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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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我が国の抑止力は歴史と自衛隊にあり

平成30年1月25日(木)

先の本通信において、
産経新聞(平成30年1月23日朝刊)が報道した
元海将の伊藤俊幸氏が、三重「正論」懇話会で自衛隊について述べたことに触れた。
その記事で私が注目したのは、同氏の次の発言だ。
「自衛隊については
『平成15年成立の武力攻撃事態対処法で防衛出動が可能になっており、
すでに専守防衛ではない』と述べた。
北朝鮮や強引な海洋進出を続ける中国に対し、
常に抑止力を働かせているとして、
『日本の防衛は米国に守ってもらっているとよく言われるが、大きな間違いだ』
と強調した。」
即ち、伊藤元海将は、

自衛隊は、常に抑止力を働かせ、我が国を防衛している、

と言ったのだ。
この潜水艦の艦長を経験した伊藤元海将の発言を知り、
我が世界最強の潜水艦の艦長として、
現実に我が国を海に潜航して中共から守ってきた武人としての自信と誇りを感じ、
畏敬の念をもつとともに、
多くの国民は、
この自衛隊の現実に日本を守る日々の努力に思い至らず、
漫然と日本はアメリカに守ってもらっていると思っていることに戦後の悲哀を感じた。
さらに、この悲哀と同時に、
自衛隊に守られているにも拘わらず、
自衛隊を危険視することで国民の共感を獲得しようとする議員と左翼集団に
憤りを感じる。

そこで、本稿では、抑止力と歴史について記したい。
歴史について記すのは、戦後の我が国の抑止力は特に歴史に淵源しているからだ。

抑止力とは、
相手に対して、攻撃してくれば、
軍事的な対応によって損害を与える姿勢を示し、
相手に攻撃を思い止まらせる軍事力であり、
抑止する側に、その軍事力を行使する意思と能力があることを
相手に正確に認識されていることを要件とする。
その抑止には、
相手に耐えがたい打撃を与える威嚇により攻撃を断念させる懲罰的抑止と
相手の目的達成可能性計算に働きかけて攻撃を断念させる拒否的抑止がある。
また、抑止手段には、
核による抑止(核抑止)と通常兵器による抑止(通常抑止)がある。
我が国は、単独では核による抑止力は持たず通常抑止力だけを有している。

では、この抑止力に関して、
現在の我が国の弱点は何か。
それは、「軍事力を行使する意思」があるのか否か、である。
つまり、「憲法九条」である。
そこで、「憲法九条」によって我が国に軍事力行使の意思がないとするならば、
「憲法九条」は我が国から抑止力を奪っていることになり、
相手はためらうことなく我が国を攻撃できる。
即ち、「憲法九条」こそ、我が国に戦争を呼び込む条項である。

そこで、相手、つまり、中共やロシアや朝鮮、は、
我が国が、「憲法九条」の文言通り、
一切、軍事力を行使しないと見ているのか?!
私は、相手もアホではない、
そのようには見ていない、
日本人は軍事力を行使する、
と判断している。
そして、その理由を、
我が国の歴史と自衛隊の実績に求める。

つまり、
我が国の歴史を見れば、
我が国は何かの切っ掛けで、断固とした軍事行動に出る、
と相手は判断せざるを得ない。
我が国では、その歴史を教えないが、
相手(中露朝鮮)は、
我が国の歴史を常に見て、骨身にしみて日本人を知っている。
その歴史は、明治から昭和までの
日清日露戦役から満州事変、日華事変そして大東亜戦争だ。
これらの時に、日本人は、
我慢に我慢を重ね、遂に打って出る。
一旦、打って出たらトコトンやる。
映画昭和残俠伝の高倉健さんは、その日本人の姿を体現している俳優だ。
この我が国の歴史が、
我が国の抑止力である!
従って、戦後日本人が平和ぼけでも、
我が国に抑止力があった。
そして、相手も、このことを知っているので、
総理大臣が我が国に命を捧げた英霊を祀る靖国神社に参拝するのを非難するのだ。

さらに、我が国に
「軍事力を行使する意思」=「抑止力」を付与しているのは、
自衛隊の実績である。
その最も象徴的な実績は、世界が見ていた。
2011年(平成二十三年)3月11日の東日本大震災と巨大津波の
被災地における十万数千の自衛隊員の連日連夜・不眠不休の救助救援活動と
3月17日午前9時40分から10時までの間に
上部が爆発で吹っ飛んだ福島第一原子力発電所原子炉建屋の真上にホバリングして
約三〇トンの水を原子炉に撒いた
陸上自衛隊の二機の巨大ヘリCH47チヌークの同時刻に世界に流れた映像である。
その放水作戦の直後、
アメリカのオバマ大統領が総理大臣の菅直人に電話で言った。
「テレビで見てたよ、素晴らしい」
そして、アメリカ軍が本気モードに入っていった。
この放水作戦を第一ヘリコプター団の金丸章彦団長に命令した
中央即応集団の宮島俊信司令官は、
本気モードに入ったアメリカ軍を見て言った。
「自分の国を命がけで守ろうとする姿勢に、彼らは感動し、
それまで以上に支援を約束してきた。
明らかにスイッチが入った。軍人とはそういうものですよ」
以上、「ドキュメント自衛隊と東日本大震災」、瀧野隆浩著、ポプラ社、より。
この放水作戦の前には、
あるアメリカ軍将官が、人の命をなんとも思わないような作戦はするべきではないと、
自衛隊に言っていたという。
また、現実に放水を実施した第一ヘリコプター団の
金丸章彦団長とともにいた自衛隊将校は、
中共軍の将校が、放水作戦を見て次のように言ったと報告してくれた。
「日本人は昔と少しも変わっていない。
簡単に命をかけてくる。
もし、日本に対して核弾頭ミサイルの発射準備をすれば、
日本人は確実に飛行機に爆弾を満載して
ミサイルに突っ込んでくるだろう」

仮に上部が爆発で吹き飛んだチェルノブイリの原子炉の真上に
ロシア軍のヘリがホバリングして水を撒く映像が世界に流れれば、
世界中が驚いたはずだ。
陸上自衛隊は、まさに、それを行い、
福島第一原発の真上のCH47は世界を驚かせた。
そして、市場速報を映すモニターで東京市場の株価が下げ止まった。

さて、先の通信では、
現在の久しぶりの寒波以上の悪天候のなかで苦闘した
明治三十五年一月の青森と弘前の八甲田山雪中行軍隊のことを書いた。
本稿では、
明治三十八年一月の乃木第三軍のことを書いておきたい。
私には、例年寒くなれば、時々日露戦争の乃木軍のことを思い、
これよりもっと寒い中で戦い続けていたのだと追想する癖がある。
百十三年前の一月一日午後四時三十分頃、
旅順要塞のロシア軍は、
乃木第三軍の前哨へ司令官ステッセルの軍使を派遣して降伏を申し入れた。
乃木第三軍は、
旅順攻撃に十三万人の兵員を投入し五万九千の死傷者を出していたが、
満州軍総司令部は、一刻も早く北進するように第三軍に促していた。
それ故、第三軍は、
一月十三日に旅順に入城し、十四日に慰霊祭を挙行し、十五日に北進を開始する。
その慰霊祭は、
水帥営北方の旅順を眺める高地に
「第三軍将士戦死病没者之霊位」と
乃木希典軍司令官が墨書した木柱を立てて行われた。
そして、十四日、
雪の舞う中で祭文を乃木軍司令官が朗読した。
朗読が進むにつれて整列する将兵の間から嗚咽が漏れていたという。

乃木希典ら、・・・我が第三軍殉難将卒諸士の霊を祭る。
嗚呼、諸士と、
この栄光を分かたんとして幽明あい隔だつ、
・・・悲しいかな。
地を清め、壇を設けて、諸士の英魂を招く。
こい願わくば、魂や、彷彿として来たり、饗けよ・・・

そして、翌十四日、第三軍将兵は、
一万七千の戦死者をだす奉天大会戦において、
最も過酷な日本軍左翼の戦闘に参加するために北上を開始する。
旅順が陥落しなければ日本は滅ぼされた。
次の奉天で負ければ、我々は日本人として生まれなかった。
明治百五十年の間で、
旅順要塞を攻めた乃木希典率いる第三軍将兵が
我が国の興廃を背負うという最も過酷な任務を引き受け続けたのだ。
まさしく、英霊!

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