大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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残暑が戻ったここ数日のこと

平成15年8月26日(火)

同志を訪ねて

 同じ思いの人々が、日本中にいる。志で結ばれた縁を、同志という。
 同志を確認できることは、人生の力である。特に、私のように、日本の真の再生のための同志を募る政治姿勢であれば、同志確認はいわば任務である。

 そこで、23日は、小倉に行き、戦前には朝鮮北部や満州で活躍された加藤三之輔翁と鹿児島や長崎から集まられた同志と、意見交換した。そして、夜は、下関で泊まった。

 翌24日の昼は、福岡市民会館で、三百人の人々に集まっていただき、国家の危機的な状態の報告をした。そして、福岡発午後5時の飛行機で、羽田に行き、羽田から御殿場の同志が研修を受けている富士社会教育センターに直行し、その夜は、御殿場で泊まった。

 翌24日は、御殿場宿泊の40名の同志とともに陸上自衛隊による富士総合火力演習を見学した。演習場の正面に富士山が見事に見えた。演習見学を終えた午後1時半、大阪に戻る仲間と別れ、小生と八尾の市会議員である三宅博さんと佐々木秘書は、御殿場から東京経由新潟に向かった。
午後8時新潟着。
 横田めぐみさんの母早紀江さんや救う会の西岡事務局長をはじめ、拉致された日本人救出に取り組む9人と食事をした。

 翌朝7時、新潟埠頭で、北朝鮮の貨客船万景峰号を待ち受けた。日本人を返さずに、船を入れてくる傲慢無礼さは、許しがたい。

 それにしても、新潟県港湾管理局の馬鹿さ加減よ。日本人を規制しながら朝鮮人を保護している。港湾管理局は、日本人の埠頭立ち入りを120名に制限した。そして、警察官が垣根を作っている埠頭までの200メートルを歩かせた。東京から来られた80歳の婦人をはじめ多くの方が埠頭に入れてもらえなかった。炎天下で放置された。

 しかし、朝鮮人はバスに乗ってノーチェックで埠頭まで入っていった。その数150を超えていた。港湾管理局は、日本人には、旗竿やゼッケンの所持を禁止した。しかし、朝鮮人には、旗竿の所持を許し、彼らは朝鮮の国旗を旗竿に掲げて打ち振っていた。彼ら朝鮮総連の幹部とおぼしき一人は、救う会の西岡事務局長に、「殺すぞ」と脅してきた。これは立派な犯罪である。しかし、港湾管理者は、見てみぬ振りをした。

 金正日の写真を焼こうか、北朝鮮の国旗を焼こうか、このような提案もあった。しかし、私は、不可といった。「彼ら朝鮮人と同じ次元になる」。彼らはいつも、卵を投げ、旗を焼き、人形を焼く。このような行為を、崇高な横田早紀江さんらにさせることはできない。

 従来、万景峰号では、船内パーティーが行われてきたが、新潟県港湾管理局や社民系労働組合や新潟の政財界などは、いつも招待されていた。
 官僚の頭では、朝鮮総連さんに、迎合しておけば、今まではそつなく揉め事もなく、仕事ができたのだろう。つまり、新潟の港湾業務は、日本人であることを忘れれば、うまく仕事ができたのである。

 日本人を拉致した北朝鮮からは、堂々とこのようなおぞましい船が日本に入ってきて、「人道」という名で、朝鮮の旅行者を自由に運んでいく。日本人の人道を無視し、朝鮮人にだけ「人道」があるとする独裁者からの船を入れる日本政府は、明らかに「おかしい」。許されない。

 埠頭近くの木材会館での午前10時からの対話集会を終え、12時のジェットフェリーで、私と佐々木秘書は、佐渡へ向かった。
 かねて気になっていた曽我ひとみさんに会うためである。
 曽我さんのみ、一人で住んでいる帰国者である。
 曽我さんは、本来ユーモアのある明るい人である。
 曽我さんの家で、町長も交えいろいろ話し合った。
 明るい笑顔の曽我さんであった。しかし、残してきた子供と夫を思う内心はいかばかりであろう。さらに、彼女は、ともに拉致された母親を救うため、「家族会」に加入したのだ。日本に帰って、母がいないことを知った驚愕から、彼女はやっと立ち直ってきた。

 佐渡から、午後4時半に新潟港に着き、5時18分の新幹線で東京に戻り、午後10時半に新大阪に着いた。

以上が、私の数日間の行動であった。

「この秋は、風か嵐か、知らねども、今日の勤めの、草を刈るかな」

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