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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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国境の島、対馬での慰霊祭

平成29年5月29日(月)

五月二十七日は、
対馬での明治三十八年(一九〇五年)同日の日本海海戦百十二年目の顕彰・慰霊祭を終え、
船で対馬の厳原から博多に着いて深夜に大阪に戻った。
翌二十八日は、
昼間は東京の市ヶ谷で田母神俊雄閣下の第一回田母神高志会の集会に出席し、
夕方から後楽園の近くで行われた日本のこころ主催のタウンミーティングin東京で話をして最終新幹線で帰宅した。そして、本日、やっと、
対馬の報告と北朝鮮に関する所見の報告ができる。

まず、対馬のこと、
この度の対馬北端の殿崎の丘における「日露対馬沖海戦慰霊祭」は、
印象深い素晴らしい慰霊祭だった。
それは、参加人数が多かったという意味ではない。
対馬における十二年前の「対馬沖海戦百年祭」の実施を目指して東奔西走して、
その百年祭を実現し、
以後、本年まで毎年五月二十七日の慰霊祭を続けてきた
一人の国士の志と、その娘さんの思い、
そして対馬沖海戦を顕彰し、戦没者を慰霊する日本の心が、
純粋に、かつ鮮明に、
対馬の海戦海域と空に顕れていたからである。
その国士は、
対馬比田勝の武末裕雄(やすお)さん、
そして、娘さんは聖子(しょうこ)さんだ。

私は、いままでほとんど飛行機で対馬を訪れていた。
しかし、この度は、船で対馬に向かった。
その船の名は、壱岐・対馬フェリーの真崎越郎社長が命名した
「みかさ」!
である。もちろん、バルチック艦隊を撃破した我が連合艦隊の旗艦と同じ名の船だ。
そして、厳原に着いてから真崎社長の運転で、
まず、蒙古襲来の第一戦が行われた小茂田浜を訪れて小茂田浜神社に参拝し、
次に対馬北端の慰霊祭の丘に向かった。

この蒙古との戦いの第一戦(文永の役、一二七四年)は、
宗助国(六十八歳)以下八十四騎の武士と雲霞の如き数の蒙古軍との戦いだった。
宗助国らは圧倒的な数の蒙古軍を相手に、たった八十四騎で、
寅の刻(午前四時)から辰の下刻(午前九時)まで、実に五時間も奮闘し、
最後は微笑みながら突撃して全員玉砕した。
蒙古の大将忻都(キント)は、
死ぬのが分かっているのに猛然と戦い続け
最後は微笑んで突撃してきた武士達を観て、
「自分は様々な国の敵と戦ってきたが、
 このような恐ろしい敵と出会ったのは初めてだ」と語った。

このように、
私は、「みかさ」に乗って対馬に上陸し
宗助国玉砕地の小茂田浜を経て北の慰霊祭が行われる殿崎の丘に向かった。
この丘は海に高く突き出た岬で南東方向に日本海海戦海域が広がっている。
ここに、五月二十八日、
沈没したロシア巡洋艦ウラジミル・モノマフからボートで脱出した
百四十三名のロシア水兵がへとへとになって上陸してきた。
それを発見した二人の農婦が彼らを清水が湧く泉に案内して水を飲ませ、
西泊の人々は、彼らを各々の家に泊めて手厚く介抱したのだ。
殿崎に着くと、今も眼下に、ロシア兵達が水を飲んで生き返った泉があり、
その左上に、武末さんと全国の同志が合計一億円の私財を投じて建てた
海戦で負傷したバルチック艦隊のロジェストウェンスキー提督を
佐世保の病院に見舞う東郷平八郎提督の情景を刻んだ巨大な銅のレリーフが埋め込まれた
横九メートル、高さ六メートルの「友好と平和」の碑がある。
その、「友好」と「平和」の文字は武末さんの娘さんが書いた。
この巨大な碑の横には、
ロシア国旗、Z旗、日本国旗そして軍艦旗が高く翻っていた。
そして、目を右の海の方に転じれば、
西泊の島民がロシア兵を救助した話に感動した東郷平八郎提督の揮毫した
「恩海義嶠」(めぐみの海 義はたかし)の石碑があり、
その先に、日本海海戦における
ロシア兵戦死者四千八百三十名と日本兵戦死者百十七名の全員の名前が刻まれた
「日露慰霊の碑」が建てられている。
我々は、この慰霊の碑の前で「日の丸」とロシア国旗を掲揚し、
国歌「君が代」を斉唱し、献花した。
そして「海ゆかば」を何度も歌い、
回れ右をして海戦海域に向かって、
また「海ゆかば」を何度も歌った。

十二年以上、毎年五月二十七日にここにきているが、
すばらしい「海ゆかば」の合唱だった。
人数は一番少なかったが、
今までで、一番素晴らしい慰霊祭だった。
何故なら、武末裕雄さんが、
「海ゆかば」を謳うという日本人の魂、
大和魂の本義を守られたからである。
武末裕雄さんは、
岡に建つ東郷平八郎提督の揮毫した恩海義嶠「めぐみの海 義はたかし」の
義を貫かれたのである。

この日の慰霊祭の実施に対して、対馬市の地元の「公務員」が、
慰霊祭では、「海ゆかば」というような軍国主義の歌を歌わないでほしい、
「海ゆかば」を歌う人たちとは慰霊祭はできない、と主張し、
五月二十七日ではない別の日に「慰霊祭」をすることにしたという。
武末さんは、こういう類を相手にせず、
百十二年前の海戦当日の五月二十七日、
娘さんの聖子さんや土地の人々と共に、
丘の上の慰霊碑の前で我々の到着を待っていてくれた。
その丘の上に立つ父親と娘の姿はよかった。

数年前に、産経新聞が対馬の海上自衛隊基地の周辺や他の要地を外国人(韓国人が中心)が買収していることに警告を発する特集をしたことがある。
対馬の土地だけではなく、対馬の公務員のマインドも、
シナや朝鮮の対日工作に買収されてはならない。
武末さんをはじめとする国士が対馬に大勢いると油断すると危ない。
関西はもちろん、東京や東国の人々も、
日本の原像を遺す島である対馬を訪れ、
対馬が、まさしく国境の島であることを実感していただきたい。

もうすぐ、三十八度線が、
釜山と対馬の間の海に南下する可能性もあるのだ。

対馬は、万葉の昔、東国から多くの防人が来て防備を固めた島である。
常陸の国の神武天皇元年創建の鹿島神宮に参って対馬に旅立った防人が多い。
対馬で歌った彼らの歌が万葉集で伝えられている。
そして、対馬は、
森の中に多くの神社がある日本の原型のような島である。

来年の五月二十七日には、
東国や関西から博多に来て、
壱岐・対馬フェリーの「みかさ」に乗り、
対馬の北の殿崎の丘で日本海海戦海域に向かって
「海ゆかば」を何度も何度も歌おうではありませんか。
そして、帰路も「みかさ」に乗り込み、
海戦海域に御神酒を注ぎ、花を投げ、
我々も酒を飲みましょう。

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