大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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紀元節を目指した男たち

平成29年2月13日(月)

 二月十一日の紀元節。
かつて、この紀元節を目指して、
千百キロのマレー半島のジャングルを、
シンガポールに向けて進撃した、
とてつもなく強い軍隊がある。
陸軍中将山下奉文軍司令官に率いられた帝国陸軍第二十五軍、三万五千人だ。

第二十五軍は、帝国海軍の米国領真珠湾攻撃の一時間三十分前の
日本時間昭和十六年十二月八日午前一時三十分、
マレー半島の北の英国領コタバルに上陸し、
イギリス軍が一個師団で攻撃してきても陥落させるのに三か月はかかると豪語した
ジットラーラインにたった五百名で襲いかかって十五時間でそれを落とし(戦死二十七名、負傷八十三名)、直ちに、一五〇〇メートルの水道をはさんでシンガポール要塞と向かい合うジョホールバルを目指して進撃を続け、
一ヶ月後にクアラルンプールを占領し、
一月三十一日、マレー半島最南端のジョホールバルを占領した。
イギリス軍の常識では、
日本軍第二十五軍が、ジャングルのマレー半島千百キロを進撃してシンガポールの北のジョホールバルに出てこようとは思いもしなかった。
 しかし、二十五軍三万五千人は、イギリス軍八万とジャングルのなかで戦いながら
二百五十の橋を修理しつつ進撃を続け、
イギリス軍に二万五千の損害を与え、千百キロを五十五日間で踏破して
ジョホールバルに達した。
 そして、十年の歳月をかけて築かれた世界四大要塞の一つであり、
大英帝国のインド洋と太平洋支配の牙城であるシンガポールを
二月十五日に陥落させた。
かつて、山下奉文中将がドイツを訪問してゲーリングと会見し、
ドイツ軍の高級参謀と話しあった際、
ドイツ人たちは、日本軍がシンガポールを攻略するには、
五個師団を投入して一年半の時間が必要になる、と語った。
 しかし、マレー半島千百キロを休むことなく激闘を続けてきた第二十五軍は、
休むことなく、二月十一日の紀元節のシンガポール陥落を目指して攻撃を開始し、
それはならなかったが、十二、十三、十四日と猛攻を続け、
遂に十五日に、シンガポールを攻略した。

二月十五日のシンガポール攻略!

これは五百年の白人のアジア支配の流れを変えた世界史的事件である。
アメリカ陸軍のWEST・POINT陸軍士官学校の生徒たち全員が
同時に食事をとる大食堂の壁には、大きな緞帳が掲げられており、
そこにアレキサンダーなどの世界史的名将たちの姿が描かれている。
しかし、山下奉文の肖像はなかった。
私は、案内してくれた士官に言った。
「世界史を変えた日本の山下奉文将軍の肖像も掲げるべきである」

山下奉文将軍がフィリピンでアメリカ軍に渡した軍刀は、
あのマッカーサーが母校に持ち帰ったのだろう。
その軍刀は、
想像を絶した強さを世界に見せつけて世界史を変えた名将を降伏させ,
言い掛かりをでっち上げて殺してやったのは、
部下を見捨てて自分だけ逃げた俺様マッカーサーだと言いたかったのか、
WEST・POINTの資料館に展示されていた。

防衛大学校の生徒たちが、
横須賀の大学校から靖国神社まで徒歩で参拝に来た。
それを、さすが防衛大学校生徒である、と誉めた人がいた。
その時、私の横にいた人が、きっとなって言った。
  
  何だ、そんなこと、当たり前だ、
  俺たちは、山下閣下と共に、
  マレー半島千キロを、戦いながら五十日で踏破したんだ!

WEST・POINTの資料館で、山下奉文閣下の軍刀を見たとき、
既に故人となっていた閣下と共にマレー半島を南下したあの人が、
この軍刀を見たら、
悔し涙を流し、
ガラスを破って閣下の軍刀を押し戴き、
日本へ持って帰ろうとするのではないかと思った。

さらに、
第二十五軍の、二月十一日の紀元節の陥落を目指す総攻撃を受けて、
断末魔の黒煙を空高く上げるシンガポールを眼下に眺めながら、
決死の覚悟でスマトラ島パレンバン上空に至って、
二月十四日午前十一時二十六分、
ジャングルに落下傘降下し、
同日午後九時、オランダ軍を駆逐して、遂にパレンバン飛行場を制圧した
「空の神兵」と呼ばれた男たちも世界史を変えたことを忘れてはならない。
その作戦に第三小隊長として参加した奥本 實中尉の書き留めた戦記である

「なぜ大東亜戦争は起きたのか?
インドネシア・パレンバン落下傘部隊の記録
空の神兵と呼ばれた男たち」(ハート出版)

については、既に本時事通信に記したが、
その「出版記念特別講演会」が、
パレンバン降下の日である明日の二月十四日午後五時三十分より、
国会議事堂近くの憲政記念館で行われる。
奥本中尉のご子息である奥本康大氏らが話される。
敵の空に至り、
敵の陣に降りて、
世界史を変えた
「空の神兵」と我が日本を讃えるためにご参加いただきたい。

 以上、二月十一日の紀元節に、
 日本人なら自然に思うことを記した。
 歴史の回復とはこういうことではないか。

 次に、皇紀二六七七年に当たり、
改めて、それは、皇統が現在まで続いているからであることに思いを致し、
如何にしたから続いているのか、
そのことを確認したい。
 現今の世情、皇位の継承に関して、
男系の継承と女系の継承があり、
女系の継承でなければ男女同権ではない、
とか言うような浅薄な議論がある。
そこで、言っておく。
男系が最も女性を尊重するのだ。
男系で現在まで皇位が継承されてきたのではない。
男系だから現在まで皇位が継承され、
本年も、紀元節をお祝いできたのだ。
次に、皇位継承に関して「月刊日本」へ送付した原稿を記しておく。
読んでいただきたい。

・・・    ・・・   ・・・
 
 我が国の最古の歌集である万葉集は、天皇や貴族から下級官吏そして防人や無名の老若男女の歌四千五百種以上が納められている。世界に類例がない歌集である。その編纂者には、橘諸兄や大伴家持の名が挙げられている。また、編纂に関与したのは、持統天皇や元明天皇そして柿本人麻呂や太安万侶らだ。その最後の歌は、大伴家持が、都を遠く離れた雪深い因幡の国で、天平宝字三年(西暦七五九年)の早春に歌った次の歌である。
 あらたしき としのはじめの はつ春の きょうふる雪の いやしけ世ごと
 では、その最初の歌、つまり万葉集第一巻冒頭の歌は、何か。それは、第二十一代雄略天皇の御製である。しかも、春の野に菜っ葉を摘む乙女に対する求愛の情を詠った御製である。ここに万葉集の、即ち、古代日本人の、おおらかな、すなおな、懐かしいこころが象徴的に表白されていると思える。万葉集の編者たちは、四千五百首以上の歌を納めた歌集の、冒頭にこの御製を選ぶことによって、はるか千数百年後の我らに、何を伝えているのだろうか。

 泊瀬(はつせ)朝倉(あさくら)宮(みや)に天(あめ)の下(した)知(し)らしめしし天皇(すめらみこと)の代(みよ)
 籠(こ)もよ み籠持ち 堀(ふ)串(くし)もよ み堀串持ち この岳(おか)に 菜摘ます兒(こ) 家聞かな
 告(の)らさね そらみつ 大和の國は おしなべて われこそ居れ しきなべて 
 われこそ座(ま)せ われにこそは 告らめ 家をも名をも

 近鉄大阪線が奈良の橿原を過ぎて櫻井を通り、さらに東の三輪山の南の谷に入ったところに朝倉駅がある。その駅から東北に約一キロばかり山に入ったところに雄略天皇の泊瀬朝倉宮跡がある。ここは南北を山で囲まれた谷であるが西は明るく開け、眺めれば奈良と大阪の境にそびえる雄大な金剛葛城の山脈を背景に畝傍山や香具山の大和三山が見渡せる。犬養孝博士は雄略天皇の万葉集冒頭の御製に関して、「万葉の旅」に次のように書く。
「時は春、所は国原の見渡せるおそらくはこのあたりの丘、籠を持ちへらを持つ若菜つみの野の乙女に、名をたずねて求婚の情を示す、とらわれぬ人間心情の律動は、春風とともによみがえってきて、万葉開幕の象徴の感さえおぼえさせられる」
 では、この天皇の「求婚の情」を受けた「若菜つみの野の乙女」は、どうしたのであろうか。万葉集は、後に、この雄略天皇の求愛を受けたであろう春の野で若菜を摘んでいたこの乙女の歌を、作者未詳として掲げている(巻十三)。天皇の求婚の情を詠った「万葉開幕の象徴」は、この乙女の歌と結びついて完結するのだ。
 
 こもりくの 泊瀬小国に よばひせす 我が天皇(すめろぎ)よ 奧床に 母は寝(い)ねたり 外床に
 父は寝ねたり 起き立たば 母知りぬべし 出でて行かば 父知りぬべし 
 ぬばたばの 夜は明け行きぬ ここだくも 思ふごとならぬ 隠(こも)り夫(つま)かも

 さて、これから、この「万葉開幕の象徴」からうかがえる古代の社会と、この天皇の求婚の歌によって、万葉の編集者が現代に伝えようとしている我が国の形について述べていきたい。
 まず、雄略天皇(誕生、皇紀一〇七八年、西暦四一八年)の古代社会は、徹底した女性上位である。野で若菜を摘んでいた乙女の家では、母親が奧床(つまり座敷)で寝ていて父親は外床(土間)で寝ている。一家の主体は、父ではなく母である。
 さらにあの雄略天皇、つまり二人の兄と叔父である履中天皇の皇子を殺戮し、朝鮮半島の南部まで支配した雄略天皇といえども、いかに、娘の前で、「そらみつ大和の國はおしなべてわれこそ居れしきなべてわれこそ座せ」と自己紹介しても、娘の承諾がなければ、娘の家に入ることが出来ないのだ。何故、娘は承諾しないのか、その訳は、よばひが母に知られ父に知られるからである。それ故、雄略天皇は、山に囲まれた谷の娘の家の前で、夜が明け始めるまで、ぼーっと待っている。恋に関しては、天皇と、よばひに来る村の男との区別はない。雄略天皇は、娘に、よばひに来る村の男並みに扱われている。古代日本の風景は、天皇といえども、若い娘の心情に従う、なんとも、ほほえましいことである。
 とはいえ、結局、この天皇の恋、天皇の求婚の情は遂げられたのであろうか。万葉集は、冒頭に天皇の失恋の歌を載せるはずがない。娘は、よばひが、母や父に知られるのがいやだと言っていただけではないか。遂げられたと思う。雄略天皇は娘と結ばれた。
 そこで、次に進む。ここに天皇を含む万葉集の編纂に係わった古代人が、今に伝えている国体にかかわるおおらかな暗示がある。
 天皇と娘が結ばれれば、何れ子供が生まれる。では、その子供が男子であればどうなるのか。その子は、皇位継承者となるのだ。これが万葉集が冒頭に示した男系による皇位継承のあり方である。即ち、我が国の総ての娘が、天皇の母になりうる体制が、男系による皇位継承なのだ。「万葉開幕の象徴」が示すものは、籠と串を持ち「この岳に菜摘ます兒」が天皇の母になる我が国におけるおおらかな皇位継承のあり方であった。
 では、女系による皇位の継承とはどういうものなのか。男系のように、我が国の総ての娘が天皇の母になる体制ではなく、一人の女が天皇を生む体制だということになる。このような社会の実態を思い浮かべるのは難しいのであるが、思いあたるのは、蟻や蜂の社会である。そこには女王蟻や女王蜂がいて、それが生んだのだけが皇位を継承する。男が何処の誰べいであるかは問題ではないということになる。しかし、こういう社会は、蟻や蜂という低レベルの生物では存続するが、人間では存続できない。第一、男が忠誠を誓う対象がない。忠誠を誓う対象がない社会は存続しない。男の中には、苦難に立ち向かわず楽ばかりを求めて臆病で戦場に出ればすぐ逃げるが、女性に取り入るのだけが上手い奴がいる(六年ほど前にこういうのが総理大臣だったような気がする)。このような男が、上手く女王蜂に取り入って天皇の父になって国家が存続するはずがないではないか。即ち、宇佐八幡の神託(七六九年)にあるとおり、「天つ日嗣ぎは必ず皇胤を立てよ」である。
 我が国の神武天皇以来百二十五代の天皇は、男系で継承されてきたといわれるが、男系だから百二十五代継承されてきたのであり、女系であればとっくに継承は途絶えたのだ。
 さらに視野を広くもてば、キリスト教の聖母マリアの懐胎も男系を前提にしたものである。即ち、神の子がマリアの胎のなかで育ち生まれたのだ。以前、イスラエルの駐日大使であったエリ・コーエンさんの家は三千年のラビの家だと聞いた。そこで彼に、貴方の家は如何にして継承されてきたのかと質問した。彼は答えた。男系であると。
 さて、最後に、「万葉開幕の象徴」に連なる肝心なことを言う。
男系とは、我が国の総ての娘が「天皇の母」即ち「国母」になりうる体制である。
従って、天皇陛下には、
ご側室をもっていただくことこそ、皇統を末永く維持するため、
即ち、日本を末永く維持するために必要であると愚考する。
もちろん、私(臣下)はダメであること、言うまでもない。

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