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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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世界は日本の八紘一宇に向かう

平成30年2月20日(火)

「伝統と革新」誌から次号のテーマである「神道と現代日本・・・宗教・闘争・平和」に関する原稿用紙二十枚の執筆依頼を受けたので、
二月十六日と十七日の二日間で書いた。
しかし、私には、宗教に関する学識は無く、信仰心が篤いことも深いこともない。
私は、政治の世界に生きる者である。
従って、信仰の立場からではなく、
この五百年間、地球をほとんど征服して植民地とした欧米人のキリスト教とは何だったのかを書いた。
現在の歴史段階は、
欧米キリスト教世界の数百年にわたる世界支配が終焉したあとの
諸国民の幸せをもたらす秩序を如何にして獲得するのか模索する段階にあるからだ。
思えば日本は、二十世紀に、
たった一国でこの欧米の世界植民地支配体制を打破しようと孤軍奮闘した。
そして、我が国は敗れたが、欧米の人種差別を抱えた世界支配は終焉した。
その戦闘を開始する際に、
我が国は帝国政府声明を発し、アジア解放の志を
「東亜を明朗本然の姿に復し、相携えて共栄の楽しみを分かたんと祈念する」
と世界に宣言した。
その「東亜の明朗本然の姿」とは、
欧米キリスト教世界に支配される以前の姿である。
ここで明らかなことは、
大東亜戦争開始に際しての我が国は、直感で、
「東亜共栄の楽しみ」は古に戻ること、
即ち「復古」によって適えられると確信したのだ。
そうであれば、私の直感も述べたいと思う。
では、その「復古」とは、何処までの「復古」なのか。
その「復古」が必要なのは、
何もアジアだけではなかろう。
ヨーロッパも、
キリスト教に改宗する前の神々の世界に「復古」するべきだ。
振り返れば、ヨーロッパがキリスト教の世界となるのは、
そう遠い昔ではない。
キリスト教になってからヨーロッパは
異端審問によって異端を火刑で焼き殺す数百年の暗黒の中世に入り、
ルネッサンスの「文芸復興期」を経て近代に入る。
しかし、その時ヨーロッパは、
ギリシャ・ローマの文芸だけを復活させて神々の復活は封印された。
ヨーロッパの今度のルネッサンスは、キリスト教改宗以前の
ギリシャ・ローマ、ガリア、ケルト、ゲルマンの神々の復活だ。
また、付言するが、
私は、キリスト教を敵視しているのではない。
敵視どころか、私は幼い頃に、
母に連れられて兄と共に、大阪の南田辺のカトリック教会に通った。
その童心の時の母と共にいた情況を思えば、
無限の安らぎを感じる。
母は、明治に生まれ、両親から聞いた明治天皇の質素なお暮らしぶりを語るとき、
涙を流して語った日本人だった。
母は、庶民に至るまで初めて西洋に接した明治の御代に生まれ、
最も純粋に西洋の精神を受け入れた世代の一人だった。
しかし、神道の家の娘で、神社にもお寺にも参るあたりまえの日本人であった。
母は、よく小鳥とも話をしたといわれるアッシジの聖フランシスコのことを語ってくれた。
しかし、母から、ヨーロッパの
異端審問と異端者を火刑にしてその灰も遺さないヨーロッパのキリスト教のこと、
また有色人種の異教徒を人間とみなさないヨーロッパのキリスト教のことは聞いたことはない。
私のキリスト教への思いは、この母と共にある。
それ故私が、次の論考で語っているのは、
この母と共にあるキリスト教ではなく、
ローマからヨーロッパの国教となって
ヨーロッパの世界制覇の精神的原動力となった
「キリスト教という巨大で恐ろしい政治的力」
について語っているのだ。
以下、お読み頂きたい。

・・・    ・・・    ・・・    ・・・    ・・・

宗教と戦争(闘争)と平和は、当然のことながら、
人間と無関係にあるのではなく人間の存在のなかにある。
従って、それらは、人間の群である国家と民族の運命に深く関わってきた。
そして、人間が、善と悪と美と醜の両極を一身に内蔵して生きる存在である以上、
国家と民族は、宗教の違いによって殺し合い、
同じ宗教でも教義の違いによって殺し合う存在である。
それどころか、一人一人の人間も、
同じ教会の同じ信者同士でも利害対立によって争い、時に殺し合う。
つまり、ある宗教を信じようが信じまいが、
その宗教の目指すところが如何に美しく崇高であろうが、
国家と民族と人間は、生存のため、利害の為に、闘争する。
宗教は必ずしも平和をもたらさず、
反対に戦争(闘争)の原因となり、
宗教と無関係な利害の一致が和解の原因となる。
このことが明瞭に現れているのが、過去ではなく現在の世界情勢である。
とりわけ、共通の先祖をもつ三つの宗教である
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の聖地エルサレムをもつ中東の情勢が、
平和と反対のテロと紛争の坩堝となっている。
この現在までの世界を動かしてきたのは、
二千年ほど前に中東で生まれ、
ヨーロッパ大陸に広がったキリスト教を中心とした歴史、
つまり、一神教の世界である。

ローマ帝国が、西暦三八一年にキリスト教を国教としたことによって、
キリスト教の布教は拡大を続けて、全ヨーロッパがキリスト教世界となる。
このことは、もともと古来から多神教の世界であったヨーロッパにおける
ギリシャ・ローマそしてゲルマンやケルトやガリアの
神々の世界の記憶が切断されたということだ。
そして、このキリスト教化したヨーロッパは、
暗黒と言われる中世を経て近世を開き、以来、二十世紀までの五百年ほどの間に
地球上のほぼ全てを植民地・入植地として支配するに至った。
この近世五百年の間に、
ヨーロッパに支配されたヨーロッパ以外の世界は、
キリスト教の世界ではなくイスラム教やヒンズー教や仏教や多神教の世界であった。
つまり、
近世五百年とはキリスト教徒が異教徒を支配し、キリスト教に改宗させた時代である。
しかし、その世界史の大流のなかで、
彼らから観て「ファーイースト・極東」に位置する我が日本は、
「ヨーロッパキリスト教世界」(以下、「ヨーロッパ世界」、という)による地球支配から唯一免れて二十世紀を迎えた。
従って、我が国は、「ヨーロッパ世界」がもともと持っていた
多神教の神々の世界を現在も保持している。
この日本に接したヨーロッパ人の一人、
社会人類学者であるフランス人クロード・レヴィ-=ストロースは、
二十世紀の初期に次の通り、日本を述べている。

「われわれ西洋人にとっては、神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵が開いている。
日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、
そこでは誰もが歴史とも神話とも密接な絆をむすんでいられるという点にあるのだ。」
 
そして、日本は、二十世紀において、
アジアにおけるこのヨーロッパ諸国の植民地支配を打倒して、
地球における「ヨーロッパ世界」の優越、
つまり人種差別、白人優越の体制を終焉させ、
現在に至る人種平等・諸国民平等の世紀の幕開けを告げた。
よって、本稿においては、
この現在の歴史段階に立って、日本人の観点から、
五百年間にわたる「ヨーロッパ世界」による
アジア・アフリカの「異教徒支配」とは何だったのか。
さらに、「ヨーロッパ世界」と「日本」は何が違うのかを論じることにする。
従って、既にお分かりのように、
私はキリスト教をはじめとする諸宗教の崇高かつ深遠な信仰について書くのではない。
そもそも書く能力も資格もない。
そうではなく、
如何にして世界史が動いてきたのかを書く。
つまり、我々の先祖が、十六世紀に初めて遭遇し、二十世紀までアジア・アフリカを支配した「ヨーロッパ世界」と国家とは何であったのかを書くことになる。
そして、これを書くなかで、
この「ヨーロッパ世界」の世界支配が終焉した後の
「日本」の世界史における役割とは何かを考えたい。
それは、つまり、
神々は、天は、何故、日本を、太古から今まで日本たらしめたのか、
日本は何故、日本なのか、ということになる。
明らかなことは、
日本には、天皇と神社(神道)がある、
だから、日本は日本なのだ、ということだ。
 
さて、二十世紀初頭の日露戦争が世界史を変えた。
一九〇五年、明治三十八年のことだ。
その我が国が変えた世界史とは、
「ヨーロッパ世界」、
つまり、ヨーロッパ帝国主義諸国のアジア・アフリカ侵略の世界史である。
我が国は、日露戦争でロシア帝国に勝利することによって、
「ヨーロッパ世界」に侵略され植民地となったアジア・アフリカの諸民族を覚醒させ、
それから三十六年後の昭和十六年(一九四一年)に勃発した大東亜戦争の緒戦において、帝国政府声明によって明確に
「東亜を明朗本然の姿に復し、相携えて共栄の楽しみを分かたん」
ためのアジア解放を世界に宣言して、
アジアを支配するヨーロッパ帝国主義諸国である
イギリス、フランス、オランダそしてアメリカの植民地支配を打倒した。
 
そこで、日露戦争までの、「ヨーロッパ世界」のアジア侵略史を概観する。
まず、一四九二年、
スペインからクリストファー・コロンブスが大西洋を西に向かい
ハバマ諸島とキューバに到着する。
次に、一四九八年、
ポルトガルからバスコ・ダ・ガマがアフリカ南端の喜望峰を廻って東に向かい南インドのカリカットに到着する。こ
こから、「新世界」の「ヨーロッパ世界」による分割が開始される。
その象徴的条約が、
ローマ教皇アレキサンデル六世の承認に基づき、
一四九四年にスペインとポルトガルとの間で結ばれたトリデシリャス条約である。
この条約は、地球を大西洋上で二分割して、
西をスペインが、東をポルトガルが領有するとするものである。
つまり、最初に「インディアス」を「発見」したスペインが
トリデシリャス条約によって西を取り、
スペインに先を越されて東に向かわざるを得なかったポルトガルが
東から「インディアス」に向かってインドに到着したというわけだ。
この両者の目的は共に「インディアス」から黄金と香料を得ることである。
西に向かったスペインは原住民の虐殺によって目的を達し、
東に向かったポルトガルは文明世界であったインドとの交易によって目的を達した。
次は、ハバマ諸島とキューバに上陸した時のコロンブスの手記である。
「彼ら(原住民)は、武器を持たないばかりか、それを知らない。
・・・彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。五十人の男達と共に、彼ら全てを征服し、思うままに何でもさせることができた。
・・・彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になるだろう。」
 
そして、はやくもこの約五十年後には、
東西に別れて「新世界」を領有しようとしたスペインとポルトガルは、
共に地球の反対側の我が国に到達する。
ポルトガル人の種子島漂着と鉄砲伝来は一五四三年、
スペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルの薩摩半島南端への上陸は
一五四九年である。
ここにおいて我が国は初めて「ヨーロッパ世界」に接した。
 
それから僅か三十三年後の一五八二年(天正十年)、
我が国からキリシタン大名の子弟である四人の少年と随行員がスペインに派遣された。
天正遣欧少年使節である。
彼らは、ポルトガル王を兼ねていたスペイン王フェリペ二世の歓待を受け、
次にスペインから地中海をイタリアに渡り、
ローマ教皇グレゴリウス五世と会見してローマ市民権を与えられた。
しかし、八年後の一五九〇年(天正十八年)に彼らが帰国したとき、
既に天下人となった豊臣秀吉は、
バテレン追放令を発しており(一五八七年)、
四人の少年のうち、
伊東マンショは司祭となるが、
原マルティノは追放されてマカオで客死し、
中浦ジュリアンは「穴づり」にされて殉教し、
千々石ミゲルは棄教する。
この天正遣欧少年使節を発案したイエズス会宣教師の目的は、
少年達にキリスト教文明の偉大さを実感させることにあった。
 
このようにして十六世紀のたった百年の間に、
地球のほぼ全てにスペインとポルトガルの足跡が刻まれた。
そして、十七世紀に入ると、スペインとポルトガルに続いて
イギリス、フランス、オランダ、ロシア、アメリカそしてドイツなどの列強が
植民地を求めてアジア進出を開始した。
 
イギリスは、十九世紀初めまでにはインドの主要地域を支配下に入れ、
一八一九年にはシンガポールを占領し、
続いてビルマとマレーを植民地とした。
さらに、清国に対してはアヘン戦争を仕掛けて五港を開港させ、
一八四二年、香港を割譲させた。
その間、南半球のオーストラリアとニュージーランドを占有した。
オランダは、一六一九年にインドネシアのジャワ島に進出し、
十九世紀前半のジャワ戦争で東インド諸島を手に入れた。
フランスは、一八六二年、ベトナム南部を占領し、
次にカンボジアそしてベトナムの中部と北部とラオスを支配下に置き、
一九〇〇年に広州を清国から租借した。
ドイツは、一八八四年、東ニューギニアを領有し、次にマーシャル群島を手に入れた。
最も遅れてアジアの植民地争奪戦に参加するアメリカは、
一八四八年、メキシコから奪ったカリフォルニアで金鉱が発見されるや、
西部の開拓を急速に進め、
陸上のフロンティアがなくなると太平洋に進出して、
一八九七年にハワイを併合し、
一八九八年にスペインからフィリピンとグアムを奪い、
一九〇〇年には、ウェーキとサモアを併合した。
このアメリカの西部の開拓、というより、インディアンの居住地の略奪も
太平洋への進出も、全て「神から白人に与えられた使命」に基づくものであった。
そして、ロシアであるが、
ユーラシア大陸の北の陸路を東へと拡大し、
一八五八年のアイグン条約と一八六〇年の北京条約で、
遂にウスリー以東の沿海州を獲得して、
西のバルト海から東の日本海にまたがるユーラシア大陸北部を支配する帝国となった。
また、既に十九世紀初頭には千島に進出し、
一八五三年には樺太に上陸して日本人を追放して占拠し、
一八六一年には対馬の芋崎に軍艦ポサドニック号を侵入させて半年間そこを占拠した。
その時のロシア軍兵士の銃撃によって死亡した二人の対馬藩士は、
今、靖國神社に祀られている。
以上が、「ヨーロッパ世界」のアジア進出の概要であるが、
彼らは、有色人種や異教徒に対する強烈な人種的偏見をもってそれを為したということは記憶するべきである。
まさに明治維新以来の我が国は、
この「ヨーロッパ世界」の強烈な人種的偏見と闘ったからだ。
では、この「ヨーロッパ世界」の人種的偏見とは、どの程度であろうか。
それは想像を絶するものである。
つまり、彼らは、異教徒や有色人種を、人間と見ないことができるのだ。
狐やウサギや鴨を、猟銃で狙撃して、
その獲得数を競うレジャーとしての狩りが行われるが、
彼らは、まさに人間を獲物として射殺してその数を競うレジャーを楽しめたのである。
「ヨーロッパ世界」からの入植者は、
オーストラリアの原住民であるアボリジニや
アメリカ大陸のインディアンをハンティングを楽しむように射殺しえたのである。

コロンブスがアメリカ大陸に到着した時、
南米大陸には最大推計一億一千万人、最小推計四千万人のインディオが住んでいた。
しかし、八十年後のインカ帝国滅亡の時には、一千万人に激減していた。
同じくコロンブスが到着したとき、北米大陸にも大勢のインディアンがいた。
しかし、十九世紀の終わりには三十五万人に激減していた。
イギリスは、一七八八年、
オーストラリアに一千四百七十三人の流刑者を送り込み、
その後も、ならず者や無法者を入植者として送り続けた。
彼らは原住民のアボリジニをリクレーションとしての狩りの獲物として射殺した。
オーストラリア政府が、
アボリジニを国民(人間)とみなして人口統計に入れたのは
一九七六年(昭和五十一年)の憲法改正以降である。

我が国が、十六世紀の半ばに遭遇し、
三百年後の十九世紀の半ばに再度遭遇した
「ヨーロッパ世界」とは斯くの如き世界であった。
それは、植民地化と人種差別の巨大な脅威、怪物であった。
そして、この「ヨーロッパ世界」の危険性を、
アジアにおいて、初めて、かつ唯一人見抜いた指導者は豊臣秀吉である。
その時、彼が見抜かなかったら、
日本は日本でなくなっていたかも知れない。
彼は、九州において、キリシタン大名の領地の状況を見た。
そして、危険性を見抜いたのだ。それを見抜かせたものは、
神話にもとづいて天皇の知らす国である日本の歴史と伝統と無関係ではない。

キリスト教の宣教師にとって、
世界がローマ教皇アレキサンデル六世の承認したトリデシリャス条約の通り、
スペインとポルトガルに支配されてキリスト教化することこそ、
神の御心にそうものであった。
従って、彼ら宣教師のアジアでの布教活動は、
スペインとポルトガルの植民地化の為の偵察行動でもあった。
また、布教にかかる資金を調達しなければならない。
それには、現地で奴隷を仕入れて欧州で売ることである。
コロンブスのハバマ諸島上陸直後の手記に、原住民を見て「彼らはすばらしい奴隷になるだろう」と書かれていることから明らかなように、
彼らにとって有色人種の異教徒は、金になる牛や馬と同じ家畜に見えたのである。
従って、宣教師達は奴隷商人を連れてきていた。
そして、キリシタン大名から領地を寄進され自由にその領域を歩けるようになった彼らがまずすることは奴隷の調達と神社仏閣の破壊だった。
特に日本人の少女は従順で頭が良いということで
欧州の奴隷市場で高値で売れたという。
彼らは、その少女達を裸にしてロープで数珠つなぎにして牛や馬のように船倉に押し込んで欧州に送り出した。その数、数万から五十万ともいわれている。
では、キリシタン大名は、領地の寄進の見返りに宣教師達から何を得ていたのか。
それは、鉄砲を撃つための火薬である。火薬は日本に無かった。
時は戦国である。キリシタン大名も、信仰の世界の綺麗事で生きてはいないのだ。
このバテレンの行状を秀吉が見た。
そして、危険性を見抜いた。
また、あの四人の初めて欧州に行った日本人である天正遣欧少年使節の少年達も、
欧州の奴隷市場で裸にされて売られている日本の少女達を見たのだ。
千々石ミゲルの棄教の原因は、ここにあるのではないかと推測している。
イエズス会の宣教師が、キリシタン大名の子弟達に壮大なキリスト文明の偉容を見せようと企画した大旅行において、
少年達は「ヨーロッパ世界」の壮大な偽善を見たのである。
 
我が国は、十六世紀の末に、
秀吉が「ヨーロッパ世界」のアジア植民地化と人種差別の危険性を察知して
彼らとの関係を切断したが、
三百年後の十九世紀半ばに国を開いて明治維新を達成し、
福澤諭吉の主張するように、
国家の生き残りのために彼らの文明を学び、その文明の力を以て彼らと戦い、
遂に二十世紀半ばにアジアを「ヨーロッパ世界」から解放した。
この歴史を踏まえた上で、
明治維新以降の我が国の歩みを、ヨーロッパ帝国主義諸国と同じ侵略と植民地支配をしたと非難する思想戦に対抗しなければならない。
つまり、朝鮮は、我が国の台湾領有と朝鮮の併合を植民地支配と非難する。
しかし、我が国の台湾と朝鮮の統治は、
「ヨーロッパ世界」の植民地統治とは天地の違いがある。
彼らの植民地統治は、異教徒や有色人種を人間とみなさない支配であるが、
我が国の統治は同じ同胞としての統治である。
従って、我が国は小学校教育を台湾と朝鮮の全土に行き渡らせると共に、
殖産興業への道を拓き、豊かな台湾、豊かな朝鮮を実現しようとした。搾取ではない。

我が国の、人種差別を受け満身創痍になりながらの明治維新以来の孤軍奮闘によって、
二十世紀前半までの五百年にわたる欧米の「ヨーロッパ世界」による
人種差別とアジア・アフリカ支配は終焉した。
そして、世界は、我が国の昭和十六年十二月八日の
「東亜を明朗本然の姿に復す」という「帝国政府声明」と
同十八年の「大東亜共同宣言」の通り、
人種差別なき諸民族の個性を尊重する共存共栄の道に向かいつつある。
 
しかし、この段階に至って冒頭に記したように、
世界は、テロと闘争という危機におののいている。
その内、北朝鮮問題のように、
独裁者が保有しようとしている核を如何にして阻止するかは、
ある意味で単純である。
邪悪な独裁体制を壊せばいいのである。壊す方法と時期の問題だけだ。
問題は、一神教による世界制覇と平和の維持という五百年の試みが、
独善と偽善と異教徒の抑圧という人類の惨害をもたらして崩壊した後に、
何を以て平和を維持し人を幸せにする指針とするのかである。
 
そこで提言する。
「ヨーロッパ世界」よ。
二千年前のキリスト教以前の神々の世界の記憶を取り戻せ、と。
ヨーロッパは、中世からルネッサンスを経て近世に向かった。
しかし、その「ルネッサンス」は、
文芸復興と言われるようにギリシャ・ローマの文芸を復興しただけで、
ギリシャ・ローマの神々の復活ではなかった。
今こそ、ヨーロッパは、本当のルネッサンス、
つまりローマがキリスト教を国教化して以来、失われたケルトやガリアやゲルマンの神話の世界と神々を甦らせるルネッサンスを行うべきだ。
既に述べたがフランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが、
「われわれ西洋人にとっては、神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵が開いている」
と言った、その「深淵」を、
日本がそうであるように「緊密な絆」で繋ぐのだ。
何もキリスト教を忘れろと言っているのではない。
村に伝わる昔からの祭りや「ニーベルンゲンの歌」そして「神々の黄昏」には、
神々の世界が、まだ伝えられ演奏されているではないか。
 
十六世紀末の戦国時代、織田信長の前で、
キリスト教の宣教師と仏教の坊さんが論争することになった。
その時、坊さんが宣教師に質問した。
「全知全能の神がいて地球や我らを創造されたとするならば、何故、君らだけがその神を知っていて、俺たち日本人は今までその神を知らなかったのか」、
また、「何故、神は全知全能なのに悪魔がいるのか」と。
その時、その宣教師が、
「それもそうだなあ、なるほどなあ」と普通に言えたら、
ヨーロッパは、異教徒迫害・人種差別の「ヨーロッパ世界」にはならなかった。
はっきり言う。
ヨーロッパよ、日本人が太古からもっている普遍的で根源的な神々の世界に戻れ。
これはキリスト教以前のヨーロッパももっていた世界だし、
近代にいおいて、「ヨーロッパ世界」が滅ぼした原住民のもっていた
真の意味の宗教である。
その滅ぼされた原住民であった彼らと、我々日本人は、
何万年か前に、ユーラシアの何処かで同じ祖先をもっていた。
そして、ヨーロッパから最も離れた極東にあった日本だけが、
その先祖のもっていた根源的な神々の世界を現在まで伝えてきているのだ

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