大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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足下を確認する必要性・・・メーデーで申したこと

平成17年5月5日(木)

 五月一日、堺高石地区のメーデー式典に参加した。
 そこで私は、労働組合こそ、会社や企業は誰のモノかということを確認すべきであると訴えた。
「諸君らが働く会社は、諸君らの知らない日本全国また世界に散在する株主のモノなのか、それとも、そこを職場として人生の多くの時間を過ごして生活する諸君らのモノなのか、労働組合なら、明確にすべき時だ」
 
 即ち、最近のマネーゲームで話題をまいたライブドアの「ほりえもん」の論理でいくと、会社は株を過半数所有している者のモノである。
 従って、株式過半数所有者は、自由に勝手に会社を従業員とともに売り払い金にすることができる。つまり、従業員も株主の所有物なのだ。
 この前提からするならば、会社の労働者は、労働を売り賃金をもらうという存在に過ぎず、株主が所有する会社の機械等の設備つまり物的設備と同じ人的設備であり、必然的にマルクスが言う労働を売る人間味を削がれたプロレタリアートそのものとなる。

 このマルクスの労働者観に基づく共産主義運動は、十九世紀に生まれ二十世紀前半に猖獗を極めて大惨害を生み出したが、二十世紀末に、その誤謬のゆえに崩壊した。
 今は、形骸化した共産主義の「たてまえ」の外皮をかぶった露骨な「権力」だけが、中国や北朝鮮で存在しているだけだ。

 さて、私は、
 株式所有者(マルクス的表現では、資本家)が、会社を自由に売却し、リストラと称して分割して一部分を廃棄し、その結果として金さえ多く株主に入るならば、如何に失業者を生み出しても「辣腕」と評価される風潮もしくは文化は、現小泉内閣では奨励されても、日本社会のもっとも優良な部分をどぶに捨てることになる。
 と考えている。
 
 このようなことは、物を作らなくなった(作れなくなった)、アメリカのニューヨークを中心とするマネーゲームの世界、即ち、極めて特殊な限られた世界でのみ通用するゲームであり、売る方も、売られる方も、ともにマネーゲームをしていて恨みっこなしの前提があって通用するだけである。

 しかし、ライブドアの騒動では、商法の「出資した者が株主になり会社ができる」という会社形成の理想モデルにもとづく形式的論理が裁判所までまかり通り、我が国の全株式会社においても、一夜にして過半数の株式を買い占めた者が、会社の所有者として会社を売買するのも自由であるとの論理が、あたかも、新しい金儲けのスタイルと喧伝されたのである。
 しかし、「ものつくり」により、立国しうる我が日本において、この論理が通用するならば、十九世紀に生まれ既に大惨害によって誤謬を証明されたマルクスの論理が、二十一世紀に甦ることになるではないか。
 即ち、会社という労働者の生活基盤を自由に売買しあるいは消し去って金にできる資本家は、十九世紀にマルクスが描いた血も涙もない資本家のモデルそのもので、他人の悲劇を踏み台にして金儲けしか考えていない労働者の敵である。従って、この敵を撲滅しなければ、労働者の生活は守れない、全国のプロレタリアートよ、団結してブルジョア・資本家を潰そう、革命だー、ということになる。

 この資本家万能・株主万能のライブドア的思考に対して、
「そんな馬鹿なことがあるか。
 労働者は、売買の対象ではない。
 会社は、我々従業員のものだ。
 我々は、株主万能のマネーゲームから
 勤労者の職場と生活を守らねばならない」
と、労働組合とくに連合がナショナルセンターであれば、声明を発すべき場面であった。
 しかし、ついにその声明はなかった。
 よって、冒頭の通り、メーデーの場でこの問題を提起させてもらった次第である。
 
 私は、会社という我々の生活と社会を成り立たせている人の共同体を、ライブドアの騒動を切っ掛けに見つめ直すことが、明日の生き生きした社会実現のために必要であると考えている。

 特に我が国においては、あらゆる会社というものは、社会的存在であり、公共的存在であるということを強調されなくてはならない。
 会社は、雇用を生み出し、生活に必要な製品やサービスを生み出して社会に提供する。我が国は、世界から資源を集めて製品を生み出す会社の働きによって成り立っている。
 従って、この社会的、公共的存在を、株主のモノであるから、一般的に自由に売買ができるとみることはできない。これは自明のことと思うのだが・・・。
 食糧難の時代には、米は極めて社会的な物資となる。それを買い占めて餓死者が出始めるまで売り惜しみ、買った値段の一万倍の値段で売り出すのを我が国社会は認めてこなかった。これと同じである。

 ところで、我が国では裁判所まで株式万能至上主義の形式論理でライブドア騒動を乗り切ろうとしたのである。
 よって、この論理が、社会的実態つまり現段階において万民が当然とする会社の観念に如何に反するかの実例を見つめよう。
 
 今、JR西日本鉄道の列車転覆事故の大惨事に関して、連日、マスコミのテレビカメラの前で、頭を下げて「申し訳ない」と謝罪しているのは誰であるか。
 それは、会社の社長である。また、従業員の代表である労働組合の委員長である。誰も、このことに異論はなく違和感を感じていない。
 
 しかし、JR西日本は、株式会社なのだ。よって、このJRという会社の所有者が株主であるならば、所有者の大株主が出てきて「申し訳ない」と頭を下げるべきではないか。しかし現実は、そうはならない。
 JRに限らず、私鉄の事故、関西電力の事故、○○会社の事故などの株式会社の事故において、例えば年金生活や未成年の大株主がかき集められて、私の所有物が事故を起こしましたと、テレビカメラの前で謝罪することはない。
 しかし、これはおかしいではないか。自分の持っているモノから事故が発生して死亡者がでたならば、その所有者が謝るのが当たり前ではないか。
 だが現実には、事故に際して、反省し小さくなっているのは、その会社の社長以下役員と従業員であり、社会もそれを当然としている。
 このような現実は、ライブドア流の「所有の論理」を貫けば、説明できない。つまり、ライブドア的論理は、実態にそぐわないのだ。
 ここに我々の多くが、ほりえもん的言い草に違和感を深めた理由がある。
 
 実は、この「所有者の無責任」が、株式会社を株式会社たらしめる「株式の本質」なのだ。この株式の所有者即ち株主は、会社の行為に関して一切責任を負わず無責任であることが株式会社なのである。
 従って、会社の事故で何百人死亡しようが、株主は全く責任はない。このように、本質的に無責任でありながら、会社の所有者であるという一面だけを拡大して万能化して、会社の売り買いは株主の自由であるという論理を貫くのは虫が良すぎて無理であると私は思う。
 
 さらに、会社は株主のモノであり、それ以外にないとするならば、会社は、株主に配当する為だけの存在となる。
 そうであれば、ただ多く儲けて多く株主に配当することだけが会社経営の目的となり、その目的を達成するために過密ダイヤで列車を走らせることも奨励されることになるのであろうか。むしろそうしない経営者は無能ということになる。
 
 しかし、このような株主至上主義の経営の論理は、現にあるJR西日本への批判の通り、強く非難されるのだ。
 我々は、JRの現在進行形の事故報道に、違和感を感じていない。大株主も、自分に責任があると思って報道を見てはいない。
 そもそも、JRは株主の所有だとすれば、「所有者出てこい」となるはずであるが、けっしてそうはならない。
 また、JRは株主のモノであり、従業員は「人的設備」に過ぎないのであれば、事故当時、JRの勤務時間から解放された従業員がボーリングをするのは勝手ではないか。しかし、我が国では、株主がゴルフをしていても非難されず、従業員がボーリングすれば非難される。
 これは何を意味しているのか。「株主は会社ではなく、従業員が会社」であることを意味しているのだ。

 以上の、現在進行中のJR事故報道の実態から見ても、次のように把握するのが妥当であろう。
 会社は、単なる金銭を株主に配当するためにだけあるのではない。会社は株主の所有物ではなく、社会に必要な製品やサービスを提供して従業員の生活の場を提供する「社会的存在」である。
 軽佻浮薄な、マネーゲーム現象がマスコミでもてはやされるからといって、会社の社会性という本質が見失われてはならない。
 また、この度のマネーゲーム現象が、若い者が何百億という大金を動かしたからか、資本主義の新しい未来を開くものとの見方があるが、これは反対である。即ち、企業の社会性の自覚こそが、資本主義の新しい未来を開くのである。
 企業をただ売買の対象とするマネーゲーム的思考は、既に述べたように十九世紀のマルクス主義的企業観・資本主義観であり、資本家と労働者の敵対関係を固定化する古色蒼然たるものであり、歴史が示す通り、この路線上に社会の崩壊はあっても未来はないのである。

 以上、「小泉構造改革」路線のなかで、我が国の会社文化、資本主義文化の、最良のものが没却される風潮を、ライブドア騒動を切っ掛けとして指摘することができればと思い書き連ねた。
 「小泉構造改革」とは、自らの足場に自信が持てない路線、つまり欧米化主義の盲目的自己否定であり、結局は政策ニヒリズム路線だ。
 明治以来、我が国では、この欧米化という名の自己否定が、「鹿鳴館」のように理由もなくちやほやされることがある。現在は、マネーゲームがそれである。
 
 しかし、日本型資本主義システムの明るい未来は、勤労者が職場を自らのモノと思って生き甲斐を感じ、労使一体となって社会有用な製品やサービスを生み出そうと励むところに開かれる。
 我が国は、株の売買やマネーゲームによって存立する国ではなく、物作りによって成り立つ国なのだ。

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