大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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二十世紀は「日本の世紀」である

平成27年9月6日(日)

 百十年前の九月五日、アメリカ合衆国のポーツマスというアメリカ海軍の海軍工廠のある小さな街に、
 アメリカ合衆国セオドア・ルーズベルトの「中立の友誼的斡旋」により、
 西からは日本全権外務大臣小村寿太郎が赴き、
 東からはロシア全権元大蔵大臣セルゲイ・ウィッテが赴き、
 十六ヶ月に及ぶ日露戦争の講和条約を締結した。
 
 其の骨子は次の通り。
(1)ロシア軍は満州から撤退する
(2)ロシアは、日本の朝鮮半島における優越権を認める
(3)樺太の北緯五十°以南を日本領とする
(4)ロシアは旅順、長春間の東清鉄道を日本に譲渡する
(5)ロシアは遼東半島の租借権を日本に譲渡する
(6)沿海州の漁業権は日本人にある
 しかし、此の講和条約において、日本国民が期待した、
 一年間の国家予算の四倍に上った戦費二十億円の賠償は合意されなかった。
 
 とはいえ、
 日本は、かろうじて戦勝国としての面子を保ってロシアとの講和を達成することができた。

 ここにおいて、十五世紀、バスコ・ダ・ガマがヨーロッパからインドに至る航路を拓いてから
 五百年間で初めてのことが起こった。
 
 近代化を始めて三十余年しか経たない東洋の有色人種の国である日本が、
 白人のヨーロッパ最強のロシア帝国の軍隊を打ち破ったのである。
 
 ヨーロッパ世界、そして、アジア・アフリカ、つまり全世界は、驚愕した。
 白人に支配されているフィリピン、インドネシア、ベトナム、ビルマ、インド、
 そしてアラブさらにアフリカの人々の独立自存を求める魂に火が付いた。
 日露戦争が世界史を変えた。
 西でロシアに接するフィンランド、ポーランド、ハンガリーそしてトルコは、
 日露戦争に日本が勝利したことに目を見張り、それ以来百十年後の現在も親日国である。

 日本が勝利したとき中国革命を目指す孫文は、スエズ運河の船の上にいた。
 その時、アラブ人から君は日本人か、素晴らしいと讃えられた。
 それからは支那から一万数千の留学生が来日して日本で学んだ。
 彼らの多くは日本の陸軍士官学校で学んで将校となり、
 後の国民党軍を背負って近代中国の建設に向かうことになる。
 蒋介石も其の一人である。

 レーニンは、旅順の要塞の力は六つのセバストーポリ(クリミア半島のロシアの要塞)に等しいとの述べた上で、「イギリスとフランスが(クリミア戦争で)セバストーポリを占領するのに丸一年もかかったのに、
ちっぽけな、これまで誰からも軽蔑されていた日本が、
八ヶ月(実際は五ヶ月)で、セバストーポリを六つ合わせた力を持つ旅順を占領したのである。
 (ロシア帝国に対する)この軍事的打撃は計り知れない」と書き、
日本軍による旅順陥落を「プロレタリアートの戦争(ロシア革命)の時期は近づいてくる」と意義づけた。

 アフリカのガーナ出身のアナン国連事務総長は、来日する度に東郷平八郎を祀る東郷神社に参拝した。
 チリ出身の国連事務総長デクレアルも四度、東郷神社に参拝した。
 東郷平八郎が、ロシアのバルチック艦隊を日本海対馬沖で撃破した提督だからである。

 日露戦争で共に満州の戦場にいた
 フィンランド人のグスタフ・マンネルハイム将軍と
 ユダヤ人のイスラエル建国の父ヨセフ・トルンベルドール
 そして、イギリス人のイワン・ハミルトン将軍に付いて書きたい。

 グスタフ・マンネルハイム将軍はロシア軍騎兵将校として、
 奉天附近で秋山好古少将率いる日本の騎兵部隊と戦い撃破された。
 彼は、何故、日本軍がロシア軍を撃破し得たのかを考えた。
 そして、少数でも日本のように団結すればロシアを撃破できると確信し、
 フィンランドをロシアの支配から解放するための戦闘を開始し成功を収める。
 後年マンネルハイム将軍は、
 ボルシェビキの本質は「暴力と無秩序」に過ぎないと見抜き、
 東からは日本が、北からはフィンランドがボルシェビキの支配するペテルスブルグに攻め入れば、
 ボルシェビキを打倒し得てロシア革命を終息させ得ると考えていた。

 
 ヨセフ・トルンベルドールは、
 ロシア軍将卒(後に将校)として旅順要塞に立て籠もり
 日本の乃木希典大将率いる第三軍と戦い、左腕を根本から失った。
 そして日本軍の捕虜となって大阪の浜寺ロシア兵収容所に入れられた。
 彼も日本を観て、マンネルハイム将軍と同じように、
 何故此の日本が大国ロシアを打ち破ったのかと考えていた。
 すると一人の日本兵が
「祖国のために死ぬことほど名誉なことはない」と彼に言った。
 トルンベルドールは、此の言葉に深い感銘を受け、
 浜寺の収容所において「ユダヤ人の祖国」を建設しようと決意する。
 
 其の十年後、彼はユダヤ国家がローマに滅ぼされてから二千年ぶりにユダヤ人の軍隊を造り、
 イギリス軍に加わって第一次世界大戦のダーダネルス作戦に参戦する。
 其の戦いぶりを観て、ダーダネルス作戦のイギリス軍の指揮官イワン・ハミルトン将軍は、
「彼らは類い希な度胸をしている」と絶賛した。
 彼らが、日露戦争の日本軍兵士のように戦ったからである。
 トルンベルドールの造ったユダヤ人部隊を絶賛したハミルトン将軍が、
 十年前の日露戦争で、トルンベルドールが旅順要塞に立て籠もっていたロシア兵だったことを知っていたかどうかは残念ながら分からない。

 其のイワン・ハミルトン将軍は、
 十年前の日露戦争の際にイギリス軍から観戦武官として旅順と満州の戦場に派遣され、
 旅順要塞攻防戦の凄まじさを目の当たりに見ていたのである。
 
 そして、ハミルトン将軍は、日本軍の戦いぶりに深い感銘を受け、
 日本から学ぶべきものとして兵士の忠誠心をあげた。
 彼の報告によって書かれたイギリスの公刊日露戦史には、次のように書かれている。
 
 「此の旅順の戦いは英雄的な献身と卓越した勇気の事例として末永く語り伝えられるであろう」
 
 よって彼は、第一次世界大戦を、乃木希典第三軍の方式で戦い、歩兵の突撃によって塹壕戦に対処した。
 戦後、彼は、エディンバラ大学の名誉総長となり、イギリスの教育改革に取り組み、
 「子ども達に軍人の理想を教え込まねばならない。
 自分達の祖先の愛国的精神に尊敬と賞賛の念を深く印象付けるように」と説いた。

 またトルンベルドールは、第一次大戦後に、イスラエルに入植する。
 そして、北部のテルハイに居たとき、アラブの武装民に襲撃されて数発の銃弾を受け転倒する。
 駆け寄った戦友に彼はこう言って、事切れた。

 「俺に構うな、祖国のために死ぬことほど名誉なことはない」

  現在、彼の死んだ地には、彼の墓が立てられ、其の前に大きなライオンの石像がある。
 その石像に、トルンペルドールが最後に言った言葉、
 かつて日本兵が浜寺で彼に言った言葉、
 「祖国のために死ぬことほど名誉なことはない」
 とヘブライ語で刻まれている。

 トルンベルドールは、今も「片腕の英雄」として全イスラエル人に愛されている。
 それ故、イスラエルは親日的である。
 尚、トルンベルドールが、ロシア兵捕虜として日本の浜寺にいたとき、
 明治天皇は彼に義手を下賜されている。
 トルンベルドールは、明治天皇を尊崇し、
 彼の残したノートには、来るべきユダヤ人の国は、明治の日本のようでなければならないと書かれている。

 このように、
 フィンランドそしてイスラエルの建国に、日露戦争の日本の勝利は、決定的な要因を与え、
 さらにアジア、アフリカの人々に民族自立の魂が沸き立った。
 そして、数十年の胎動の後に、世界が再び目を見張る。
 日本が再び、一九四一年十二月十日、
 イギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズをマレー沖で撃沈し、
 一九四二年二月十五日、
 七つの海を支配する大英帝国のアジアにおける象徴的な拠点!
 シンガポールを陥落せしめたからである。
 フランスのドゴールは、白人の数百年にわたる支配が終わったと述べ、
 イギリスの歴史家トインビーは、白人の無敗の神話は、日本によって公然と打ち破られたと書いた。

 二十世紀初頭の日露戦争から中盤の大東亜戦争まで、
 日本は有色人種の唯一の国として、
 一貫して五百年続く白人の支配と戦い其れを打破した。
 日露戦争で、始めて有色人種の国が白人の帝国に勝利したことを世界に示し、
 続く第一次世界大戦においては、
 人種差別撤廃を講和条約交渉で提起し、 
 大東亜戦争においては、大東亜共同宣言を発して、
 人種差別撤廃を正々堂々と掲げて戦った。

 そして、二十世紀に日本が戦うまで、
 世界に独立国は四十余国しかなかったのに、
 現在、百九十余国が独立国として国連に加盟している。
 それは、アジア・アフリカから、百五十余国が独立国として誕生したからである。

 よって、二十世紀は、「日本の世紀」である。

 昨日、九月五日、東京でポーツマス条約締結百十周年記念集会があった。
 集会は、国歌斉唱と、日露戦で戦没した英霊への黙祷から始まった。
 私は、加瀨英明先生の開会の挨拶の後、立って、
 日露戦争から始まり大東亜戦争に至る戦いで日本は世界史を変えた。
 よって、二十世紀は「日本の世紀」であると述べた。
 すると、後に講話に立った馬淵睦夫前ウクライナ大使は、
 二十一世紀も「日本の世紀」だと言われた。

 そこで、後の懇親会で乾杯の音頭をとることになった私は、
 「プーチンを煽ててクリミヤでくたくたにして、
 樺太・全千島を取り戻し、
 二十一世紀も日本の世紀にしよう、乾杯!」と叫んだ。

 なお、昨年の七月、
 私は、アメリカの陸軍士官学校ウェスト・ポイントを訪問した後、
 四百キロ北上してポーツマスを訪れた。
 ポーツマスは今も海軍工廠のある小さな十九世紀の雰囲気をたたえた街であった。
 四十年ほど前に、歩いて訪れた時と建物は変わっていなかった。
 海軍工廠では、軍事機密の固まりである潜水艦を造っていた。
 
 この度は、小村寿太郎、高平小五郎ら日本側交渉団が宿泊し、
 何度も日露会談が開かれたリアス式の海岸に面したホテル、ウェント・ワースを訪れた。

 ホテル、ウェント・ワースでは、
 日露会談の行われた部屋には「ツリーティールーム」と書かれた表札が架かっていた。
 其の部屋に至る階段の正面の壁に、
 明治天皇とロシアのミコライ二世の大きな肖像画が掲げられていた。
 日本人であるのが分かったので、
 ホテル側は「ツリーティールーム」てビスケットとお茶を提供してくれた。
 ポーツマスは、
 ポーツマス条約締結以来、今も昔のアメリカのままの親日的な親しみやすい街である。

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