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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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嗚呼、硫黄島

平成18年10月26日(木)

 もうすぐ、アメリカ人が造った硫黄島の戦いの映画が公開される。
そこで、日本人が書いた次の二冊の本は、是非読んでいただきたいと思ってここにご紹介させていただく。二冊とも硫黄島戦における日本軍の指揮官である栗林忠道陸軍中将と壮絶な「鬼神もなかしむる」無名の将兵の戦い振りを描いている。
「常に諸子の先頭に在り」(留守晴夫著、慧文社)
「散るぞ悲しき」(梯 久美子著、新潮社)

 アメリカ人は、硫黄島の戦いを知っていて決して忘れず、硫黄島をアメリカの「聖地」、「神聖な土地」と思っている。だから映画を作った。しかし、日本人は、硫黄島のことを知らない。そして、もうすぐアメリカ映画で硫黄島がアメリカの「聖地」であることを知るのであろう。
 しかし、これでは日本人にとって何も語られたことにはならない。硫黄島はランボー映画の活劇とは違う。何故なら、硫黄島は、アメリカ軍司令官も認めるように、日本軍将兵が祖国を守るために最後まで戦って、未だ一万三千の遺骨が埋もれる日本の「聖地」であるからだ。
 
 ジェイムズ・ブラットリーの父親は、硫黄島の擂鉢山に最初の星条旗を掲げた六人の海兵隊員の一人であった。その父の死後、1998年、彼は母と兄弟達と共に硫黄島を訪れることができた。何故なら、彼らは硫黄島の英雄の家族だったからだ。
 沖縄のアメリカ海兵隊の総司令官は、ブラットリー一家を乗せた専用機を硫黄島に飛ばした。彼等が硫黄島上空に達したとき、総司令官は専用機を二度島の上空で旋回させた。そして、ブラットリー一家に、硫黄島は「聖地だ、神聖な土地だ」と言い、「我々にとっても、日本人にとっても神聖な土地です」と付け加えた。
 このジェイムズ・ブラットリーは、2000年5月、父達の硫黄島の戦いを描いた「硫黄島の星条旗」(原題「The Flags of Our Fathers」)を書き上げ、直ちにベストセラーになった。そして、この本を原作としてこの度の映画が造られた。

 さて、硫黄島の擂鉢山に星条旗を掲げる六人のアメリカ兵の写真は、「世界で一番美しい戦争写真」とアメリカ人は思っている。首都ワシントンのポトマック河畔にアメリカの「至上の聖地」であるアーリントン墓地があるが、この墓地の台地に高さ二十五メートルの巨大なブロンズ像が建っている。これこそ、「世界で一番美しい戦争写真」を像にしたアメリカで一番有名な記念碑、アメリカ海兵隊記念碑すなわち「硫黄島記念碑」である。

 何故、アメリカは、硫黄島を聖地と呼び未だに忘れないのか。それは、アメリカ軍事史上、最大の犠牲が硫黄島で生まれたからである。
 では、その最大の犠牲をアメリカに強いたものは何か。それこそ、栗林忠道中将に指揮された日本軍守備隊であった。
 栗林中将は、絶望的な物量差のなかで戦闘を継続したが、それは、アメリカ軍の爆撃から本土を守り祖国と家族の命を守るためであった。

 自らの「聖地」を忘れ、また、その地で勇戦奮闘して「聖地」たらしめた英霊を偲び敬意を表せずに打ち過ぎる民族に未来はない。我が国の未来を開くためには、この「民族の叙事詩」を回復しなければならない。
 硫黄島で戦った父をもつアメリカ人も次のように言っている。
「わたしは、自分の探求の眼目は、この国の思い出の中に再び生かすため、それらの若者を生きかえらす、いや、生きているように表現することであることを思い出した。・・・そのようにして、われわれはいつも、大切な死者を生かしつづけるのではないだろうか」(ジェイムズ・ブラットリー、「硫黄島の星条旗」より)

 アメリカ軍の指揮官ホーランド・スミス中将は、「栗林のような指揮官が日本軍にこれ以上いたらたまらない」と口走り、「太平洋で戦った全ての敵の中で、栗林は最も手強い相手であった」と回想録に書いた。
 しかし、この栗林中将は、アメリカ留学が長かったが故に日本陸軍では親米派として本流から排除されて、硫黄島に行かされた将軍だった。
 さらに、栗林中将は、硫黄島では、従来の陸軍中枢の迎撃思想であった水際撃滅作戦に従わずに長期持久の戦術を実行しようとしたが故に、それに必要な充分な物資も送られないまま本土から見捨てられ孤立無縁で戦って硫黄島を「聖地」にしたのである。
 
 何故、東京の軍中枢は、水際迎撃戦に固執し、栗林はそれを排除したのか。その差は、敵を知るものと知らないものの差である。すなわち、驚くべきことに、東京はあれほどの大戦争を敢行し、トラック、テニアン、サイパンなどの要地の日本軍守備隊が水際迎撃作戦をとったために見事に短時間で撃破され消滅しているのに、アメリカ軍の物量も戦術も知ろうとしなかったのである!
 しかし、栗林中将は、敵を知っていた。そして、敵のスミス中将の最も手強い相手になったのである。

 (なお、相手を知ろうとせず、周辺情況を知ろうとせず、ただ国内における今までの思想を繰返そうとする性向は、現在の政治を見ても健在であることに気付いていただきたい。
 例えば、日本人を数百人拉致して核開発を続け、東京を火の海にすると嘯く独裁者が核実験をした。この事態に対して、我が国は、相手のこの実態に対応した如何なる具体的な対処をするかが問題となるであろう。
 ところが政界では、今まで通り他人事の様に対処をせずにおこうという空気が根強い。その理屈に、中国やロシアも核実験をしているではないか、というような相手の実態を全く見ようとしない唖然とする論理がまかり通っている。
 栗林中将の時と今が違うのは、「水際撃滅作戦」が「憲法九条」になっただけである。栗林中将もそうであったが、我が国においては、この国内の「性向」とまず戦わねばならないのだ。
 そして、昔も今も、新しい事態に即応しようとする者を排除し、今までの性向によりかかって太平楽を決め込んで適切な対処を妨害する者は、結局誰も責任をとらない。)

 次に、硫黄島戦の概要と、「常に諸子の先頭にあり」という名著において、涙なくして読めなかった箇所を二つ記して本稿を締め括りたい。

 昭和二十年二月十九日、アメリカ海兵隊三個師団、六万一千人が硫黄島に上陸した。待ち構えて迎撃する日本軍は二万一千人。まる三日間にわたる艦砲射撃と航空機による銃爆撃のあとの上陸であった。
 この艦砲射撃を見つめていたアメリカ兵は、爆弾が舞い上げた灰で島が見えなくなったので、島は粉々に吹き飛んでしまうのではないかと疑った。そして、ある兵は「俺達用の日本兵は残っているのかな」と戦友に尋ねた。
 しかし、二万一千の日本兵は、栗林中将の指揮の下、一糸乱れず島の地下深く潜ってこの艦砲射撃に耐えていたのである。
 アメリカ軍は、五日で島は陥落すると予想したが、戦闘は三月二十六日まで続く。日本軍死傷二万一千人、アメリカ軍死傷二万八千人。星条旗を擂鉢山に掲げた六人のうち三名が戦死した。
 戦闘の最終段階の情況を、敵将スミスは次のように書いている。
「明らかに栗林が指揮を取っていた。彼の個性は、その強靭な抵抗にはっきりと示されていた。・・・硫黄島では断崖から飛び降りて自殺する者は一人もいなかった。・・・栗林は、アメリカ兵を一人残らず道連れにするつもりだった。」

 海軍司令部付士官の松本巌は、暗闇の中を連隊の本部壕を目指して歩いているとき、中隊壕に入った。すると、腕や足をなくした百五十名ほどの兵隊がうずくまっていた。ある兵隊が、「水を呑ませてくれ、もう四日も何も口に入れていない」と言った。水筒を渡そうとすると、入り口の近くにいた下士官が叫んだ。「海軍さん、やめろ」、
「あと二時間もすれば、俺達は皆、火炎放射で焼き殺されてしまうんだ。死にかかった者に飲ます水があったら、その水をあんたが飲んで戦ってくれ。あんたは、手も足もまだついている。我々のかたきをとってくれ」。そう訴える下士官も、左足首を吹き飛ばされていた。・・・松本は胸が張り裂けそうになったが、「手も足もついている俺には、これからでも水を探すことができるのだから」と言って水筒を与えて後ろ髪を引かれる思いで壕外に飛び出して・・・連隊本部に着いた。程なくして、中隊壕の百五十数名が火炎放射器で全滅させられたという報告が届いた。

 最後が迫ったとき、栗林中将らは地下壕で一夜を明かした。そばに大きな天然壕があって重傷者で充満していた。・・・軍医が重傷者に安楽死の措置を施していた。注射を打たれた一人が、
「軍医殿、泣いておられるのですか」と言った。涙が顔に落ちたらしい。
軍医は答えた。「俺は学校で治すことは教わったが、こんなことは習わなかった。後からすぐ行くよ」。が、兵隊はもう死んでいた。

 我々は、このような硫黄島で戦いぬいた将兵のことを忘れてはならないと思う。特に、政治家、さらに、内閣総理大臣以下は、片時も無名戦士のことを忘れてはならない。彼らの想像を絶する苦闘を思えば、この太平の世の如何なる苦難にも泣き言をいうことはできないのだ。
 アーリントン墓地の台座に「硫黄島記念碑」を建てているアメリカは、硫黄島を忘れてはいない。
 アメリカ大統領の演説においては、正直言って、時として格調の高さを感じさせるものがある。それは、大統領が、無名戦士と共にあるという意識をもち、彼等と共に歩んでいるからであろう。

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