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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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現在只今の危機、平和主義者が戦争を造る

平成29年9月9日(土)

九月九日の、現時点で、
まさに今が、東アジアの、
「戦争か平和かの分岐点」
であると感じる。
分岐点というより、
我が国は、今、爆発の予兆がする噴火口の上に乗っているのだ。
従って、ジタバタすることなく、覚悟を決めることだ。

ところが、我が国の世情は、
相手を激しく罵ることによって名を上げた女性議員の不倫報道と
当の本人が、どや顔で情け容赦なく糾弾していた他人の白々しい言い訳を、
まさにその本人が真面目な顔をしてしている漫画のような報道が繰り返され、
マスコミの政治的関心といえば、
お決まりの衆議院解散はあるのかないのか、だ。
我が国を取り巻く厳しい開戦前夜のような状況のなかで、
解散などあり得ない、
という状況判断など皆無である。

危機は将来にあるのではなく、
現在只今の、この状況が、「危機」なのだ。

そこで、本日、「月刊日本」次号誌の「歴史の教訓に学ぶ」連載欄に
次の一文を送稿したので、
それを本時事通信にて公表したい。
ご一読いただければ幸甚です。 

     ・・・     ・・・     ・・・     

 第一次世界大戦と第二次世界大戦の間は、「危機の二十年」と言われる。
何故なら、その間に未曾有の戦争が準備されたからである。
イギリスの戦時内閣を率いて、
その未曾有の戦争つまり第二次世界大戦を戦ったウインストン・チャーチルは、
第二次世界大戦を、起こらなくてすんだ戦争と言い、
平和主義者が造った戦争だった、と回顧した。
そこで、チャーチルの回顧録を中心にして、
如何にして第二次世界大戦が造られたかを見てみよう。
 
 一九一九年六月の第一次世界大戦の終結を告げるベルサイユ条約(Treaty of Peace)によって、
ドイツは、空軍、戦車、潜水艦の保有を禁止され、
陸軍兵力は十万以下に限定されて参謀本部と陸軍大学校は解体され
軍事的弱小国に固定された。
そして、対フランス国境地域のラインラントは非武装地域にされた。
 しかし、戦後の疲弊したドイツの国民経済の破綻のなかで、
このベルサイユ体制打破を訴えてヒトラーが急速に台頭し、
一九三三年一月、第一次世界大戦の英雄ヒンデンブルグ大統領の下で首相に就任する。
そして、翌年、ヒンデンブルグ大統領の死去により、
首相であるヒトラーは、大統領と首相を合体した地位であるドイツの総統に就任し、
長年の同志であったレームらの粛正を断行する。
このヒトラーの出現に際して、チャーチルは次のように書いた。
「レームらの粛正は、ドイツの新しい主人は何事にも停止しないことを示したものであり、ドイツの実情はおよそ文明とは似ても似つかぬことを示すものであった。恐怖と白煙の上に立った独裁体制は世界と対決していたのだ」。
 
 ところが、このときのイギリス政界の主流は、
このドイツの独裁体制の文明とは似ても似つかぬ危険な本質を見つめなかった。
つまり、
「労働党と自由党の平和主義者は、ドイツの国際連盟脱退という重大事件によってすら、影響を受けなかった。両党は相変わらず平和の名において、イギリスの軍縮を進め、これに反対する者(チャーチル)は、すべて『戦争屋』と呼んだ」。
さらにチャーチルは続ける。
「一九三三年なら、あるいは一九三四年でさえも、まだイギリスにとっては、ヒトラーの野心に必要な抑制を加えるだけの空軍、あるいはおそらくドイツ軍部の指導者達に、ヒトラーの暴力行為を制止させることができるだけの空軍を造ることが可能であったろう」。 
 しかし、イギリスは、
この「戦争屋」の警告を無視して軍縮を続ける。
そして遂に、一九三五年、ヒトラーは、ドイツの再軍備と徴兵制の復活を宣言し、
ドイツ空軍の公式編成を発表した。
即ち、「秘密裏に、あるいは偽装の下に準備を進めていた数年はいまや終わり、ついにヒトラーは、公然たる挑戦に出るに必要な力を蓄えたのを感じた」。
 
 そこで、運命のターニングポイントが翌年に起こる。
即ち、一九三六年三月七日のヒトラーによる非武装地帯ラインラントへの進駐である。
このヒトラーの公然たるヨーロッパ諸国への軍事的挑戦に対して、
フランスとイギリスの平和主義者達の政権は、
ドイツに対する軍事的対応をせずに傍観したのだ。
しかし、ヒトラー本人は、
「このラインラント進駐の四十八時間は、私の人生で最も不安な時であった」
と述懐し、
後に連合軍の捕虜になったドイツ軍将校は、
「あの時、フランスが直ちに軍事的行動を開始すれば、脆弱な武器しか持たなかった我々はたちまち撃破され、ヒトラーは失脚していた」
と述べている。
 
 つまり、このヒトラーのラインラント進駐、
これが平和主義者が戦争を造った第一歩である。
さらに、この第一歩に成功したヒトラーは、
直ちに大規模な第二歩を踏み出して、世界は急速に第二次世界大戦に傾斜してゆく。
即ち、一九三八年の
ヒトラーのオーストリー併合とチェコスロバキアのズデーデン地方割譲要求だ。
そして、同年九月、
イギリス、フランス、イタリア、ドイツの首脳はミュンヘンで会談し、
イギリスとフランスとイタリアは、
平和のためにヒトラーのズデーデン地方割譲要求を呑む。
実に、この「独裁者との融和」即ち「ミュンヘンの融和」が、
第二次世界大戦の開始を告げたのである。
 
 「ミュンヘンの融和」からイギリスに帰ったイギリス首相のチェンバレンは、
ヒースロー空港に出迎えたイギリスの民衆に対し、
ヒトラーとの合意文書をかざして「私は、平和を持ち帰った」と得意げに宣言した。
しかし、彼がイギリスに持ち帰ったのは「戦争」だった。

以後は次の通り、欧州は戦争へ転がり落ちてゆく。
翌一九三九年八月二十三日、独ソ不可侵条約(モロトフ・リッペントロプ協定)締結。
九月一日、ドイツ軍とソビエト軍が東西から同時にポーランドに侵攻し、
第二次世界大戦が勃発する。
そして、翌一九四〇年六月十四日、
ドイツ軍、パリ入城。
九月七日、ドイツ空軍、ロンドン空襲開始。
 
 以上の経過を概観すれば、
最も注視すべき、戦争と平和の分岐点は、
一九三六年三月七日のヒトラーによるラインラント進駐であったことは明らかである。
これを断固阻止するか傍観するか、
見過ごすか見過ごさないかが、
二十世紀の運命を変えたのだ。
つまり、独裁者に戦争をさせてから除去するのか、
戦争の前に独裁者を除去するのか、
戦争か平和かの分かれ道が、
この時点に存在し、平和主義者達は、傍観し、戦争への道に進んだ。
 
 そこで、以上の教訓を元に、
目を現在の東アジアに転じて、
かつてのヒトラーのドイツのように
「文明とは似ても似つかぬ」危険な独裁体制の国である北朝鮮の動向を見つめ、
我らは、戦争か平和かの分岐点における決断を迫られていることを自覚せなばならない。
 
平成二十九年六月十三日、
百四歳で亡くなった支那、朝鮮、満州そして台湾を熟知されていた
元満鉄特務機関員の門脇朝秀翁は、
亡くなる前に見舞いに来た人に、
あなた方はうらやましい、
あの支那共産党や北朝鮮の一党独裁の暴力政治が
音をなして崩れる将来が見られるのがうらやましい。
私は予言することができるが見ることができない、
と言われた。
 
門脇翁の言われるとおり、
ヒトラー独裁のナチスドイツはもちろん、
二十一世紀の現在の暴力的独裁政治も必ず崩壊する。
そして、我が国とアメリカが決断を迫られている現在の東アジアの問題は、
北朝鮮の独裁者に核を実戦で使用させてから除去するのか、
独裁者が核を使用する前に除去するのか、
である。
ヒトラーのラインラント進駐を傍観して戦争を勃発させるのか、
その進駐を粉砕して戦争の根源を絶つか、
これと同じだ。
 
本年の夏の北朝鮮のICBMの発射と九月三日の百六十キロトンの核爆発実験は、
「ラインラント進駐」である。
従って、いま、この独裁者を除去する行動(斬首作戦)を開始するか否か。
これが二十一世紀の東アジアの運命を分ける。
そして、この分岐点においては、
独裁者と融和し独裁者と話し合うことしか考えない者が戦争を造り、
独裁者を粉砕しようとする者が平和を造る。
現在の「平和のための戦略」とは、
北朝鮮の独裁体制を、あらゆる選択肢を駆使して粉砕することである。
チャーチルに代わって言うが、
八十一年前と同様に、現在の平和主義者も戦争を造るのだ。
 そこで、現時点(九月八日)の
我が国政府とマスコミの雰囲気そしてアメリカの動向を眺めれば、
我が国のマスコミに登場する「有識者」の主流は、平和主義者であるが、
安倍総理とアメリカのトランプ大統領とマティス国防長官のコンビは、
頻繁に連絡を取り合って非融和の覚悟を固めた模様である。
その覚悟を歓迎する。
両首脳は、
「断ズルニ当タッテ断ゼザルハ、返ッテソノ乱ヲ受ク」
との警告通り、直ちにそれを実践されよ。
古代ローマ以来の警句
「平和を望むならば、戦いに備えよ」
は、現在只今の真理である。

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