無辜の人々の惨害を許すな・・・広島・長崎・9.11・拉致
平成18年9月12日(火)
原民喜(はら たみき)という名を知る人は少なくなったが、彼が遺した「夏の花」という作品は心にしみる名作である。
原爆投下直後の広島を書いたものである。今、手元にないので原文通りの引用はできないが、「夏の花」は次のような情景で終わっている。
広島の被災地を歩いていると、向こうから歩いてくる人が私の顔を見て喜びの表情を浮かべる。しかし、近づくとはっと絶望の色を浮かべ顔を伏せ過ぎ去ってゆく。広島では、今でも誰かが人を探している。
学生時代に、この「夏の花」を読んだときに、この末尾の一文が深く心に残った。無辜の家族を一瞬にして奪われた人々の悲しみの情景が瞼に刻まれた。広島では、失った人々を捜し求めて人々は爆心地を歩き回っていたのだった。
昨日11日は、ニューヨーク貿易センタービルへのテロ攻撃で三千名が亡くなってから五年を迎えた日であった。
遺族が「爆心地」に集まって祈りをささげていた。
彼らは、爆心地で家族を探しているのだ。そう思ったのは、原民喜の「夏の花」を思い出したからである。
この殺害された無辜の人々を追悼慰霊する情景に接して感じるのは、五年前の9.11の同時テロに匹敵するものは広島長崎への原爆投下であり、ルメイが考案して実施した住宅密集地帯に対する無差別焼夷弾爆撃だということである。1945年3月10日には、東京で8万人余が焼死し1 1万人余が火傷を負い民家26万戸が全焼している。
我が国民が61年前に被った惨害とニューヨーク貿易センタービルにいた人々の惨害は、規模も状況も異なるが、この惨害が無辜を殺傷することを正義として実行された点に於いて同じなのだ。
5年前の9月11日に、人知れず戦った人々がいた。この方達の乗った飛行機は、ホワイトハウスに突入できずにピッツバーグの人のいない大地に激突した。テロを察知した乗客が機内でテロリストと戦い飛行機を墜落させたからである。そして、この飛行機ユナイテッド航空93便には、日本人の早稲田大学学生、久下季哉さんが乗っていた。
ところで、5年前のテロの直後に、我が国の神風特別攻撃と自爆したテロリストが同じだとみる解説が流れた。ご記憶の方も多いであろう。
その時に、いや違う!、と思ったことを我が国の名誉のために再び書いておきたい。
神風特別攻撃隊の青年は、軍事目標を攻撃するという軍人が戦場で為すべきことを実行したのであり無辜の民間人の殺傷を目指したのではない。従って、テロリストとは天地の違いがある。
その当時、今のテロリストの頭目に匹敵するのは、トルーマンでありルメイである。ともにアメリカ人だ。
では、5年前に神風特別攻撃隊の青年達に比肩しうる人々はいたのか。いた。彼らはピッツバーグに墜落したユナイテッド航空93便に乗っていてホワイトハウス突入を阻止したのだった。
さて、吉野山の吉水神社の宮司である佐藤一彦さんは、ニューヨークのグランドゼロ地点で3日間、慰霊の祈りを捧げられた。目に涙を浮かべて祈る佐藤宮司の姿に、神道を知らない周囲の人々も感動してともに祈りはじめたという。
慰霊の心、このようなテロを許してはならないという決意は、世界共通である。9月11日に際し、改めて、無辜の家族が突然に奪われる事態を断じて許してはならないと思う。
そこで、ニューヨークのあの悲しみの人々と祈りをともにして、さらにまた、我が国内の肉親を突然奪われて会うことができない人々と、悲しみと願いをともにしようではないか。
(グランドゼロで三日間祈った佐藤宮司は、拉致被害者救出の奈良の会の会長である)
9月10日、大阪でブルーリボンの会主催による「北朝鮮による拉致被害者救出のための集会」が開かれた。
この集会では、被害者家族に加えて、はじめて特定失踪者の家族が壇上から救出を呼びかけた。特定失踪者の皆さんは、未だ政府によって拉致被害者と認定されていない方達である。
徳島の秋田さんと賀上さん、大阪の福山さん、そして京都の前上さんが訴えられた。皆、若い息子さんや娘さんが、突然に何の前触れもなくいなくなっているのだった。
その肉親から引き裂かれた状況を聞いていて、私は、
「夏の花」の最後の情景を思い出して込み上げる思いをとめることができなかった。まさに肉親を求めてさまよっておられるのだ。そして、この5人のご家族を紹介していた
八尾市議会議員の三宅博さんも、壇上で声が出ずに泣いていたのだった。
拉致は、テロである。
無辜に対する攻撃であることからも、家族の悲しみからも、明らかに拉致はテロである。
テロであれば、我が国家は、断じて屈服してはならず、奪われた家族を救出しなければならない。
これが、テロとの戦いを国際社会に明言した我が国の決意と行動でなければならない。
もうすぐフィンランドから帰国するという小泉総理に、
対北朝鮮全面的制裁実施
という最後の決断を切に望む。