大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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秋に押し寄せたこと

平成16年10月26日(火)

 十月二十日付けの時事通信は、奄美大島・徳之島で出遭った台風二十三号に大阪の堺で再会する直前に書き込んだ。
 そして、二十三号は人間世界へ大きな被害を残して過ぎていき、新たに新潟中越に地震が発生して、新潟地方を始めとする被災地は救助と復旧に追われている。

 台風二十二号、二十三号および中越地震における殉難者に慎んで哀悼の意を捧げ、多くの被災者に心よりお見舞い申し上げます。

 災害時および緊急時においては、現在そして短期の対応と人命救助は行政の使命。立法は、この短期的対応を把握しつつ、中長期の防災対策を立法という観点から確立することを使命とする。

 このことで思い出すのは、阪神淡路大震災である。
 時の内閣は村山富市社会党自民党連立内閣、衆議院議長は土井社会党前党首。
 この内閣は、「今現在そして短期」の対応と人命救助という緊急の使命が自らに課せられていることを自覚していなかったが、衆議院議長と応じて衆議院本会議だけは地震直後に開催したのだ。

 衆議院本会議が開かれると、全閣僚が東京に集まらねばならない。
ところがこの時、災害対策関連の閣僚は、まさに被災地などの現場で救出の最高指揮を執っていなければならない時期であった(つまり、今現在と短期の対応という使命を果たさねばならない時期であった。よって、この時期の本会議開催は、救出行動の遅延につながりかねない。)。
にもかかわらず、そのことをいくら指摘しても無視して本会議を開催した衆議院議長がいたこと、そして、この開くべきでない本会議で
「なにぶん始めてのことで、朝も早かったので・・・」
という言い訳をした総理大臣がいたことを記憶すべきである。
 六千を超える犠牲者が、浮かばれない。
 この痛恨の思い、今もなお我が胸中にある。

 そしてこの度は、阪神淡路の教訓がよく生かされたか。

 九年前を振り返れば、自衛隊の出動など、現場は各段にやり易くなったのではないか。法改正による一歩前進である。
 しかし、緊急事態対応の国家体制が完備されているかという点では、未だ何とも心もとない。
 とは言うものの、関係閣僚が現地に入っていなければならない時期に慌てふためいて本会議だけを開くという愚は、繰返されなかった。

 そして、本日午前、衆議院災害対策特別委員会を開会し、十一月一日の災害対策委員の現地派遣を決定し、午後、衆議院本会議が開かれる。


 今は秋である。
 あの夏の暑さが、夕方になれば嘘のように引き、代わって冷気が肌を包む。昼間の汗がひんやりと肌を冷やす。
 このいつもの秋が来た。

 しかし、今年の秋はなにか違う。なにかいつもの懐かしい秋がない。
 そう思っていると、ふと足りないものが分かった。
 それは、金木犀の匂いだった。
 いつもの秋は、早く暮れる秋の夕闇の奥から金木犀は匂ってきた。
 しかしこの十月、いつものとおり散歩していても、金木犀の黄色の小さい花が、既に地面に無数に落ちているだけだった。

 金木犀は、台風一過の秋の澄んだ空気の中で匂いを漂わすのだ。
今年は、台風一過も無く、十月半ばと下旬になっても二つの台風が相次いで上陸してきたのだった。

 さて、十月二十日は、皇后陛下のお誕生日だ。
 二年前のお誕生日に、皇后陛下は拉致問題を語られた。「無念」とも表現されたそのお言葉に私は感動し衝撃を受けた。
 
 本年は、七十歳になられた。そして、幼い心に深く印象付けられた弟橘姫の物語のことを語られた。
 私には、皇后陛下が弟橘姫と重なって感じられる。このことは先にこの時事通信でも触れた。そしてこの度、皇后陛下ご自身が弟橘姫のことを語られたことで深い安らぎの思いが私の中に広がった。
 
 丁度十月始めのある日、午後に予定が空白になったのを知って、奈良の大神神社に参拝した。そして、山之辺の道を景行天皇陵まで歩いた。日本国家草創期の場所を歩くと、そこそこに古人のゆかりの場所や神社があり、古人が隣近所の人のように感じる。
 その景行天皇の息子さんが、日本武尊(やまとたけるのみこと)で、その日本武尊のお妃が弟橘姫だ。

 長い間、私にとって、美智子妃殿下としての印象が強かった。
 十歳の頃、今は亡き一番上の兄の麹町の住いで夏休み一ヶ月を過ごした。
 その頃東京は、都電が走り、赤坂見付けから三宅坂までの一番高い建物は、木造の赤坂プリンスホテルの尖がり屋根だった。
 夏休みが終わり、堺に帰ってしばらくすると、ご婚礼の発表とともに美しい美智子さまの写真が紙面を飾り、あの尖がり屋根のみえる赤坂見付けからの道をご婚礼の馬車が走った。
 それ以来、私にとって美智子妃殿下は、皇后陛下になられても妃殿下の印象のままだった。つまり、私にとって、妃殿下は、ご婚礼の美しく若いお姿のままで、お年を召されたお姿は何か美智子様という感じがしなかったのである。

 それが、完全に改まったのは、平成六年の、硫黄島ご訪問時の皇后陛下の次の御歌に接してからだ。新聞紙上で拝読した。
    「慰霊地は いま安らかに 水をたたふ 
      如何ばかり 君ら水を 欲りけむ」
 この御歌は、水の出ない硫黄島のサウナのような地下壕に何周間もたてこもり上陸した敵に重大な損害を与えて玉砕した一万数千の戦没者の慰霊の歌である。これを拝読したときの感動を忘れ得ない。
 戦没者を「君ら」と呼ばれたのだ。これほどの思い、これほどの慰霊があろうか。

 また、天皇皇后両陛下は、イギリスを訪問されたが、これに先立ッて、橋本総理はイギリス大衆紙に日本軍によるイギリス軍捕虜虐待の謝罪文を送っていた。しかし、イギリスこそ、日本兵に対して極めて残虐で執拗な虐待をしていたのである。
 私は、このことをイギリス軍の捕虜になった経験をつづった会田雄次氏の「アーロン収容所」を引用して予算委員会で橋本氏に糾したことがあった。
 案の定、総理の謝罪でいい気になった日本軍の捕虜になった元イギリス兵は、イギリス訪問中の両陛下の通る沿道に背を向けて整列して抗議をした。
 その際、皇后陛下は、次の御歌を詠まれた。
 
 「英国にて元捕虜の激しき抗議を受けし折、かつて『虜囚』の身となりしわが国人の上もしきりと思われて」
   「語らざる 悲しみ持てる 人あらむ 
          母国は青き 梅実る頃」

 また、平成七年の御歌。
    「移り住む 国の民とし 老いたまふ
       君らが歌う さくらさくらと」
 
 そして、平成十四年十月の 
 拉致問題に関する「おおみこころ」を体したご発言。

 以上のお言葉、そして、御歌に接して、もはや美智子妃殿下ではない、皇后陛下であり天皇の御母であり、弟橘姫のような御心をもたれる尊い存在がご皇室にあらせられることを身にしみて知ったのである。

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