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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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明治維新は自腹で成された

平成30年6月26日(火)

明治維新百五十年を語る中で、
その資金源の観点から語ってみる。
もちろん、研究者の視点から見れば、私の論は、雑な論である。
しかし、かなり以前から、
明治維新は、イギリスやフランスからの資金で成功した、という論が広がり、
坂本竜馬は、
グラバーから資金を提供されたグラバーの使い走りとかいう論も耳に入ってきた。
これでは、
欧米列強が、アジア侵略の際に使った、
某国内の対立する各派閥にそれぞれ金を渡して取り込んでいく手法に、
我が国の幕末の各藩も引っかかり、
欧米の代理戦争としての戊辰戦争があり、明治維新が成ったということになる。
しかし、これでは、
明治維新によって独立近代国家日本が出現するはずがない。
戊辰戦争で、欧米某国の傀儡が勝利し、
日本がなくなり欧米某国の植民地が誕生するはずだ。
そこで、私は、
明治維新、つまり、我が国の近代への第一歩は、
外国から資金をもらって、その傀儡となった勢力が成したのではなく、
維新を促した思想も資金も、
全て、日本国内に生まれ蓄えられた思想と資金であり、
明治維新は外国の資金と援助によって成されたのではない、
ことを明確にしておきたい。

我が国の戦後には、
マルクス主義史観と
戦後に占領軍GHQが行った
「農地解放」の思想とが合体した、
近代以前の庶民はブルジョアジーに抑圧された「貧民」であり、
農地を「解放」される前の農民は、
虐げられた「農奴」であるという観念がある。
しかし、違う。
江戸時代の日本は、世界で一番資本主義経済が発達した国の一つで、
幕末に民間に蓄積されていた富は、巨額であった、と思う。
世界で最初に先物取引が始まったのは、大阪の中之島であり、
近世の新田開発の主体は、多く民間であり、
今もある全国津々浦々の神社仏閣の建設や橋などの社会インフラも
民間の力によって為された。
そして、民間のその主体は「庄屋」である。

数日前のフェースブックで書いたが、
維新後、瞬く間に郵便制度を全国津々浦々に行き渡らせた
前島密の慧眼は、
村の庄屋に郵便局を開設させたことである。
村人は、先祖代々、村の庄屋に世話になって村落共同体を造ってきた。
これは「解放」されない段階でも、
マルクス主義の「抑圧」でもなんでもない。
これが、我が国の豊かな村落共同体の姿である。
従って、前島密のこの村落共同体を郵便制度作りに取り込む着想によって
瞬く間に全国の村々に郵便制度がしみ渡ったのだ。

しかし、これは前島密の独創的発想ではない。
幕末から明治維新期の人は、
村には庄屋を中心にしたネットワークと
豊かな富の蓄えがあることを知っていたのだ。
現在の、我々も、守銭奴の○○屋さんや○○屋さんに
巨額の富が流れていることを知っているようにだ。

いまや、フランスやイギリスで
最も偉大な日本の画家として知られている葛飾北斎が、
九十歳の生涯に九十三回の転居をし、
約三万点の作品を遺しえたのは、
幕府に支援された訳ではなく、
信州の小布施を初め
日本の各所の村々に世話ができる豊かな教養人がいたからである。
さらに、私に、
明治維新を支えたのは、
各所の「庄屋」の財力であることを教えてくれたのは、
「炎の陽明学 山田方谷伝」と
「ケインズに先駆けた日本人 山田方谷伝」
を書かれた矢吹邦彦氏である。
矢吹氏は、これらの著書のなかで、
江戸初期に中国山陰地方において、
砂鉄の大量採取が実現して鉄が増産されるようになり、
全国の新田開発および開墾地の増産のために必要になった
「三つ又の鍬」の増大する需要が満たされ、
それがこの地方の庄屋の財力を増大させ、
この財力が明治維新の為に提供された、
と記されている。
鉄の増産による資金が増大した地域は、丁度、長州藩の勢力下である。

斯くして、
明治維新前の日本には、
資本主義経済の発達により各地に大豪商が生まれ、
各村落には豊かな庄屋があった。
そして、薩長土肥の各藩には、豊かな公金があった。

六月二十二日、
元在沖縄アメリカ海兵隊外交政治部次長ロバート・D・エルドリッジ氏と
京都の先斗町で呑んだ時、加茂川を見ながら、エルドリッジ氏に、

幕末には、向こう岸の祇園とこちらの先斗町という花街で、
毎日、長州の武士達が、飲み続けて散財したのです。
同じように、他の藩士もここに来て散財していた。
しかし、長州が第一番の客で、金払いが良いので一番の人気でした。
それで、長州は、(女将さんや芸妓さんの方を見て)、
彼女たちから他藩の情報をもらい、
そのお陰で情報戦に勝って維新の中枢を握ったのです。
では、その金は、どこから出たのか、
それは、藩の公金です。
ほとんど、公金横領です。

と、説明した。
さらに加えて、幕末の志士は脱藩浪士が多いのであるが、
彼らの資金はどこから出たのか。
それは、庄屋と大富豪から出ている。

以上の通り、明治維新は日本の自腹で行われたのだ。
その主目的は「独立自尊」である。
近代化とは、あくまでその「手段」である。
独立自尊が目的であったから、
討幕派も佐幕派も欧米からの援助の申し入れに応じた形跡はない。
どちらかが、応じていれば、
維新後の独立自尊の達成は無かった、
つまり、維新は失敗していたであろう。
このこと、勝海舟は、
外国の援助の申し入れに応じなかったと自分で書いて説明しているので
その「海舟座談」を読んで頂きたいが、
全く自分で説明せず、
維新後は、立身の道を捨てて、
幕府の遺臣として悠々と世をおえた一人の高士を紹介しておく。

勝海舟は幕末の陸軍総裁であった。
栗本鋤雲(じょううん)は幕末の外国奉行であった。
そして、栗本鋤雲は、
外国奉行として、外国に対して、
いささかも国威を失墜せしめなかった人物であるが、
慶応三年五月、
日仏親善の為にフランスに派遣されていたときに、
幕府が倒れた。
それを知ったフランス政府は、
彼に、幕府再興の為に援助を申し入れた。
しかし彼は、
日本国内の処理に外国の力を借りるということは
日本人としての自覚が許さぬとして断固これを拒絶した。
帰国以後の彼は、
立身を得るならば易々たるものであったが、
敢えてでず、明治三十年まで生きた。
「白髪の遺臣、楚辞を読む」
との詩を遺している。

以上の通り、明治維新の日本人は、倒幕佐幕を問わず、
高貴である。

とはいえ、
自腹の癖が抜けなかった面もある。
この日本人が自腹で行った明治維新の中に生死をかけた青春を過ごし、
またはその匂いを嗅いだ時代の
明治の元勲・政治家どもは、
財閥から、
ある者は政治資金、
ある者は別邸を建てるための資金(山県有朋)、
ある者は、美妾を養うために資金(某々)
を得ることは当たり前だと思っていた。
また井上馨などは、
幕末に高杉晋作にさせられた公金横領の癖が維新後も抜けなかった。
昭和まで生きた犬養毅は、
杖を突いて、怖い顔をして天下の三菱の玄関に立ち、
頭首が出てくると、挨拶もせず、
大きな声で「金を出せ」
と言ったという。
明治は、いい時代であった。小生は、遅れて生まれた。
しかし今は、明治のように国家天下に臨む財閥は無くなって、
目から鼻に抜けることが自慢な効率優先の拝金経営者がいるだけだ。
しかし、明治はいいといっても、
山県有朋が、遺した別邸、ホテルの椿山荘、料亭の小田原の山月、京都の別邸
を見る度に、
長州閥が嫌になる。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというが、本当だ。
靖國神社の大村益次郎の銅像はあそこから移動させよと思うし、
米作りの伝統を担う杜氏を使わない長州の酒など
「酒」ではないと思うので店で注文しない。

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