大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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英霊への真の慰霊・屈辱的和平の正体

平成29年6月24日(土)

六月二十三日は、
沖縄の第三十二軍司令官牛島満中将が、
以後、残存する部隊は生き残った者のなかの最上級者を指揮官として
最後までゲリラ戦を展開して悠久の大義に生きよ、
との命令を打電し、
摩文仁の丘の南端の洞窟で自決した。
それ以降、残存部隊は司令官の命令通り、
各々の箇所で、ゲリラ戦を展開して八月十五日が過ぎても戦い続け、
第三十二連隊の連隊長北郷大佐らがアメリカ軍に降伏したのは、
八月二十九日である。
また、陸海軍の特別攻撃隊は、本土および台湾を発進して、
八月十五日までアメリカ軍に対する攻撃を続行した。

とはいえ、昭和二十年六月二十三日、
沖縄の地上部隊第三十二軍の司令官が自決し、
地上における陸軍部隊の組織的戦闘は終結する。
そして、現在、この日は「沖縄慰霊の日」とされて毎年追悼式典が行われ、
本年も軍民の区別なく沖縄戦における全戦没者二十四万人の名を刻んだ
「平和の礎(いしじ)」が建てられている糸満市平和祈念公園で、
沖縄全戦没者追悼式が行われた。
しかし、本年の追悼式典においても、
挨拶に立った県知事は沖縄のアメリカ軍基地の負担軽減を訴え、
式場には沖縄に全国から蝟集した反米軍基地運動の活動家らが、押しかけて、
「アメリカ軍基地反対」を叫び、
それを制止しようとする警官らに怒声を浴びせた。

戦没者の慰霊は大切である。
同時に慰霊式典を、反日闘争、反軍事基地闘争、という
日本弱体化を狙う中共の為の利敵行為に利用する勢力を容認してはならない。
この観点から、
我が国における戦没者の慰霊が「反日運動に利用される慰霊」とならず、
「国家の存立というまさに悠久の大義と深く結びついた真の慰霊」
となる為の私の思いを記しておきたい。

五月十五日北海道の函館近郊の山に、急患輸送のために飛び立った
陸上自衛隊のLR連絡偵察機が激突して、機長ら四人の自衛隊員が死亡した。
五月十七日、都内で講演した
アメリカ太平洋軍司令官ハリー・ハリス将軍は、
彼らの死について、
「日本を守るために落とした命であったことを、皆さん、覚えておいて欲しい」
と訴えた。
このハリス将軍の発言を知ったとき、
私は、我が国で行われている「慰霊」に
「欠落しているものの正体」を見たように思った。

例えば、先年、相次いで拝聴した
最初の特攻出撃をした関行男大尉の追悼式典での主催者側の挨拶、
また、ガダルカナル島から練習艦隊の護衛艦に乗って
七十年ぶりに帰国した英霊の遺骨を迎える厚生省高官の挨拶、
これらは、共に英霊を
「時代の犠牲者」、「戦争の犠牲者」として追悼の挨拶であった。
その時、私は、追悼をする者の姿勢に、
追悼される者が「今の時代とは異なる異常な時代の犠牲者」
と距離をおいて位置づけられていることに、
「英霊に失礼ではないか」という思いと違和感を拭うことが出来なかった。
そして、この空虚な思い、違和感が由来する根源を
五月十七日のハリス将軍が教えてくれたのである。
追悼する者に欠けているのは、
「日本を守るために落とした命であったことを忘れない」
という追悼される者に対する「畏敬の念」と「同胞の意識」である。
これが私の違和感と空虚さの原因だった。
さらに、この欠落が、慰霊式典が、
この度の沖縄のように、反基地、反戦プロパガンダ闘争を導き入れる原因である。

また、ハリス将軍の言葉と別に出会った言葉によっても、
さらに、「戦後という時代の正体」を悟った。

大正時代に生まれた者は、昭和二十年八月十五日の時点で、
年齢十九歳から三十三歳である。
つまり、大東亜戦争は、大正生まれの男子が兵士として戦った戦争であった。
大正生まれの男は、一三四八万人で、そのうち、二〇〇万人が戦死している。
大東亜戦争の全戦死者は二三〇万人で、そのうち、大正生まれの戦死者が二〇〇万人。
大正生まれの男の七人に一人は戦死している。
大東亜戦争を戦場で戦って小学校の同窓生の一クラス5~7人の割で戦死していった
大正生まれの生き残った男は、何故、戦後に実体験を語らず沈黙し、
中共や朝鮮からの自虐史観のプロパガンダが言論界を風靡したのか。
その理由が、「そうだったのか」と分かる文に出会った。
大正六年に生まれ、徴兵されて終戦まで約七年間、
北支から南支を転戦した作家の伊藤桂一さんは、
上海郊外で終戦を知り、冬に日本に帰還したときのことを、著書である「兵隊達の陸軍史」で次のように書いている。

 私たちの、敗戦の悲痛感がはじまるのは、
日本のどこかの港に上陸してからである。
そこにはかつて私たちを見送ってくれた人々の影も歓呼もいたわりもなく、
いたずらに蕭々として冬の海風が吹き荒れていただけである。
そうしてアメリカ軍に駆使されている日本人の港湾係が
同胞達の持ち帰ったわずかな荷物を、
邪険にこじあけてはほうり出している姿があったことである。
兵隊への扱いにしても、
余分な人間が何しに帰ってきた、
という眼でしか遇されなかったし、
この敗兵に対する日本人同胞の蔑視は、
その後どの土地に行っても、変わることはなかった。
世界の戦史を通じて、これほど惨めな帰還をした軍隊は、
たぶん大東亜戦争における日本軍をおいて他にはなかったはずである。
ほろんだのは、日本軍でも日本国でもなくて、
日本人の民族感情であったことを、
復員兵達は身にしみて実感したわけである。

私の岳父(陸士五十八期)も、この復員の体験をしたのだから、
戦争のことは一切語らなかったと娘(私の妻)が言うのも頷ける。

この伊藤桂一さんの体験談を読んで、
ハリス将軍が、「覚えておいて欲しい」と、我ら日本人に訴えたことは、
我が日本人の民族感情から敗戦と共に、まるでオセロゲームの白い石が一斉に黒に変わったように失われたのだ。
そして、分かった。
「戦後からの脱却」とは、
この奪われた「日本人の民族感情、民族精神」を取り戻すことである。
即ち、戦没者の失われた命は、
生き残った帰還兵の失われた青春は、
日本を守るために落とした命、
日本を守るために落とした青春、
であったことを忘れて、真の慰霊はないのだ。

我が国の従来の慰霊、
我が国の従来の学校における歴史教育
六月二十三日の沖縄の慰霊式
に欠落しているものは、
この国家と不可分の民族精神、民族感情である。
「戦後からの脱却」とはこの精神を取り戻すことだ。

確かに、沖縄戦は激烈で悲惨な戦いだった。
軍事戦略戦術の観点からは点検すべきことも多いが、
ここでは、この戦術分野に触れない。
そして、次のことを指摘するに止める。

確かに沖縄戦は激烈で悲惨な戦いだった。
しかし、長い民族の歴史のなかで、
斯くの如き戦いを回避できない事態に立つことがある。
開戦時の永野修身軍令部総長が言ったように、
戦わずして永遠の亡国を甘受するか、
たとえ敗れても
戦って、祖国護持の精神を残し子孫の再起三起に繋げるかである。
大東亜戦争、沖縄戦、そして、本土決戦は、
そのような戦いであった。

この時、敵にもこのようなあっぱれな決意を表明した者がいる。
イギリスの首相ウインストン・チャーチルである。
一九四〇年(昭和十五年)五月二十八日、
ヨーロッパ大陸東部のイギリス軍が
ドイツ軍に追い詰められ一万の戦死者と三万の捕虜を出しながら、
ダンケルクから絶望的な撤退を開始している真っ最中に、
チャーチルは議会で次のように演説し、
イギリス国内に根強く存在する
対ドイツ宥和論、対ドイツ和平論を封じ、徹底抗戦を叫んだ。

この長い歴史をもつ私たちの島の歴史が、
遂に途絶えるなら、
それは我々一人一人が、
自らの流す血で喉をつまらせながら、
地に倒れ伏すまで、戦ってからのことである。

そして、元下院議員・元ロンドン市長のボリス・ジョンソンは
チャーチルのこの決断について次のように書く(「チャーチル・ファクター」)。

イギリスは戦う。
交渉はしない。
その決断から一年以内に、
三万人におよぶイギリス人男性、女性、子供達が殺害された。
ほとんどドイツ人の手によって。
屈辱的な和平か、
罪なき国民の大量殺戮かの選択を前に、
「交渉しない」
という選択ができるチャーチルのような気骨のある政治家を、
現代において想像するのは難しい。

しかし、東アジアに位置する我々日本は、
このチャーチルの選択を、
想像の世界ではなく、
現実的なものとして想定すべき情勢に包囲されつつある。

我が国の朝野は、森友学園の国有地払い下げや、愛媛の獣医学校開設問題に
意地悪な小姑や鼻の効かない猟犬のように熱中しているが、
我が国は、現在、
北からロシアの核弾頭ミサイル、
西と南からの中共の核弾頭ミサイル
そして、北朝鮮からの核か生物・化学兵器を搭載できるミサイル
に包囲されているではないか。
そして、昨年度の航空自衛隊の
対中国軍機、対ロシア軍機に対する
スクランブル発進回数は千百六十四回、過去最多である。

チャーチルがイギリス軍のダンケルクでの壊滅時に直面した
「屈辱的な和平」か「罪なき国民の大量殺戮」かの選択枝は、
気がつくと、我が国の全面に迫ってきている。
ここにおいて、
アメリカ太平洋軍司令官ハリー・ハリス将軍が、
殉職した我が自衛隊の四人の隊員の死を
「国のために落とした命」として、
我々に忘れてはならないと呼びかけてくれたことに
再度、深く敬意を表し感謝する。

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