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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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党議拘束の特異さについて

平成17年7月10日(日)

 先の衆議院本会議場における郵政民営化法案の五票差の採決について次のことを指摘しておきたい。

 この五票差の採決結果に、驚きを表明しているマスコミの反応が多い。この意外性と驚きは、いつもの採決とは違うというところから来ているのであろう。
 では、いつもの採決とは何か。
それは、採決しなくとも結果が事前に分かっているということであり、その事前に分かる結果とは、各政党が擁する議員の頭数を足し算引き算すれば判明していたのである。
 現在の政界には、まるで株を集めるが如く、ただ議員の頭数さえ集めれば何でもできると考えている政界版「ホリエモン」のような人もいるが、この人たちの行動パターンも、従来からの採決結果を生み出す仕組みの中だけで機能するのである。
 ではなぜ、採決の結果が、今まで各政党所属の議員の頭数を単純に引き算足し算しただけで事前に判明してきたのか。
 それは、党議拘束があるからである。

 それでは、党議拘束とは何か。
それは、党で決めたことに全所属議員が従うという規則である。
 つまり、党議拘束があれば、国会における採決の結果は、その前に行われた選挙における各政党の獲得当選者数により、決まっているのである。これを変えるには、次の選挙を待つしかないのである。即ち、選挙と選挙の間は、国民のまえで選ばれた議員が「論戦の妙味」を展開する期間ではないのである。この期間は、議員が頭を使うことなく党に従うルーティーンワークの時期である。
 これを、有権者の側から見れば、選挙とは、自ら考えて行動する国民の代表を送り出す機会ではなく、極端に言えば、政党の「部品」を送り出す場にすぎないということになる。実はこれが、民主主義を壊死させる低投票率の原因でなくて何であろうか。
 
 ところで、党議拘束の故に、採決前に結果は決まっている。
従って、その採決結果に反対する党の党議拘束を受けている議員は、反対をアピールする為の党議拘束により、例の牛歩戦術という馬鹿馬鹿しいノロノロ歩行を全員一致で徹夜してすることになる。
つまり、賛成する方も反対して牛歩する方も、共に頭を使っていないのである。党議に拘束されているだけである。頭を使っておれば、あんな馬鹿馬鹿しいことを大まじめにできるはずがないではないか。

 そこで、党議拘束という、我が国議会政治のなかでは当たり前であるが、我が国以外の民主政治においては異例の慣行を取り払ってこの度の結果を見かえし、果たして、この度の結果が驚くべきことなのか、むしろ、普通のことなのか、を考えなおす必要がある。

 民主主義の基本から説き始めるならば(いささか、教科書的であるが)、国民は、各選挙区で「国民の代表」を選ぶ。
「代表」とは「代理」ではなく、いったん選ばれれば、国民のために自らの信念と良心に従って行動するものである。
 しかし、党議拘束という慣行があれば、国民は党議に従う議員を選んだに過ぎないことになる。また、議員が、国民から信頼され選ばれた所以は、その人格と信念であるとされているのに、彼または彼女は、選ばれてからは自らの信念に従うことはできず、党議に従うことになるのである。
 そして、ついには、馬齢を重ねて政党の重点候補になればなるほど、自ら考えることなく党に従うだけの議員になり、そして、こうなればなるほど党の幹部になり、ついには、思考力のない議員や頭を党に預けた議員だけが議会を占拠して、国会という国民の代表機関の質の低下は甚だしいものとなる(既にそうなっている)。この質の低下による国益の損失は計り知れない。

 さて、党議拘束という、今まで考えもせずに受け入れてきた慣行が、議会制民主主義本来の姿から見て、この先も是認すべきなのか否かであるが、
 私は、もはや是認すべきではないと判断している。

 その上で、この度の衆議院本会議における郵政民営化法案の採決状況を見れば、これは、普通の現象と判断する以外にないのである。
 この度は、自民党だけであるが、党議拘束が崩れかけただけで、国民の関心は各議員の投票行動に集まり、その集約としての採決結果に重大な関心が持たれた。
 また、一部の議員が党とは別の自らの信念と心情に従うということになったが、これは頭を使わずにはできないのである。つまり、実は当たり前のことであるが、一応「考える議員」が議会に出現したことになる。
 そして、このどれもが民主主義にとっては必要不可欠なことではないか。
 さらにまた、党議に議員を従わせようとするなかで、従来の各議員を党に従わせるために駆使される圧力、つまり「餌」も、露骨に表面に現れた。これもまた、今の体制のカラクリが国民に見えて意義があったといえる。

 また、国民の代表が、自由に信念を行動に現した結果に際しては、謙虚に耳を傾けるのが、そもそも民主主義の基本的ルールであると思うが、これに解散をもって臨むという総理大臣の言動には、旧世界の党議拘束を信奉する権力者の議会に対する傲慢さが表れており、「世界の常識は日本の非常識」、「日本の常識は世界の非常識」の類ではなかろうか。つまり、党議拘束を当然とする総理および党幹部の言動は、我が国だけで通用することなのだ。

 思い出すのは、十年以上前の湾岸戦争の時、アメリカ議会で戦争が是か非かの採決があった。採決の冒頭に議長は次のようにいった。
「もはや、共和党も民主党もない。諸君は、各人の良心と信念に従って投票されたい。」
 共和党も民主党もない。つまり各議員は、それぞれ良心と信念を以て祖国と直面して採決に臨むのである。もはや党を隠れ蓑にすることはできない。そして、個々の議員の行動は国民に明らかになり、その採決の是非は、国民が選挙に於いて判断する。
 これが、議会政治における議員の行動の原理であると私はかねがね思っている。
 今まで、我が国の議会で、このような採決があったであろうか。
 この意味で、この度の党議拘束を無視した自民党議員に敬意を表する。

 思うに、我が国議会だけに顕著な党議拘束の慣行とは、二十世紀初頭に現れたレーニンのボルシェビキの組織論に、知らず知らずにあこがれ影響された結果では無かろうか(我が国には、二十世紀後半まであこがれの風土が続いていた)。
 もともと、党員を一部始終拘束する全体主義的・共産党的組織論は、自由な民主主義社会における政党のあり方に相応しくないのである。もちろん、自由な社会でも全体主義的組織は存在する。しかしそれらは、例えば一部過激派やオウム真理教のように、ごく一部であり決してノーマルとはみなされない。
 しかし、我が国においては、議会政治に党議拘束の慣行が続いているなかで、全政党が全体主義組織のような様相を呈することがあり、頭を組織に預けた個性無き構成員からなる組織の異様さが隠されたままになっているのだ。

 今回、党議拘束が崩れかけた中での郵政民営化法案の採決は、国民の関心を集めた。それは、党ではなく、議員が如何なる態度をとるかに関心が集まった結果である。
 これが繰り返されるならば、この学習の中で、改めて党ではなく「国民の代表」を選ぶという選挙の重要性が見直されて投票率が上昇することにつながる。
 そうなれば、一定の選挙マシーンのような「組織」だけが、議員を選び出すという現在の低投票率がもたらす頽廃が克服されて、我が国に民主主義か機能することになろう。
 
 幸い、既に、自民党のなかにも民主党のなかにも、共に右翼から左翼までが混在しているのが公知の事実になっている。
 かく言う不肖私などは、極左過激派組織から極右議員というビラを撒かれたりしている。また、日教組からは、質問状に偽装した奇妙な抗議文と議員辞職要請を装った誹謗文が届けられたので、極めて名誉なことだと思っている。
 そして、極左から極右といわれる私が民主党にいることが、民主党の幅の広さを誇示する証となり、民主党の支持率にいささか貢献していると自負しているのである。
 もはや自由主義陣営か共産主義陣営かの特異な時代ではないから、各政党に左翼から右翼がいるのは当然の過渡的現象であろう。
 ただこの両陣営に分かれて闘争していた頃の名残のような党議拘束だけが、頭を使わずにすんで楽だからという理由からであろう、無自覚に惰性のように続いているのである。
 
 しかし、今までにない投票結果が次々と「創造」されて、我が国の民主主義のダイナミックな展開が始まる前提は既に整っているのだ。
 
 また、直接議員一人一人の賛否を問うという形での決議案や法案が議会に提出できないのも、党が同意しなければ決議案や法案を議会に提案できない慣行になっているからである。
 このことが、例えば、北朝鮮に拉致された被害者を救出するために経済制裁を求める決議案やスパイ防止法案を議会に提出できない理由である。
 これも、党が時代錯誤的に幅をきかせて議会の構成員である議員の時代の先を行く創意と幅広い動きを封じている例である。
 
 よって、ダイナミックな議会政治の展開を始めるための課題は、
 まず一点、党議拘束を廃止すること。
 これも、私が同志と共に実現しようとしている課題である。

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