大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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日本国憲法は、日本への執拗な極度の軽蔑と復讐の文書である

平成30年5月6日(日)

「憲法記念日!」に、「アーロン収容所」を思い浮かべた。
京都大学の教授だった会田雄次さんは、
日本軍兵士としてビルマ戦線で戦い、
敗れてイギリス軍の捕虜となって二年余の間、
ビルマにあるイギリス軍の「アーロン収容所」に収容された。
そして、戦後、
「アーロン収容所」という本を書いた。
何故書いたのか。
その理由を「まえがき」に次のように述べている。

「私たちだけが知られざる英軍の、イギリス人の正体を
垣間見た気がしてならなかったからである。
いや、たしかに、見届けたはずだ。
それは、恐ろしい怪物であった。
この怪物が、
ほとんどの全アジア人を、何百年にわたって支配してきた。
そして、そのことが
全アジア人のすべての不幸の根源になってきたのだ。」

次に、その「アーロン収容所」の本文に紹介されている、
イギリス人の「発想」と「論理」を紹介する。
この論理こそ、会田雄次さんが、「怪物」と言ったイギリス人の
アジア人もしくは有色人種そして異教徒に接するときに現れる論理である。
つまり、
最も非人道的なことを、さらに、最も野蛮なことを、
人道主義の名において、そして、信仰の何おいて、
為せる発想と論理だ。

(1)イギリス軍は、
日本兵捕虜の「収容小屋」の横に「豚小屋」を建てた。
そして、豚に与える餌を、
日本軍捕虜に与える餌(食事)よりも上質なものにした。
そこで、堪え兼ねた日本軍将校が、イギリス軍将校に、
せめて、豚に与えている餌のレベルに我らの食事を改善してくれと要求した。
すると、イギリス軍将校は、次のように答えた。
「我らは、非常に人道的に君たちを扱っている。
豚に与えている餌を君たちに与えるという非人道的なことはしない。」

(2)イギリス軍が、
日本軍捕虜に与える米は、ビルマの下等米で、しかもひどく臭い米であった。
その上、ある時期にはやたら砂が多く、三割ぐらい泥と砂の場合もあった。
それで、捕虜達は、日本軍司令部に、
イギリス軍に抗議してくれと申し込んだ。
その抗議に対し、イギリス軍担当者は、
真面目にそして真剣に、次の通り返答した。
「日本軍に支給している米は、
当ビルマにおいて、家畜飼料として使用し、なんら害なきものである。」

(3)イギリス軍は、
イラワジ川の、潮が満ちてくれば何時間も一尺くらいの深さになるまで水没する
毛ガニがたくさんいる中洲に、百何十人かの日本軍鉄道隊の捕虜を収容した。
捕虜達は飢えに苦しんだ。
しかし、中洲にいる毛ガニは美味しいカニだが、
アメーバー赤痢菌をもっており
生で食えば赤痢に罹患し血便と血反吐を吐いて死ぬ。
そこで、イギリス軍は、
カニには病原菌がいるから生食してはいけないという命令を出していた。
しかし、一日数時間も水没する中洲に薪は無く、
飢えた兵隊は生で毛ガニを食べて死んでいった。
監視のイギリス兵は、
みんなが死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎日観察していた。
そして、全員が死に絶えたのを見届けて、
次の通り上司に報告した。
「日本兵は衛生観念に乏しく、
イギリス軍の度重なる警告にもかかわらず、
生カニを補食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である。」

(4)イギリス人の女達は、
日本兵捕虜を人間として意識していない。
会田さんは、
看護婦や女兵士の部屋の掃除をするために部屋に入り驚いた。
一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからだ。
しかし、女は、入ってきたのが日本兵だと知ると、
何事も無かったかのようにまた髪をすき始めた。
イギリス人は、大小の用便中でも
日本兵捕虜が掃除のために、部屋にはいっても平気であった。

イギリス軍の処置の中には、
「復讐」という意味がかならずふくまれていた・・・。
問題は、その復讐の仕方である。
日本人がよくやったような、殴ったり蹴ったりの直接行動はほとんどない。
しかし、
一見いかにも合理的な処置の奥底に、
この上なく執拗な、極度の軽蔑と、猫がネズミをいたぶるような復讐、
がこめられていたように思う(会田雄次氏)。

以上が、会田雄次さんが、「アーロン収容所」を書くに至った、
捕虜として体験したイギリス人である。
そして、私は、
憲法記念日!?に、
この「アーロン収容所」を思い出したのだ。
ビルマ戦線における日本軍兵士を支配した「アーロン収容所」の
「イギリス人」を、
同時期に、日本本国において、
日本国と全日本人を占領支配して、
平和と人権と民主主義を強調した「日本国憲法」を書いて押しつけた
「アメリカ人」に置き換えれば、
見事に、その発想と論理は一致している。
もともと、アメリカは、
イギリスで住めなくなったイギリス人が造った国だ。
本家のイギリス人は、「アーロン収容所」の日本人だけを支配したが、
分家のアメリカ人は、
本家と同じ論理で、「全日本」の日本人を支配したのではないか。
つまり、GHQと、
その最高司令官マッカーサーは、
日本を占領統治したが、
その占領目的は、
アーロン収容所のイギリス人と同じ「復讐」だった。
そして、その復讐の仕方こそ、
「アーロン収容所」で会田雄次さんが経験したのと同じやり方ではなかったのか。
即ち、
民主主義の名において、もっとも非民主的な支配をし、
平和の名において、日本が滅ぶように仕組み、
人権の名において、日本国民を砂粒のようにバラバラした。
彼らは、「日本国憲法」によって、
日本に、民主主義と平和主義と人権尊重を宣言させるという、
この一見いかにも合理的な処置の奥底に、
日本人に対する
「この上なく執拗な、極度の軽蔑と、猫がネズミをなぶるような復讐」
を込めたのではないか。

マッカーサーの母校のアメリカ陸軍士官学校ウエスト・ポイントの資料館には、
開戦初頭で、一挙にシンガポールを陥落させて、
数百年に及ぶ白人優位の世界秩序を打倒した世界的名将となり、
終戦間近にフィリピンの第十四軍司令官としてマッカーサーに降伏し、
六ヶ月後に、マッカーサーによってフィリピン現地で絞首刑に処された、
山下奉文陸軍大将の軍刀が、
我が国の降伏文書とともに展示されている。
これを見たとき、私は、
開戦初頭に、日本軍に追い詰められて
フィリピンのバターン半島から七万の部下を見捨てて逃げた
マッカーサーの、日本と山下閣下に対する陰湿で執拗な妬みと復讐心を感じた。

マッカーサーとそのGHQの幕僚は、
その意図を巧妙に隠した。
従って、未だに、日本国民の一部には、
五月三日には、
憲法九条を守れとか、
憲法改正は戦争に至る道とか、いう集会を開いて、
マッカーサーが巧妙に隠した意図通り踊らされている。
しかし、日本国憲法の中の「二箇所」から、
彼らの意図の全容が見える。
その「二箇所」とは、
まず、九条第二項。
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。」である。
前段の戦力は「これを保持しない」という条項の内容はともかく、
その主語は明確である。
しかし、次の、この国の交戦権を「認めない」という一文の主語は誰なのか。
この書き方は、異様である。
この一文の主語は、書き方からして日本国民ではない。
それは、マッカーサーGHQつまりアメリカ人ではないか。
この条文は、
「マッカーサーは日本の交戦権は、これを認めない」
と書かれているのだ。
ここに、マッカーサーの「復讐」が表面に現れ出ている。
マッカーサー、本音を見せたり、である。
これこそ、天網恢々疎にして漏らさず、だ。
次は、前文。
そこでは、冒頭に、
主権は日本国民に存することが宣言されているが、
同時に、その国民は、主権の存する自分たちの政府の行為によって、
「再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」
そのために、自らの政府ではなく、
「平和を愛する諸国民の公正と信義」
を信頼して、
「われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言されている。
つまり、
日本国民は、12歳以下の無能力者であるから、
自分たちの政府では戦争を起こす可能性があるので、
自らの政府を信頼するのではなく、
「平和を愛する諸国民の公正と信義」に頼れ、
と書いてあるのだ。
このような、
自国民を未熟児扱いしする前文を掲げている憲法など、あろうか!
ここにマッカーサー、GHQの
日本に対する「極度の軽蔑と執拗な復讐」が現れていると思われないか。
以上の通り、
「日本国憲法」とは、
会田雄次さんが「アーロン収容所」で経験した同じ論理によって仕組まれた、
アメリカ人のマッカーサーとGHQによって仕組まれた
日本に対する
「この上なく執拗な、極度の軽蔑と、猫がネズミをなぶるような復讐」
を遂げるための文書であり、
我が国の『憲法』ではない。

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