大阪、昔の国名で言えば、泉州と河内では、先ず七月三十一日に海辺で「大魚夜市」が行われて賑わい、翌八月一日には、南の山手で巨大なPLの花火が夜空に輝く。昨二日は、陸上自衛隊八尾基地で花火大会。そして各地域では、盆踊りが始まり、河内音頭の旋律が流れる。
 夜空に輝く花火も闇に流れる旋律も、ともに背後に広がる大きな静寂を感じさせる。慰霊の八月は、このようにして始まる。

 この夏、特に八月に入って、日本人の心に浮かび上がってくる「慰霊」の思いは、各家庭、各地域のなかでご先祖を供養する形となり、広島と長崎での慰霊の行事となり、八月十五日の国家としての戦没者慰霊に繋がってくる。そして、これらの無量の慰霊は各々別個のものではなく一体であり、総体として日本民族の慰霊の形を示している。

 そして、この慰霊の姿の何処にも政治的な要素はないのである。日本人の慰霊のかたちは、歴史的また伝統的心情の発露であり、当たり前すぎることながら、政治的行事ではない。ここで言う政治的な要素とは、慰霊することによって、現世でご利益が得られるとか自分の権力が強くなるとかという要素のことである。
 従って、死んだ親父の初盆をする息子が、近所の人から、お前の親父は悪かったから初盆はするなと言われることなどありえないのである。
 
 ところが、八月の「日本人の総体としての慰霊の姿」の一部即ち「国家としての戦没者の慰霊」について、中国と韓国・朝鮮という近隣が、慰霊をするなと要求してくる。その動機は、我が国の歴史を「汚名」として定着させ、我が国に対する政治的優越を固定化させようという極めて政治的なものである。
 従って、我々の思いと次元が全く異なるので、どうすればよいかとの質問に対する最も適切な答は、「ほっとけ」と言う以外にないのである。これは、自分の親の慰霊であれ、国家としての戦没者の慰霊であれ、全く同じである。
 ただ、国家が主体である場合は、表現が外交上の用語となるだけだ。即ち「慰霊は完全に内政上の問題である。内政干渉は許さない」ということになる。
 また、我が国の戦没者の慰霊を中国と韓国が非難することを、あたかも自分の身内が非難されたかのように腹を立てる日本人が多いが、これこそ全く当然のことである。何故なら、日本人にとって八月の慰霊は、総体としての慰霊であり、その一部に対する干渉であっても、身内の慰霊を含む総体としての慰霊への非難であり「日本人の心情」の否定だからである。従って、日本の戦没者慰霊に関して、見え見えの政治的動機から非難する国に対して、日本人が嫌悪の感情を抱くのは当たり前で極めて健全である。そして、この責任は全て中国と韓国政府にある。

 ところで、この中国・韓国と無関係でない動きがアメリカで起こっている。七月三十一日、アメリカ下院が、いわゆる慰安婦決議案121号を可決したからである。この決議案は、中国系団体から献金を受けている日系の議員が毎年執拗に提出していたものである。中国と韓国と北朝鮮が支援し煽っているアメリカ内の動きとみられる。
 もっとも、この案を可決したときには出席議員は八名から十名だったと聞くが、たったこれだけの議員で会議を続行するアメリカ下院とはええ加減なところである。
(下院を傍聴していた我が国外務省職員によると、決議の際、出席していた議員の正確な数は分からないが、八名以上十名以下であった、二十名はいなかったのは確実だ、ということである。右、問い合わせに対する外務省の回答)
 
 さらに、このええ加減な手続き以上に許せんのが、その内容である。悪意ある嘘で固めた対日非難の決議なのだ。日本政府と日本軍は、二十万人の婦女子を拉致して監禁して性奴隷にした、これは二十世紀最大の犯罪であるから、総理大臣は謝罪せよ、というものである。
 この決議に対して、アメリカ下院が日本人の名誉を毀損したとして損害賠償訴訟を提起する動きがあり、また、加瀬英明さんを代表とする「史実を世界に発信する会」では、早速アメリカ下院のペロシー議長と議員全員に、かつてアメリカ政府自身が認定した事実を指摘した上で、その認定を無視した事実無根の決議に対する抗議と訂正を要求する文書を送っている。

 そこで、この際、事実とは何かと再度確かめたいという人がいれば、お勧めしたいのは、小野田寛郎さんの「私が見た『従軍慰安婦』の正体」という手記(「正論」、2005年1月号)、また、近刊では、西岡力さんの「よくわかる慰安婦問題」(草思社)だ。私は七月三十一日、小野田さんの手記を読み返した。
 その手記の最後の方の一文を次に紹介する。
「・・・明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士達にもこの『自然の摂理』の心理が働くと言われる。
彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。
・・・『兵隊さん』と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。
・・・『従軍慰安婦』なるものは存在せず、ただ戦場で『春を売る女性とそれを仕切る業者』が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。
こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないか」

 そして、この聖人君子でも悟りを開いた禅宗の坊主でもない郷里から送られた若い兵士の多くは戦場から帰ってこなかったのだ。
 我々は、帰ってこなかったこの多くの同胞のためにも、我々自身の子々孫々の名誉のためにも、この虚偽のプロパガンダと戦って、この謀略に勝たねばならない。アメリカの下院決議は、虚偽に乗っかっているが故に、この戦いの切っ掛けになりそうである。

 さて、この我々の郷里から送られた普通の兵士、名も知られない人々のことであるが、彼らが如何に生きたか、如何に立派であったか。そのことを知ることこそ、歴史を知ることに他ならない。その意味で、この夏に読まれればと、印象に残る次の三冊をご紹介したい。
 
 先ず、いわゆるBC級戦犯として刑死した英霊のことを書いた「南十字星に抱かれて」(福冨健一著、中央公論新社)。
 無名の人々が如何に立派に、祖国日本を思って南の国の監獄で死んでいったことか。
 次に、戦場で多くの敵兵を救助し遂に何も語らず亡くなっていった駆逐艦艦長のことを書いた「敵兵を救助せよ」(恵隆之助著、草思社)。海軍大佐工藤俊作の生涯である。
彼に救助された八十歳を超えた元英国海軍中尉が、四年前に日本に来て彼を捜していた。しかし、工藤大佐は既に死亡していた。
 三冊目は、「堀内海軍大佐の生涯」(上原光晴著、光和堂)。
堀内大佐は、海軍陸戦隊長として、昭和十七年一月十一日にインドネシアセレベス島のメナドに落下傘降下してオランダ軍を駆逐し、直ちに軍政をひき多くのインドネシア人を啓蒙した。
 平成四年一月十一日、メナドではメナド市民が主宰して落下傘降下五十周年の日本・インドネシアの友好と親善を暖める記念式典が開かれた。
 落下傘降下した元海軍陸戦隊員と縁者百二十名が式典に招かれ、堀内大佐の長男が、大佐の遺影を掲げて街を行進した。
その堀内大佐は、昭和二十三年九月二十五日、インドネシア人に慕われているのを妬んだオランダの報復的な訴追によって「戦犯」として処刑されている。享年四十七歳。

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