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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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毒の樹の果実を食べるな

平成28年10月30日(日)

 昭和二十二年五月三日に施行された、
 いわゆる「日本国憲法」の改正論議に接するとき、
 何時も思い浮かぶ言葉がある。
 やはり、その言葉を記しておこう。
 それは、
 「毒の樹の果実」

 この言葉が表す論理は、刑事訴訟における証拠能力の有無を判断する際に使われる。
 即ち、違法な捜査によって得た物もしくは供述に、
 証拠能力を認めるのか認めないのか(証拠として使えるのか否か)を決するときの論理を喩えた言葉である。
 違法な捜査とは、
 捜索差押令状なしに民家に押し入ってナイフを持ち出すことや、
 供述させるために拷問することである。
 裁判において、
 この違法な捜査(毒の樹・邪悪な所為)によって獲得したナイフや供述(果実)に
 証拠能力があるとして事実を認定する(食べる)ならば、
 捜査における拷問などの人権侵害をなくすことはできない。
 つまり、毒の樹の「果実」を食べれば、毒の樹はますます成長してゆく。
 従って、違法な捜査を許さず、それをなくすためには、
 その捜査から生まれた果実、即ち、「毒の樹の果実」を食べてはいけない。
 これは当然のことであり、この当然のことが法の論理である。

 そこで、何故、
 「日本国憲法」の改正論議に接するときに、
 この「毒の樹の果実」を思い浮かべるのか。
 それは、「日本国憲法」が
 「毒の樹」であるからだ。
 そして、「毒の樹」の改正は、
 「毒の樹」を認め育てることになるからである。
 
 周知の通り、「日本国憲法」は、
 終戦直後の昭和二十一年二月四日から十二日までのわずか九日間に
 連合軍総司令部(GHQ)民政局の二十五人のメンバーによって書かれた。
 ポツダム宣言とそれを受諾した我が国の降伏文書(昭和二十年九月二日)で明らかなように、
 「日本国憲法」が書かれた昭和二十一年二月四日から十二日までの九日間、
 及び、公布された昭和二十一年十一月三日、
 さらに、施行された昭和二十二年五月三日、
 は何れも我が国はGHQの占領下におかれ、
 我が国に主権はない。
 また、「日本国憲法」を書いたGHQの二十五人は、
 全てアメリカ人である。
 
 この「日本国憲法」を
 その時我が国を占領し統治していたGHQが、
 日本国民が書いた民定憲法として「我が国の憲法」として植え付けたのだ。
 これは、文明に対する裏切りではないか。
 このような所為は、
 その時、我が国が独立国家ならば、到底、容認できるものではない。
 しかし、まさに、独立国ならば容認できないものが、植え付けられた。
 これ、「毒の樹」そのものではないか。
 しかるに、今の改正論とは、
 この「毒の樹」を認め、その「果実」を食べようとするものである。
 特に、「改正」ではなく、
 「毒の樹」に何か付け加える「加憲」に至っては、
 そもそも国家の憲法を何と心得ているのか訳が分からん。

 このように、「我が国の憲法」としては無効な
 「日本国憲法」と題する文書の本質に目を閉ざして打ちすぎることは、
 我が国が、文明に反する「毒の樹」を掲げ続けることである。
 従って、このことは、
 我が国が、これからの国際社会において、
 覇権国家が武力占領した被占領国の憲法をほしいままに制定する文明の破壊を容認することに繋がってゆく。
 さらに、これは、
 結果的にその覇権国家に迎合し、その所為を容認して力を貸し、
 我が国が、自ら存立の危機を招き寄せる事態に陥ることになる。

 以上、刑事訴訟においても、国際社会においても、
 「毒の樹の果実」を容認して食する行為は、
 無法を容認し育てる結果を生み出すことである。
 何れ、天に唾する如く、
 その敗戦国根性に基づく不作為の報いを受ける。
 

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