大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

  • 西村眞悟 Facebook
  • 西村眞悟 twitter
  • 西村眞悟 RSS
西村眞悟の時事通信
  • HOME
  • 西村眞悟の時事通信

嗚呼、小寺一矢 先生

平成29年3月16日(木)

三月十日の「奉祝 陸軍記念日」を記載した日の午後一時四十三分、
弁護士 小寺一矢先生が亡くなられた。
この日、入院先の奈良にある病院にお見舞いに伺うため、阪奈道を走っていた。
その途中、友人から、今、亡くなった、との連絡が入った。

小寺一矢先生には、
司法修習生の時からご指導を受け、
それ以来、今までお世話になり、ご指導を受けてきた。
実に、この歳になるまで、
小寺先生の前で、私は司法修習生のままであった。

三月一日にご自宅に伺った時には、
小寺先生は、家の前の道に出てきて、まあ上がれと促され、
「空の神兵と呼ばれた男たち」(ハート出版)を手にとって、
「感銘を受けた」と感想を述べられ、
同時に、西村眞悟のことを書いた本を指さされて、
「嘘を、書いとる、けしからん、腹立ってなあ」と言われた。
そして、ご自分の体調のことを、
「ドクターからこう言われた」と、
元気に、達観されたように、説明され、
笑顔でその状況に立ち向かう意気込みを示された。
そのご様子に、ホッとして、
「また、近いうちに、一杯やりましょうや」と申し上げ、
先生が指摘された「けしからん本」を頂いて、おいとました。
先生は、玄関から道に出てきて手を振って見送ってくださった。
その時には、思いもしなかった!
これが、先生と話をした最後となった。

三月十日の亡くなった直後に、
病院で先生のお姿を拝したとき、
「先生、長い間、お世話になりました、ありがとうございます」
「奥様と、もう会われていますか」
と申し上げた。
すると、悲しさが込み上げ、
「人生とは、稽古するヒマもなく舞台に上がらねばならない劇である」
という明治前期に日本に滞在したチェンバレンの言葉が浮かんだ。

小寺一矢先生は、
大阪弁護士会会長と日本弁護士連合会の要職を務められ、
産経新聞の大阪「正論」懇話会の幹事をされていた。
先生の思想、心情、人柄、人情、生き方という全一的な総体としての存在は、
単に、法曹界の重鎮にとどまらず、
我が日本の将来を、誇り高く、力強く指し示す光源であり、
人生の中で触れ合った我々の至宝だった。

突然、幽明相隔つ、哀しい哉!

三月十二日の産経新聞朝刊は、第二面に小寺一矢先生の「評伝」を掲載し、
その見出しに
「人生を愛し、日本を愛した」
と大書した。
三月十四日、先生の告別式において、私は、
「蛍の光」の戦後奪われた次の歌詞を歌った。

  筑紫の極み 道の奧
  海山遠く 隔つとも
  その真心は 隔てなく
  一つに尽くせ 国のため

そして、歌い終えて言った。
 先生、近いうちに、必ず、またお会いしましょう!

新着記事

  • 平成29年4月27日(木)
    連日、朝鮮半島緊張の報道が続いている。その報道内容は、例えば本日(27日)の産経新聞朝刊では、「ソウル9000発被弾」、「日本上空VX爆発」の大見出と「北と米韓衝突 最悪のシナリオは?」という中見出し…
  • 平成29年4月25日(火)
    四月二十五日、午前十一時から、楠公研究会の皆さんと共に、楠木正成と夫人そして一族を祀る湊川神社に参拝した。参拝に先立ち、湊川神社の正門の東の元禄五年(一六九二年)、水戸藩藩主徳川光圀が建てた「嗚呼忠臣…
  • 平成29年4月24日(月)
    四月二十一日は、午後六時から埼玉県大宮で、我が国と周辺諸国X・Y・Z(自衛隊における仮想敵国の符丁)について講話をすることになっていた。それで、昼食を横須賀のドブ板横丁でとり、その後、日露戦争における…
  • 平成29年4月17日(月)
    四月十五日は、北海道の旭川と福井県の若狭町で二つの集会が開かれていた。旭川では予備役ブルーリボンの会主催の「自衛隊による拉致被害者奪還の集会」、若狭町では若狭町と同町教育委員会主催の「佐久間艇長遺徳顕…
  • 平成29年4月14日(金)
    「まいど、馬鹿馬鹿しい話で・・・」と始まるのは落語だ。しかし、我が国の「戦後という空間」では、敢えて、この話を、しなければならない。それも、拉致被害者救出という国民の命がかかった切実な国家的課題に関し…

アーカイブ