大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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明治に還るべし

平成27年11月4日(水)

 十一月三日午前、伏見桃山なる明治天皇の御陵の前に佇立し敬礼した。
 参拝の後、京都大学文学博士 宮田昌明氏より明治天皇の御生涯を聞くことができた。

 そして、夜、家に戻り、明治天皇が慶応四年三月十四日に五箇条の御誓文とともに発せられた
 「億兆安撫国威宣布之宸翰」を振り返ると、
 そこに書かれている内容と天皇がほぼ全国を巡幸された御真意が実によく腑に落ちた。
 宸翰とは天皇の国民に対する手紙である。

 江戸時代二百六十年以上、
 歴代天皇は、生涯、京都の御所から外に出られることなく御所の中で過ごされた。
 つまり、徳川幕府は、天皇が御所の外に出かけられることを禁じ、
 その上で、各大名が、参勤交代の途上で、御所に近づかないようにした。
 天皇は、江戸時代一杯、我らが知る京都の名所旧跡はおろか、
 歴代天皇の御陵がある東山の泉涌寺に行幸され御陵に参ることもできなかった。

 明治天皇の父君であり、新時代に対する展望をもたれていた孝明天皇も
 慶応二年、御所の中から出られることなく三十六才の若さで崩御されている。
 死因は天然痘と言われているが、下手人を指摘した上で他殺であるとも言われる。
 
 これらの経緯を前提にして、孝明天皇の崩御の後、
 十六才で天皇になられた明治天皇が、
 国民に向かって発せられた宸翰の次のお言葉を拝読するとき、
 天皇の切実な御真意が、新たに伝わってくるように思う。その箇所は、次の通り。

 「朕幼弱を以て、にわかに大統を紹き、爾来何を以て万国に対立し、
  列祖に事え奉らんかと朝夕恐懼に堪えざるなり」
 
 「武家権を専らにし、表には朝廷を推尊して実は敬して是を遠ざけり、
 億兆の父母として絶えて赤子の情を知ること能わざるやうにう計りなし・・・
 斯かる形成にて何を以て天下に君臨せんや」
 
 「往昔列祖万機をみずからし不正の者あればみずから将として之を征し給ひ」
 
 「朕ここに百官諸侯と広く相誓ひ、
 列祖の御偉業を継述し、一身の艱難辛苦を問はず、みずから四方を経営し、汝億兆を安撫し、
 ついには万里の波濤を開拓し、国威を四方に宣布し、
 天下を富岳の安きに置かんことを欲す」

 五箇条の御誓文とともにこの国威宣布の宸翰を発せられた若き天皇は、
 この慶応四年(明治元年)三月十四日を期して、
 江戸二百六十年の束縛を脱し、
 御所の外に出られ、東京に居を移され、全国を巡幸されることになる。
 
 そして、まさにこの同日、江戸において、
 天皇を戴く我が国でしか起こりえないことが為される。
 それが、官軍の西郷隆盛と幕府の陸軍奉行勝海舟による
 江戸無血開城の歴史的合意である。
 これが明治維新だ。
 
 その後、我が国が、
 大日本帝国憲法発布までの
 二十年間の革命的変革と動乱を乗り越えて立憲政治を確立しえて、
 日清・日露の大戦に打ち勝ち、
 欧米にあらざる東洋の国家として欧米列強に肩を並べるに至り得たのは、
 明治天皇がおられたからである。

 そして、昭和天皇は、
 敗戦の苦難のなかで始めて迎える昭和二十一年の元旦、
 「新日本建設の詔書」を発せられ、
 その冒頭に、明治天皇の五箇条の御誓文を掲げられた。
 そして、
 「叡旨公明正大、また何をか加えん。
  朕は茲に誓を新たにして国運を開かんと欲す。」
 と宣言された。
 
 即ち、天皇は、戦後の苦難を克服するために明治維新の創業に還ると宣言されたのだ。
 そして、明治天皇と同じように全国巡幸を始められ、
 終生、全国津々浦々の国民を親しく励まされた。

 それから七十年。
 我らは、ようやく、「戦後体制からの脱却期」を迎えている。
 現在、署名活動が行われている十一月三日の明治天皇のお誕生日を
 国民の祝日である「明治の日」に戻す運動は、
 まず、「名を正す」という大切な国民運動である。
 
 GHQによる軍事占領期に、
 明治天皇のお誕生日であるが故に祝日「明治節」とされた十一月三日から
 「明治」を消し去って「文化の日」にした占領期の
 まず「名」を奪い、そして記憶を奪おうとする工作から脱却することは
 「戦後体制からの脱却」の大きな一歩である。

 この運動の盛り上がりに対して、
 朝日新聞は、「戦前への回帰」だというプロパガンダを開始して、冷水を浴びせ、
 戦争の惨禍を招く「右翼反動の動き」だというレッテルを貼って阻止しようとしているのだ。

 しかし、言っておく。
 これは戦前への回帰ではない。
 
 明治維新への回帰である。
 
 明治維新が「幕藩体制」から脱却して国難を克服したように、
 我々は「戦後体制」から脱却して国難に立ち向かい、
 祖国を富岳の安きに置かねばならない。
 これは、明治天皇と昭和天皇の大御心である。
 

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