大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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昭和天皇の武蔵野陵参拝から思うこと

平成18年10月31日(火)

 十月の二十五日から、期せずして明治・大正・昭和の各天皇陵に参拝することができた。
 まず、二十五日に、東京八王子において昭和天皇皇后両陛下の御陵と隣の大正天皇皇后両陛下の御陵を参拝、三〇日に京都伏見の明治天皇皇后両陛下の御陵を参拝。各御陵の参拝はともにはじめてであった。

 昭和六十一年五月十一日、郷里の大阪府堺市の仁徳天皇陵の南側一帯に作られた大仙公園において第三十七回全国植樹祭が行われた。私は、仁徳天皇陵横の歩道で、多くの人々とともに、幼い長男の手を引き長女を抱えて昭和天皇をお迎えしていた。

 そうすると、天皇陛下が通られる道路に、ひんやりとした静かな空気が流れてきて今までの雑踏がうそのような静寂が訪れ、私の前が時間が止まったような不思議な空間になった。
 そして、この空間のなかを昭和天皇は音もなく通られていった。その車中のお姿は、こちらを向いて手を振っておられたのであるが、あわあわとしていて、私は、幻を見たような吸い込まれるような思いにとらわれて呆然としてお見送りをした。
 このときのことは、以後二十年以上を経ても生き生きと甦ってくる。これが私が、昭和天皇を目の当たりにお迎えした、ただ一度だけの情景である。
 この昭和天皇が崩御され、今や武蔵野御陵におられる。
 あの時、お迎えした西村が御陵にお参りにまいりました、と何時か申し上げたかった。それが、二十五日、かなった次第である。

 ところで、二十八日(土曜日)には、かねてから、仲間と仁徳天皇陵清掃奉仕を行うことになっていた。そして、朝から仲間と御陵の堀でゴミを拾っていると、この御陵のほとりでかつてお迎えした昭和天皇の御陵にまず参拝してから今朝の掃除をすることになっていたのだろうと妙に納得できたのである。

 以上のとおり、十月の後半に、明治、大正、昭和の天皇陛下の御陵に参拝できて、まことによかったとしみじみ思う。
 思えば、この三代の天皇陛下とともに、日本国民は、近代の苦難を経てきたのだった。
 日本は、天皇がおられて日本である。
 天皇がおられなかったら日本ではない。
 日本の文化と文明は天皇とともにある。
 この秋、日本人として天皇陵に参拝できて幸せだ。

 ところで、この私が経験した以上の心的風景とありがたいという思いを、近代合理主義もしくはその批判精神において冷笑する人もあることは分っている。
 しかし、それらの冷笑に対しては、国は目に見えるものだけによって存在しているのではないよ、というだけで十分であろう。目に見えるものだけが、この人間世界を動かしているのではない。目に見えるものだけが存在すると思うのは、唯物論であり、二十世紀半ばに破綻した。
 
 我が日本は、堂々と、目に見えないありがたいわが国と民族の伝統と特色を見つめ直すときにきているのである。これが、国家再興期における我々のなすべきことである。
 
 この一文を読んでいただいている諸兄姉におかれても、ふと天皇陵の前を通られることもあろうと思う。各地に天皇及びその縁に繋がる高貴な方のお墓があるのが日本だから。その時、この天皇の御世に生きた自分の祖先が確かに居たことを思い起こして欲しい。
 これが、万世一系という我が国の姿である。

 さて、京都御室の仁和寺は、天皇家と深い繋がりの寺院である。
現在の天皇皇后両陛下は、仁和寺を訪問されたという。明治天皇も仁和寺をご訪問されていないので、実に百五十年ぶりの天皇の仁和寺ご訪問だったという。徒然草やその他の古文でも明らかなように、仁和寺は天皇家と深い繋がりがある。
 その両陛下のご訪問の折に、仁和寺の管長として両陛下をお迎えしたのが、河内長野の名刹である天野山金剛寺の座主である堀 智範師である。二十三日に天野山で、その堀座主から両陛下ご訪問時のことをお教えいただいた。
 堀座主によると、両陛下は実に寛がれ、仁和寺にまつわる古典のことも引用されて滞在を楽しまれたという。

 考えてみれば、京都は千二百年の都で、街中、天皇家・御皇室に縁のある神社仏閣家屋敷ばかりだ。桂離宮や修学院離宮は、観光客がぞろぞろ行くところではなく、本来は天皇皇后両陛下の滞在されるところなのである。また、泉涌寺は天皇家の菩提寺ではないか。
 さらに、京都は、叙情歌の歌枕の重なり合う街である。叙情歌とは、アイ ラブ ユウの世界である。東京と違い、雅なこころの和む街ではないか。

 そこで、我が国の新たな転換点である今、次の提案をしたい。
 天皇皇后両陛下には、東京の皇居にお住まいになるのは、現在の三分の一ほどにとどめられて、残りを京都の離宮でお過ごしいただいてはいかがであろうか。
 結局、東京はニューヨークや上海や北京やモスクワと同じ、政治と権力とマネーの街である。
総理大臣の任命や国会の召集などの国事行為の際は、今のところ、政治の街東京におられるとしても、それが終われば、両陛下には、菩提寺のある京都のゆかりの地で御住いいただきたい。

 日本に来る各国首脳は、東京では総理大臣が迎えて政治的会談を終え、日本国の天皇陛下とは京都で古式に則って儀礼的文化的会見をするのがよい。
 かつて、中国共産党の無礼な権力者が、東京の皇居の晩餐会に人民服を着て出席し天皇陛下に謝罪を求めたが、このような発言の応対は、東京で総理大臣が一手に引き受けるべきである。
 この我が国の国家体制を形で示すには、京都の数カ所の幽邃の地に新たに離宮を造営するのがよい。
 
 そうすれば、再び、文化の中心としての天皇のお姿が甦ることになるのではないか。そして、日本という国の重層的な厚みが内外に明らかになる。
 さらに、料理、織物、日常の器、さらに、建築様式そして詩歌文芸などの人を快適にするソフトが活性化して新たな産業も興る。
 これは一つの、ルネッサンスであり、世界に二つとない日本の再興に他ならない。
 従来の遷都論は、権力と金の中心の移動論であったが、私は京都に天皇陛下の離宮を造営する文化再興論を提唱する。

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